第三十話 十二日目 努力
簡単なパーティーが始まり、酔っ払ったカレッタの相手を適当にしながら、俺は食べ物を口へと運んでいく。
少しばかりの風が吹き、公爵家の庭に並べられた料理の香りが鼻をくすぐる。
俺は庭にあるテーブル席にて、一人ちびちびとジュースを口に運んでいた。
酒を飲みたい気持ちもあったが、一応は日本人としての体である。この世界では問題なくとも、俺の体は拒否反応を示す可能性は十分にあるため、その感情をぐっとこらえた。
「僕が迷宮都市に行きたい理由はね。そこである調査をするためなんだよ」
カレッタがグラスを傾けながら、俺に笑みを向けてくる。
さっきからずっと酒を飲んでいる。顔は既に真っ赤で、たまにひくっと身体が揺れる。
目は据わったようになっているし、何より酒臭い。出来れば、いい加減休んでいてほしい。
「そうか。……酔った勢いで話しているわけじゃないんだな?」
「当たり前だよ」
「言っておくが、前も同じようなことを言ったからな?」
「あり? ……ああそうだね。それじゃあ、今回は少しばかり踏み込んで話しをしてあげよう。カレッターズくんの、迷宮都市講座を開いてあげようじゃないか」
「……具体的に何か話すならアーフィやファリカもつれてこようか?」
「ダメだ。彼女たちもあくまで連れては行くが、戦力としてはキミにしか期待していない。候補は他にもいたが、やはりキミくらいの強さが必要だ」
一体何をさせるつもりだよ。
学園の騎士学科に入学するのは俺たちだけではなく、ファリカもだ。
ファリカも迷宮都市に興味があるということで、この時期に入学するということになっている。
「迷宮都市はね、もう二百年前ほどにあるんだが……あそこはどうにも閉鎖的すぎる。僕は父さんから、何か、隠されていないかの調査を頼まれているんだ」
「……隠されている、か。そういえば、迷宮都市はひとつの国のようになっているんだろ?」
「そうだ。だから、国としても無理やりに調査を仕掛けるなどができない。だから、僕がその任務にあたるというわけだ」
……公爵様自ら、か。
というか、公爵くらいの立場でなければ、仮に情報を手に入れたとしても信憑性がないのかもしれない。
「迷宮都市ってのは、隠された秘密がいくつもあるんよ。だから僕は、今回の旅にキミを連れて行こうと思った。強い戦力が、いくつか必要だけど、集団ではダメ。それに、明らかに年寄りもダメ。警戒されない中で、候補がキミとファリカくらいしかいなかったってわけだ」
「そうか」
アーフィは俺を誘うためのおまけ、程度に考えているのだろう。
だが、そのアーフィがたぶん単純な力だけならば一番強い。
アーフィを戦力として計算していないカレッタだが、それでも可能という算段のようだ。
……だが俺は、どうしても不安が拭えなかった。
迷宮都市には軽い気持ちで向かう予定だったけど、何か大きな問題にぶち当たってしまいそうな気がしないでもない。
「まあそういうことだから、頑張ってくれ。それと、あとで彼女についても話を聞かせてくれよ」
カレッタがとんと俺の背中を叩き、からかうような笑みとともに去っていく。
彼女……アーフィのことか? また誤解を解かないといけないってか。面倒なことこの上ないね。
視線を背後へと向けると、いつの間にか背後に立っていたファリカが小さな手を上げて近づいてくる。
俺が腰かけているテーブル席の対面に腰かけた彼女が、遠くで劇団員と話をしているアーフィを見やる。
「二人は貴族なの?」
「いや、違うよ。けど、カレッタに誘われて迷宮都市に行ってみたかったからね」
「迷宮都市……行ったことないの?」
「まあな。普通にしてたら入れないだろ?」
ファリカが当然のことを質問してきて、少しだけ違和感があった。
ファリカも何やら思案をしたあと、首を振って頷いた。
「まあ、うん」
「ファリカも迷宮都市に興味があったのか?」
「うん」
「へぇ、確かに結構わくわくするよな。迷宮の中に一体どうやって街を造ったのか、とか。そういったものを生で見たり、生の声を聞いたり……やっぱり、そういうことは直接目で見ないといけないね」
しかしファリカの顔はあまり良くない。
「私はあまり良い噂は聞かない。あそこで生まれた人は、あそこの外に出ることは許されないと聞いたことがある」
直接迷宮都市に行った人から聞いてきたのだろうか。
けれど、そんなあからさまな奴隷契約のような状況が確かならば、国ももっと積極的に調査を敢行しているような気がしないでもない。
未知というのは人間に恐怖と興味を抱かせる。
俺の心には今、たくさんの興味があった。迷宮都市というものに対しての知らないことばかりしかないために、それらを知っていきぼんやりとしている知識に色をつけていきたい。
