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第一章 暖かい春風と

「うわっ! もうこんな時間!」

その大きな声で僕は目覚めた。飛鳥のつかんでいるクマのかわいらしい小さな置時計をこっそり覗き見ると現在朝の八時過ぎ。彼女は遅刻の常習犯というほどでもないがなかなかの寝坊率である。僕が知ってる限り最近遅刻が無かったのに重大な今日に限って寝坊をしたようだ。彼女は布団から飛び起き急いで制服に着替え、僕がぶら下がっている大きな旅行カバンを肩に担ぎ急いで一階へと駆け下りた。

「おはよー! お父さんお母さん!」

飛鳥は元気いい声を家中に響かせながらリビングに飛び込み、ついでに家中に響くような大きな音でドアをバーンと開けてしまった。

「おはよう飛鳥。 元気がいいのはわかるが寝坊とドアを傷つけちゃダメだよ」

「ぁう! そんなつもりじゃなかったのについ……」

彼女が少し恥ずかしそうに父親に言う。

「急いでるんだろ? これ持って学校行ってきなさい」

飛鳥は父親が作ったサンドイッチとお茶の入ったペットボトルを受け取り、母親が微笑んだのを確認すると先程の勢いのまま玄関の方へ走り出した。

(こらこら、女の子なんだから歯磨きと顔ぐらい洗っていきなさい。)

僕の声が届いたのかどうかわからないが、彼女は急ブレーキをかけ振り返って洗面台へと突っ込んでゆく。身支度がきちんとできたところで礼儀のよさで有名な公立中学校へ色付きだしたもみじなんか全く見ずに走り出した。


 ざわざわとしている中学校のロビーに飛鳥は走りこんでいった。その土が少し被っているレンガ調の床の上には、白を基調としたスニーカーと履きこなした感じのある白一色の靴下を履いてきちんと制服を着ている生徒たちが居り、これから予測される楽しい出来事の計画について話し合っている様子だった。飛鳥がどたどたと重い荷物を背負った足音を響かせると、足音をひろった生徒たちが彼女の方をちらりと、ほほえましい光景を見るような目で見た。

「はろー飛鳥様! 皆に注目されてるよ!」

「もぉ! おっきい声で騒がないでよ恥ずかしい!」

「恥ずかしいなら学年全員が集まるようなときに遅刻しないことだな!」

飛鳥の親友、というか遅刻仲間の雪博ゆきひろが飛鳥をからかっている声でロビー全体の生徒のほとんどがくすくすと優しく笑い出した。

 飛鳥はこんな目立つような登場をしなくてもいつも目立っていた。サラサラと小川が流れるような瑞々《みずみず》しいストレートのロングヘアーをポニーテールにしており、顔にはパッチリとした目、高くはないがすっと筋の通った鼻、少しふっくらとした頬に浮かぶエクボ。肌は夏の日焼けが少し残っていて薄い小麦色をしている。

 僕は修学旅行の出発が待ちきれなくてそわそわしている生徒たちをぐるっと見て、いつも思うことをふとつぶやいた。

(やっぱり飛鳥は……)

「やっぱり飛鳥はこの中で一番かわいいなぁ……」

周りの誰にも声が届かない僕の変わりに、飛鳥の小学校からの幼馴染である亜夜奈あやなが言ってくれたようだ。

「えぇ?! 亜夜奈のほうが大人っぽくていいじゃん! ってか彼氏持ちにいわれてもなー」

「あんたに彼氏できないこと、私は不思議でならないんだけど」

「おてんばお嬢の相手は疲れそうだからじゃね?」

(さすが遅刻仲間。飛鳥のことちゃんと見てるなぁ)

「失礼ね! 私は……」

「おてんばお嬢様、そろそろ始めていいですかね?」

落ち着きのある若々しい声で彼らのクラス、三年五組の担任の先生が背後から注意をした。


 そして飛鳥は父親が作ったサンドイッチの遅い朝食を食べながら、先生たちの引率で京都へ無事到着してすぐに重い荷物をホテルに残し、彼女は丁寧に僕を重い大きなカバンから小さなカバンへと付け替えた。身軽になった体で沢山の寺社を見てまわってホテルに戻り、朝騒いでいた二人とともに夕食を食べながら今日の楽しかった出来事を話し合った。飛鳥は今日行ったある神社が気に入った様子で学問の神様が祭ってあることをしきりに強調し、しっかりとお参りしてきたから今度の高校入試はばっちりだと確信を得たような口調で話をしていた。僕が見るに飛鳥の成績はよくもなく悪くもなく、といったところだろうか。そんな話が終わらないまま夕食時間は終わり、飛鳥と亜夜奈は同室なためそのまま部屋に戻りつつずっと夕食の続きの話をして、部屋に入ってからも消灯時間ぎりぎりまで盛り上がった。


