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15 英雄は懺悔する

 街を白く塗り潰すかのような雪が俺たちの周りを吹き荒れている。もう十分に炎は鎮火しているのに、未だその勢いは衰える様子がない。

 フレヤ嬢が魔力を解放し始めて1時間が経過しようとしている。吹雪の渦の中は嘘のように穏やかで、ふとすればこのままこの空間の中に揺蕩っていたいような心地がした。しかし、彼女もまたそんな気分になるのか、時折遠い目をするので気が気ではなかった。

 もしかすると、フレヤ嬢がこのまま何処か遠くへ行ってしまうのではないか。そんな取り留めもない不安が常に付きまとっていて、気を抜いたら「もうやめてくれ」と叫び、彼女の邪魔をしてしまいそうだった。

 ふと視線を感じて、俺は改めて彼女の細面を見つめる。

 すると、こんな時だというのに、彼女は薄く微笑んでいたのだった。

 再会して以来、今日になってようやく目にすることができた笑顔。どこまでも透明なこの表情が失われるくらいなら、戦争になど行かずに側で守ってやれば良かったと、どれほど後悔したか知れない。

 その得難い微笑みを、どうして俺などに向けてくれるのか。俺はそう問いかけようとしたのだが、フレヤ嬢の唇が何か言葉を紡ぐ方が早かった。しかし微かなその声は雪の吹きすさぶ音にかき消されて届かない。

 唐突なブザー音が鳴り響いたのは、その時のことだった。

 けたたましい音にも反応を示さないフレヤ嬢に代わって、俺は彼女の掌から通信機を引き抜いた。


「こちらマットソン!」


《リンドマンだ。お前達、ご苦労だったな。もう火災は鎮火した。魔力の解放を中止しろ》


「本当ですか!? 良かった…! フレヤ嬢、今すぐ魔力をーー」


 言い終わるよりも早く、腕の中の身体が重みを増した。

 気を失っても軽いその体を受け止めた俺は、嘘のように消え去った吹雪の向こうに、暁の青を見たのだった。

 黒焦げになった家々から水滴が滴っている。周囲に人気はなく、猛火の名残は最早欠片も見当たらない。所々降り積もった雪が朝日を受けて青白く煌めいており、その澄んだ色はフレヤ嬢の魔力そのものだ。


「よく頑張ったな。ありがとう、フレヤ嬢」


 フレヤ嬢は安らかな眠りについているようだった。煤だらけの顔をぬぐってやると、あどけない寝顔が目の前に晒されて、俺は安堵のため息を吐く。


《ああ、頑張った。お前さんもありがとな、マットソン》


 それはリンドマン室長も同じだったようで、彼は柔らかい声で労いの言葉をかけてくれた。


「いいえ。俺は何も」


《お前がいなかったらこの街は今頃氷漬けか丸焦げだ。お前だからこそ、フレヤは安心して魔力を解放することができたんだよ》


「そんなことありませんよ。だって俺は、いつまでたっても彼女に気持ちすら気付いてもらえない、その他大勢のうちの一人ですから」


 そう、この結果は彼女の努力がもたらしたものだ。事件以来コントロールについて学んできたからこそ、魔力を暴走させずに済んだのだろう。


《ふーん。ま、お前がそう思うなら俺がどうこう言うことじゃないしな。んじゃ、後はフレヤを避難所に運んでやってくれ。頼んだぞ》


「は。承知いたしました」


 通信が切れたのを確認して、俺は通信機をひとまず自分のポケットにしまった。そしてフレヤ嬢を横抱きに抱え上げ、教会の尖塔を目指して歩き出す。

 人々は方々動き出していて、火災の後片付けに雪かきが加わるという異常事態にもそれなりに対応しているようだった。シャベルを持って走っていく若者を眺めながら、俺は自らの役立たずぶりに沈鬱な気持ちになった。

 彼女の優しさと魔力に比べれば、俺がこの1年で得たものなんて豆粒ほどの価値もない。

 俺は強い男になりたかった。彼女が強い男を望んだこともあるが、俺自身が彼女に並び立てるような男になりたいと思ったから。

 しかし俺が自分の願望を叶えるために邁進している間、この強くもか弱い少女は酷い仕打ちを受けて実家を追い出されるに至っていた。

 本当に俺は馬鹿だ。前ばかり見て振り返ることもせず、大事なものを守ることができなかっただなんて。

 こんな事なら戦争など行かずに傍にいればよかった。彼女の理想に届かなくても、身分の壁があろうとも、その気になれば傍にいる方法はあったはずなのに。俺の気持ちを成就させるより、彼女の心を守る方が余程大事な事だったのに。

 1年と少し前にプロポーズした事を言わなかったのは、あまりにも綺麗さっぱり忘れられていたからだった。しかし事件の話を聞いて、その判断が間違いではなかったのだと俺は悟った。プロポーズをしてきておいて肝心な時に助けてくれなかった男の事など、フレヤ嬢は信頼しないだろう。


