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12 英雄は誓う

 彼女はびっくりしてしばし固まっているようだった。それはそうだろう、知りもしない男に突然プロポーズされたら誰でもびっくりする。

 沈黙を木の葉がそよぐ音が和らげてくれていた。永遠にも思える時間が過ぎ、天使の口からこぼれ落ちた言葉は、無情だった。


「ごめんなさい。私の一存ではお受けできません」


 ぺこり、と律儀にも頭を下げた彼女にショックを受けはしたが、二つ返事でOKが貰えるなどとは思っていない。

 俺は昔から向こう見ずの馬鹿と呼ばれてきた。考えなしとか、体力だけとか、イノシシとか。

 惚れてしまったのだから仕方がない。身分が違おうが、高嶺の花だろうが、できる限りのことをするだけだ。


「では、どうすれば受けて貰える?」

「父の許可がなければ」

「それは家の事情だろう。君自身は、どんな男なら結婚するんだ」

「……そんな事は初めて聞かれました。そうですね、伯爵以下の身分があって、気の優しい方で」


 しかし彼女は、そこではたと口を噤んだ。そして暫く考えた後、気を取り直すようにして前を向く。


「いいえ、それよりも……強い方、でしょうか」

「強い?」

「ええ。私の魔力が、強いので」


 ふむ、なるほど。自らに匹敵するほどの力がなければ魅力を感じないというわけか。全くもって一理ある。彼女を守るには、彼女より強くなければ話にならないだろう。

 それに身分。伯爵以下という妙な言い回しが気になるが、貴族と結婚するなら貴族でなければ国王の許可は下りない。あとは優しさか。それなら、彼女に優しくするのは言われるまでもないことだが。


「わかった。君の言うものを全部揃えてこよう」

「あの……?」

「その時は俺のことを考えてみて欲しい。では、失礼する!」


 俺は未練を断ち切るようにして踵を返した。隣国の内乱鎮圧で、最高の武勲を挙げてみせる。もっと強くなろう。彼女に見合うくらいに立派な男になる為に。


 恋と使命に燃える俺は、とても大事なことを忘れていた。

 彼女に名を名乗らず、しかも彼女の名を聞いてこなかったことに気付いたのは、戦地に送られ、前線に立った瞬間の事だった。



 *



 嵐のような出来事だった。しかし不思議と嫌な印象はなくて、私は庭に立ち尽くしたまま彼のことを考える。

 街灯のせいで逆光になっていて顔は解らなかったものの、とても精悍な印象の方だった。警備の制服を着ていたようなので、軍人さんだろう。ああ、名前を伺うのも忘れてしまった。


「不思議な出来事だったわ」


 口に出してみると、彼の異質さは際立っているように思えた。今まで身分目当ての求婚を数多く受けてきたが、私の意思について確認されたのは初めてのことだった。

 どんな男なら良いのかと聞かれ、私は咄嗟に父の条件を並べた。しかしそれでは自分の意見を述べた事にはならないと思い立ち、強い方と答えたのだ。それは単に、私の魔力で万一のことが起きた時に、強い方なら心強いと言う意味で。


「いやあ、本当に妙な男だったね。大丈夫かい、フレヤ」

「兄上。いつからいたの……?」

「彼が話し始めたあたりから、かな」


 垣根の間から現れたのは他ならぬ兄上だった。父上と違って兄上はきちんと側にいてくれるのだが、ちょっと挨拶があると言うので暫く離れることになり、その間に子猫の鳴き声に導かれて中庭に出て来てしまったのだ。


「気になるな。何者なのか調べてみようか」

「いいのよ。私は私の義務を果たすだけ」

「またそんな事を。フレヤは恋に恋する年頃なんだから、もっと積極的に——」


 いつものお説教が始まってしまい、私は苦笑をこぼしつつ歩き出した。

 そう、望んでも叶わないのなら、いっそ最初から望まない方がいいのだから。


 あの事件の後で並み居る求婚者たちが消え失せた時、この出来事を思い出して少しだけ胸躍らせたのを覚えている。彼だったらまた来てくれるのではないかと。

 しかし結局のところ、再びかの求婚者が現れる事はなかった。

 そして小さな落胆の後、私は全てを忘れるように意識して務めた。偶然拾ってもらった第二研究室で恩に報いるべく仕事に没頭する毎日。充実した暮らしの中で、私は徐々にあの方と会話した時に覚えた胸の痛みを忘れていったのだ。



