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1 氷の魔女は笑わない

お越し頂き誠にありがとうございます。

**この作品には予告なしの暴力表現が含まれます。ご承知おきの上お進みくださいませ**

「フレヤ嬢、俺と結婚して欲しい!」


 なんという事だろう。突如として現れた男性が、私に向かって花束を差し出している。

 そして聞き間違えでなければ、今のは所謂プロポーズというものではないだろうか。

 それにしてもとある重大な疑問を解決しないことには応も諾も無い。とりあえず聞いてみることにしよう。


「あなた、誰?」


 男性は満面の笑みを浮かべたまま固まってしまった。




 さて、まずは自己紹介をしておくべきかと思う。

 私はフレヤ・エルヴィストという。歳は19歳、エルヴィスト侯爵家の生まれで、魔術省へ入省して1年の新米魔術師である。

 この1年は研修三昧で、ひよっこの私は隣国の紛争に駆り出されることもなく、大好きな魔術に囲まれて平和な日々を謳歌していた。今日もいつものように起床していつものように寮を出て、そしていつものように魔術省の門をくぐろうと思ったら…この珍事が起こったのだ。


 固まっている彼を観察してみる。髪は太陽を映したような明るい茶色、瞳の色は新緑そのもの。端正かつ精悍な面立ちに長身ときており、残雪の白が目立つこの街において一際輝く容貌をしている。そして軍服を着ているという事は、どうやら軍人さんなのだろう。

 しかしいくら観察してみても、彼のことはまったく覚えがない。こんなに立派な方と会ったことがあるならば、まず忘れるようなことは無いはずなのだけれど。


「おいおい、まじかよあれ」

「見ろよ。氷の魔女に求婚とは、随分と命知らずなやつだな」

「ていうかあれ、マットソン少佐じゃないのか?」

「うわ本当だ! 英雄も面食いだったんだな。俺ならあんな恐ろしい女はごめんだね」


 それにしても視線が痛い。ここは魔術省の門のど真ん前で、しかも出勤時刻なのだからそれも当たり前だ。周囲が何を言っているのかは聞き取れなかったが、おそらくいい内容ではない事だろう。

 そろそろ意識を取り戻してもらえないかと思っていたら、彼はハッとしたように瞳を揺らした。良かった、大事はないようだ。あまりに見事に固まるので医務室にでも連れて行くところだった。


「し、失礼フレヤ嬢。俺はウルリク・マットソンという。陸軍少佐です」


 なんと彼は軍の幹部だったらしい。軍務省は魔術省のちょうど隣に位置しており、部署によっては協力関係にあるためお互い出入りすることも少なくないが、まさか新米相手に高官様が声をかけてくるとは予想だにしなかった。

 少佐殿だなんて、私のようなぺーぺーが軽い口を利いていいお方ではない。知らなかったとはいえ大変な無礼を働いてしまった。


「三等魔術研究官のフレヤ・エルヴィストと申します。これは、少佐殿に対して大変な失礼を。お許し下さい」

「いっ、いや! 俺の方こそ失礼だった。顔をあげてくれ」


 促されて顔を上げると、マットソン少佐はホッとしたような笑みを浮かべていた。私の中の後悔と羞恥は消えはしなかったが、どうやら機嫌を損ねてはいないようなので、一先ず良しとしよう。


「年も近いし、君は将兵でも軍属でもない。だから敬語もいらない」

「いいえ、そんな訳には」

「本当に良いんだ。頼むよ」


 マットソン少佐は朗らかに笑っていて、何の表裏もないように見えた。軍関係者でないとはいえ社会人としてあり得ない事なのだが、私は引きずられるようにして頷いたのだった。


「では、お言葉に甘えて。それで、一体どうしてこんな事を?」

「は?」

「私のような者に突然こんな事を言うくらいだもの。何か深い事情があるのではないの?」

「へ」


 私としては当たり前のことを聞いたつもりだったのだが、マットソン少佐はしばし呆然とした後、額に手を当て俯いてしまった。

 これは私に察せよと、そういうことだったのだろうか。だとしたら申し訳ないことをしてしまったが、分からないものは仕方がない。なにやら肩を落としている彼を前にして、私は途方にくれた。

 しかしややあって彼は顔を上げたかと思うと、活力を取り戻した目で私を見つめ、再度花束を差し出して来たのだった。


「今はとにかくこれを受け取ってくれ。頼む」


 マットソン少佐の目は、どこまでも真剣に輝いているように見えた。なるほど、この花束にも深い理由があるのかもしれない。私はそっと、その白と水色で構成された花束を受け取った。


「では、頂くわ」


 その瞬間の彼の笑顔をどう形容したらいいのか。太陽のようという言葉をもってしても表せないほど、ぱっと周りが明るくなるような温かい笑みに、私は不意に自分とは正反対だなと思い至った。