「そういえば、学園に入学すると言っていたけど、劇団のほうはいいのか?」
「もともと私は用心棒。劇は……たまにやるくらい」
「それにしては大層な人気だったね。一人の客としては、その姿をもっと見ていたいとも思ったな」
「それは嬉しい言葉。けど、私には学園に入って、どうしても迷宮都市に行きたかったから」
「そうか」
ファリカがぐびっとグラスを傾ける。
その両目はアーフィのほうへと向けられている。
「彼女さん、人気」
「彼女じゃないって言っているだろ」
どうしても、一緒にいるとそんな疑いをもたれてしまうようだ。
アーフィは確かにあちこちで色々な人と会話を楽しんでいる。いい経験になっているようで、俺としては嬉しい限りだ。
幸い、変な男もここにはいないようだしな。
ファリカが苦笑しながら、ボーっとこちらを眺めてきた。
その両目は何かを懐かしむようなものであった。
「酔っ払って倒れても、介抱しないからな?」
そこは譲れないと伝えると、ファリカがテーブルに肘をついた。
誘うような視線を向けられ、俺はそらすしかなかった。
「これでも、それなりに告白されたことがある。絶世の美少女、なんて言葉をかけられたこともある」
「悪いけど、俺は犯罪者にはなりたくないんだ」
「年齢は変わらないと思うけど」
「年齢の問題じゃないんだ。人間ってのは見た目が大事なんだ。視覚からの情報はどうしたって、その人間の評価を決める大きなものだからね。仮に、俺とファリカが並んで歩いている姿を想像してみよう」
「似合っている」
「多くの人は、あ、この男小さい子が好きなんだな、となる。人によってはもっと大きな勘違いをするかもしれない」
「言わせたい奴には言わせておくと良い」
そういってファリカが立ち上がり、俺のほうへとやってきた。
俺は女性には優しいほうだ。
だからこそ、突っぱねるようなことはせずに、正面から彼女の意見を聞こうとおもった。
「待て待て。どうしてそんなに俺に対して好意的なんだ。はっきりいって、ドッキリとか言われてもおかしくはないくらいだ」
「どっきりが何かは知らないけれど、私は……あなただと思っている」
「運命の相手がか? そりゃあまた安い運命だ。俺よりもふさわしい人間はたくさんいるはずだ。だから――」
断ろうとしたところでファリカが手を握ってくる。
ファリカの積極的な態度に、俺もさすがにこれ以上の直視はしない。
……ぶっちゃけると、ファリカはかなり可愛いし、こんな風に接してこられるのは凄い嬉しいけど、疑う気持ちがないわけでもない。
「ファリカ。あんまりこういうことをしないでくれないか。俺はおまえとは良い友達になれると思っていたんだ」
「友達では嫌」
「どうして俺にそんなことを」
「昔、助けてもらったから……覚えていない?」
俺の昔? この世界に来て二週間も経っていないような俺が、この世界の歴史に足跡をつけられるはずがない。
「……たぶん、それは人違いだ」
「声は紛れもなく同じで、顔は……わからないけど、名前はハヤトだった」
……だとしたら、そいつは俺のドッペルゲンガーか何かだろうか。
または、大精霊が俺たちを召喚するときに、何か……こう、精霊の力でコピーを作り、それがこの世界のどこかに放たれ……そしてファリカを助けたのかもしれない。
恐ろしい考えだ。いずれは自分と戦うこととかもあるのだろうか? 自分を越えてみろ! とか、そんな面倒極まりないことはしたくないぞ。
「……悪いけど、それについては本当に記憶にないね。これでも、記憶力はいいほうなんだ。それに、ファリカみたいな容姿の子を助けたら、忘れるわけない。男だしな」
「……そう、なの?」
不安げにファリカの瞳が揺れる。
……そんな顔をされると、少しばかり俺も怯んでしまう。
「一応思い出すように努力はしてみる。何かあったら、きちんと報告する。もしも本当に、ファリカの記憶の中の人間が俺なら、きちんと話もする。けれど、今はお互いの確証が持てないんだ。ファリカだって、似た人に告白するのは嫌だろう?」
ファリカは悩むように顎に手をあて、短く首肯する。
よし、良い子だ、と子どもでもあやすような気分で頷いた。
彼女はどうにも、幼い印象がある。思ったことをすぐに口にし、行動へと移す。
無邪気さは素晴らしいが、暴走気味になる可能性だってある。その当たり、もう少し冷静になってくれれば嬉しいものだ。
「今は確実にわかっていることの話をしよう。そうだ、ファリカがどうしてあのとき狙われていたのか……それについて聞いてもいいか?」
「……うん」
ファリカは短く頷き、少しばかり元気をなくしたような顔で俺の対面の席に座った。