 *



「なるほど、フレヤはあいつの顔も見ていなかったのか。道理で思い出せないわけだ」


 ふう、とため息を吐いた兄上は、妹と弟の喧嘩を仲裁するお兄さんのような顔をしていた。

 私は思考が追いつかずに、ぼう然と彼がコーヒーを継ぎ足す様を眺める。


「私、驚いているの」

「うんまあ、そうだろうね」

「つまり、こういうこと? マットソン少佐は最初から、私に、本当に求婚をしてくださっていたと」


 私の問いかけに対して、兄上はあっさりと肯首して見せた。


「そういうことになるね。ああ、お前の名前は、リンドマン一等魔術研究官に聞いて初めて知ったらしいよ。抜けてるよねえ、本当に」


 もはや兄の言葉は私の耳には届いていなかった。マットソン少佐の言動が脳裏を駆け抜けていき、それどころではなかったからだ。


『フレヤ嬢、俺と結婚して欲しい!』


 ああそういえば、この率直な言い回しも、あの時と全く同じなのに。


『俺は確かに根っからの平民だが、君を迎えに行くくらいの甲斐性は身につけたつもりだ』


 褒賞として賜った貴族の身分も、私が無責任に述べた結婚の条件のため?


『俺はまず、君からの信頼を得るところから始めようと思う』


 そう言って下さったのも、鈍い私に合わせるためで。


 愛していますと書かれたカードを、私は暗号だと思って解読しようとした。あれは、嘘偽りのない、彼の本心だったのだろうか。

 魔力値が低くて落ち込んでいたのも、私が強い人がいいと言ったから?

 励ますように渡されたチョコレートも。毎日会いに来て下さったのも。サンドイッチを嬉しそうに頬張っていたのも。

 全部、全部……。


「さて、僕はそろそろお暇しようかな」


 妹が思考に沈んでいることを悟ったのか、兄上は微笑を残してそっと立ち上がった。数年越しの再会にしては呆気ない別れに、私は慌てて彼を引き止める。


「もう行くの? もっと話したいわ。家のことだって」


「父上も母上もお元気だから安心するといい。真面目なのは良いことだけどね、フレヤ。お前はあんな家のことなんかより、自分の幸せについて考えるべきなんだよ。今がまさしくその時だ。今日のところは帰るけど、また話をしよう」


 兄上は有無を言わせぬ笑みを浮かべ、片手を上げて応接室を出ていった。

 一人残された私は、回らない頭でなお考える。

 まず胸の内に去来したのは罪悪感だった。ごめんなさいと心の中で何度もつぶやく。彼に対して誠実で在りたいだなんて、一度として正面から向き合ってこなかったくせに何を言っているのだろうか。

 私は怖かったのだ。何かを愛して、失ってしまうのが。

 そんなことはもう充分だったのだ。好きになりたくなかった。無意識のうちに鈍感になろうとしていた。あの求婚を本気と捉えることができるほど、私は強くなかった。優しい彼のことを、顔も知らない内から好きになっていたのに、それに気づかないふりをしていた。それくらいに私は臆病で、偏屈で。


「本当に、馬鹿……!」


 呟いた声が震えているのを無視して、私は力強く立ち上がった。

 行かなければ。彼の居るであろう寮まで。女が急に訪ねていいのか分からないが、とにかく彼に会いたいのだ。居なければ軍務省まで行こう。それでも居なければ首都中を探そう。見つかるまで、ずっと。

 玄関に辿り着くまでの距離すらもどかしく、私は全速力で大通りへと躍り出ると、そのままの速度で寮のある方角へと走り出した。

 この時、私は箒で飛んだ方が早いという事実すら失念していた。それくらいに焦って、空回りして、訳が分からなくなっていたのだ。

 しかしどれほど馬鹿になっていても、気になる情報は頭の中にしっかりと入り込んでくるものらしい。

 視界の端に違和感を捉えて、私は足で急ブレーキをかけた。

 普段なら黄色く暖かい明かりで賑わう下町の方角。夜でも輝きを失わないはずの首都の一角が、毒々しい赤に覆われていたのだ。

 同時に鐘の音が聞こえてくる。鼻をつくこの匂いは……煙、だろうか。


「おい大変だ! ノルダル地区の方で火事だってよ…!」


「おいおい、あの辺り木造ばっかだぞ! やばいんじゃねえか!?」


 通りがかった市民が口々にささやき合うのを聞いた私は、目的地を変更して走り始めたのだった。


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