 私は白に近い銀の髪にアイスグレーの瞳という、氷属性の我が魔力にぴったりの色彩を持っている。この北国は年の半分を雪に閉ざされており、春を心待ちにする人々にとって、ひんやりとした私の容姿と魔力はあまり歓迎できるものではなかった。しかも無表情で愛想も無いとくれば疎まれるのもまた然り。幼い頃から冷たそうと言われ続けてきた私と違って、彼はきっと多くの友人や温かい家族に囲まれ、賑やかな暮らしを営んでいるのだろう。


「ありがとう。今日はこれで引き下がるが、また来る」

「ええ。さようなら」


 彼は爽やかな笑みを残し、大股で立ち去っていく。

 結局彼の真意を掴むことができなかった私は、巨大な花束を抱えたまま、自身の所属する研究所への歩みを再開したのだった。





「キャアア! ちょっとみんな! フレヤが来たわよ!」


 研究室の扉を開けた瞬間、黄色い歓声が私を包み込んだ。この第二研究室に所属する女性全員で顔を付き合わせてなにやら話をしていたようなのだが、一瞬にしてその輪を解散して詰め寄ってくるのは壮観だった。


「ちょっとあんたマットソン少佐にプロポーズされたって本当なの!? ってキャ——なにその花束!!!」

「いや—っ素敵! あんたの色じゃないこれ?」

「もうほんと隅に置けないわねえ! 無表情しちゃって本当は嬉しいくせに!」


 一斉に喋っているのでほとんど聞き取れないが、彼女らが喜色満面なのは見るに明らかだった。断片的に聞こえてくる単語を繋ぎ合わせると、どうやら先程の一幕について話しているらしい。さっきの今でもうここまで知れ渡っているとは、女性の噂好きを侮ってはいけないようだ。


「落ち着いてください皆さん。マットソン少佐はなにか深い事情がおありのご様子。あまり騒ぎ立てては失礼です」


 しかし、私の言葉に彼女たちは一斉に無表情になると、再び円陣を組んで何やらごそごそ話を始めてしまった。


「ちょっと出たわよ天然が。どうすんのよこれ? 誰か教えてあげなさいよ」

「私たちが言って理解するならこんなことにならないでしょ」

「それはそうよね。マットソン少佐も気の毒に……」

「見た目は超可愛いし魔術の腕も一流だけど、残念な子だわほんと」


 彼女らの会話は小声なので聞こえなかったものの、こちらをチラチラ見る目はあからさまに人を小馬鹿にするものだった。まあ先輩方が楽しそうだから、それならそれでいいのだけれど。


「ところで、皆さんマットソン少佐のことをご存知なんですか?」


 しかし今度の私の言葉には、全員が沈黙してしまった。既に仕事に入っていた男性陣ですら手を止めてこちらを見ている。それはさながら宇宙人を見る目だった。

 痛過ぎる視線は、ややあって逸らされることになった。皆さん頭を抱えてしまったのだ。


「嘘でしょ。どんだけ魔術以外のことに興味ないわけ……?」

「いっそ怖いんだけど」

「ねえ、フレヤ。あなた昨日、隣の内乱に派遣されてた部隊が帰ってきたの知らないの?」


 その中で一人、一番年の近い先輩リリーさんが問いかける。隣国の紛争が3年越しの終結を見たのはもちろん知っていたが、派兵されていた軍人さん方が帰ってきたとは知らなかった。


「マットソン少佐は、今回の紛争終結の立役者よ。すごい活躍で受勲も決まって、今一番ノリに乗ってる有名人じゃない」

「そうよ、平民でありながら伯爵位の拝命も決まったみたいだし、かなりの優良物件なんだから!」


 先輩方が怖い顔で詰め寄ってきたが、私はすっきりとした気分で両手を打った。


「ああ、マットソン少佐って、あの。そこは繋がっておりませんでした」


 その話はさすがに聞いたことがある。なんでも物凄い活躍ぶりで、難攻不落と言われた要塞を落として勝ちを決定的にしたとか。勝手にもっと年嵩で筋骨隆々な人を想像していたのだが、彼はまだ20代前半くらいに見えたし、その体つきは逞しくはあるものの威圧感を感じる程ではなかった。あまりに想像と離れた姿に結びつかなかったのだ。

 しかし私の反応は彼女たちを満足させるに至らなかったようで、全員にため息をつかれてしまった。


「……これはだめだわ」

「うん。私もう疲れちゃった」

「仕事仕事」


 方々解散して仕事に戻っていく彼女たちに習って、私も白衣を羽織ってから席に着いた。どうしてそんなにがっかりされてしまったのかよくわからないが、ともかく始業時間なのは間違いないので結果良しとしよう。

 それにしてもこの花束、一体どうしたらいいのだろうか。


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