「……ごめん。ごめんな」


 今更の謝罪は本人には届かなかったに違いない。けれどそれでいいのだ。俺に謝られたって、彼女は意味がわからないだろうから。

 謝る事すら許されず、愛を告げても信じてもらえない。馬鹿でずるい俺にはお似合いの状況だ。

 あの花束に添えたカード、彼女はどんな受け止め方をしたのだろうか。きっと天然炸裂で、考えもつかないような発想をしたんだろうな。

 彼女の過去を知らなかったあの頃、言葉で愛していると伝えたなら、また違った未来があったのだろうか。

 今はもう言えないから。恋愛なんて考える事すらできず、辛い境遇でも人のことばかり優先してきた彼女に、気持ちを押し付けるようなことはしたくない。

 けれどそれでも、諦めずに想い続けることを許して貰えるだろうか。好きなんだ、本当に。君の笑った顔、お人好しなところ、本当は感情の豊かなところ。君の全部を愛しているんだ。返してくれなくていいから。想いを返してくれなくたっていいから、せめて。


「マットソン少佐? それに、フレヤじゃないの!」


 よく通る声に呼ばれて、俺はフレヤ嬢を見つめるために俯いていた顔を上げた。そこには顔を煤で真っ黒にしたヒルダ・イェンネフェルト二等魔術武官が立っていた。


「やっぱり、さっきまでの吹雪はこの子だったんですね。大丈夫なんですか?」

「ああ。疲れて眠っているみたいだ」

「そうですか……良かった」


 煤で表情が判然としなくても、その目が安堵を映していることはすぐに分かった。

 イェンネフェルト魔術武官がフレヤ嬢に会ったと言って来たことがある。その時俺はこの少女の良いところをベラベラと喋ってしまったのだが、彼女は「そうですか。本当に好きなんですね」と苦笑していたものだ。

 どうやらその後も交流を深めていたらしい。フレヤ嬢に友人が増えるのは俺にとっても喜ばしい事だった。


「被害状況はどうだ?」

「まだ把握できてませんが、今のところ怪我人は大勢ですが死者はいないようです。これだけの大火事なのに、フレヤのお陰ですね」

「そうか、良かった。きっと彼女も喜ぶだろう」

「ええ。私もそう思います」


 その時のイェンネフェルト魔術武官の表情は、言葉で言い表すのに不足のあるものだった。複雑な感情を内包しているように見えたが、なぜそう感じるのかが解らない。俺は一瞬言葉に詰まったが、すぐに聞きたい事を思い出して話を続ける。


「そういえば、魔術武官だけは早期に出動していたみたいだけど」

「戦術魔法部では、昨夜大規模な夜間の戦闘訓練を行っていたのです。火事のあった下町のすぐ側の演習場での事でした」

「……そうか。ご苦労様」

「は!」


 敬礼を一つ残して去っていく優秀な魔術武官の後ろ姿を見送ってから、俺も歩みを再開する。勘だけで導き出された一つの疑念を抱えながら。




 避難所たる教会に着くと、まず最初にリリー・セーデルバウム女史が出迎えてくれた。避難してきた住民たちは奇跡の吹雪の話題で盛り上がっていて、混乱を避けるため裏口を通って個室に案内される。

 フレヤ嬢はいまだに眠ったままで、ベッドに降ろしても身じろぎ一つしなかった。魔術医務官が何やら計測器を持ち出して検査を始めても、まだまだ目覚める気配はない。


「それにしても本当に良かった。マットソン少佐、ありがとうございます」

「いや、俺は何もしてないよ」


 検査を見守りながら、リリー女史は安堵のため息を漏らした。きっと心配してくれていたのだろう。


「そんなことありませんよ。リンドマン室長だって、無茶な命令して楽しんでるかと思えば、裏ではずいぶん心配してたんです。魔術研究科一同、マットソン少佐には本当に感謝していますから」


 本当に優しい人達だと思う。俺自身がフレヤ嬢が大変な時に側に居てやれなかったことは本当に悔しいが、彼らが側に居てくれて良かった。俺には感謝をすることすらおこがましいけれど。


「リンドマン室長はどちらに? 直接状況報告をと思っていたんだが」

「あー……それが……」


 そこで初めてリリー女史は言いにくそうに言葉を濁した。何かがあったらしい事を悟った俺は、居住まいを正してリリー女史を見据えた。


「実は、バーリ部長から打診があったんですよ。フレヤを是非うちに迎えたいって。あの吹雪を見て気に入られたみたいです」

「うちってことは、戦術魔術部か!」


 リリー女史は俺の剣幕に気圧されつつ、困ったように頷いた。


「リンドマン室長も、この忙しいのにその対応に追われてるんですよ。フレヤは常々人々のためになる研究をしたいって言ってますし、うちとしても大事な職員を引き抜かれては困りますから」


 バーリ部長は並々ならぬ野心を秘めた狡猾な男だ。同じ戦場に立ったことも何度かあるが、勝利のために部下を駒扱いする姿に嫌悪感を抱いたのも一度や二度ではない。

 偶然近くで演習を行っていた戦術魔法部に、計ったように寄せられた引き抜きの打診。それらが導く答えは、俺の勘が間違いではない事を示しているように思えた。


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