 次の日の朝、僕は六時に起きた。起きたというより起こされたといったほうが正しいだろう。

「おはようあすか。 昨日は楽しかったね!今日も一緒に楽しも〜う!」

元気の良いハリのある声で飛鳥に語りかけられて起こされた。お寝坊さんの彼女が珍しく目覚ましなしで起きたようだ。僕はそうだねと言い返したが彼女には聞こえていないようで、彼女はすぐさま僕に背を向けて支度をし始めた。僕はこの元気の良いハリのある声が好きで、これからもずっとこの声を聞いていられると思っていたがそれは間違っていた。先程の僕に向けた挨拶が中学時代のハリのある声の最後だった。

 六時半、ベッド横にある備え付けのデジタル時計が鳴り出した。と思った瞬間、ドアを強く激しくノックをする音と担任の先生の落ち着きの無い声がアラームの音を掻き消した。

「世越さん。 起きてますか? 少し話があるのでロビーまで来てください……!」

飛鳥の顔は呼び出されるような悪いことをしたかなぁと考えている様子であったが、彼女は早起きをして身支度が済んでおり、騒ぎで起きた亜夜奈が眠そうな声でどーしたのと聞いてきたが、飛鳥はよくわかんないけど行ってくると亜夜奈の顔を見ずに言いながらすぐに廊下へ出て先生の後を追った。僕を少し震える右手で握って。


「よく聴いてください」

飛鳥が深く沈みこむソフ ァーに座ったとたん先生が話し出した。

「今から先生と一緒に帰ってもらいます」

僕を握る手が強くなった。

「お母さんが倒れたんですか?」

「いえ、お母さんではなくお父さんです」

「え……?」

飛鳥の母親は昔から病弱で、飛鳥を生むときに生死をさまよった体の持ち主であり、倒れて病院へ運ばれることはたまにあった。しかし彼女の父親はとても健康体にみえて、飛鳥の元気の良さは父親譲りであった。

 母親の世話や家事は基本父親がしており、飛鳥はそれを手伝っていたりした。その父親が何故……?過労によるものなのだろうかと僕は一瞬思ったがいつも彼女が良く手伝っているようで過労で倒れることはないだろうと確信していた。

「正しくは、倒れたというより、とてもいいづらいですが……」

「……亡くなられました」




「ぇ……?」


すべての思考が止まった彼女の代わりに僕が聞いた。先生の話によると、今朝母親は目覚ましをかけていないのにふと目が覚め、手元の時計を見ると六時。いつもその時間の父親はすでに色々支度をしたり朝食を作ったりしているはずなのに、何も物音が聞こえない。寝坊するなんて珍しいなと思った母親は起き上がって本が沢山ある父親の部屋に行き、軽くノックをしたが反応が無い。相当熟睡しているのだろうかと思ってドアを開けるとソファーで横になっている父親が居た。何かがおかしいと思った母親が近づくとそこにある顔は真っ青。あわてた母親は救急車を呼んだが時すでに遅し。


「今病院で死んだ理由を検査中なので原因は先生にもわかりませんが、とりあえず今から一緒に病院へ行きましょう」

「……?」

何が起きたのか全く理解ができない、いや、理解したくない彼女の体がとても柔らかいソファーに深く沈みこむ。

 目を閉じる。僕を握った右手を胸の前に持ってくる。左手で僕の頭をゆっくりとなでる。息を深く吸い込む。すべて吐き出す。

 先生が飛鳥の部屋から彼女のコートを持ってきて飛鳥の肩にかけた。彼女は目をしっかりと開いて、あのおてんばお嬢の声ではない落ち着きのある大人の女性のような声を出した。

「行きましょう……」


 父親は仕事と家事とで忙しくしていて健康診断をまともに受けていなかった。彼の死因は末期がんだった。体が弱い為せわしなく活動することができない母親の代わりに御通夜とお葬式はほとんどすべて飛鳥がやり、その他の色々な手続きも母親にアドバイスを受けながらすべて飛鳥が片付けた。忙しい一週間を過ごした飛鳥は忌引きの期間が終わり、学校へ行くことになった。決して寝坊することなく、走ることなく、そして色づき終えたもみじが散る様子も見ることが無く。

 学校へ着いて教室に入ると、一斉にクラスメイト達が飛鳥を見るがそれはいつもの優しい笑顔ではなく、どこかぎこちなくどういう顔をすればいいのかわからないといった表情で飛鳥を見ていた。飛鳥は誰にも目線を合わせることなく自分の席に着いた。

「おはよう飛鳥」

前の席の亜夜奈は普段のやわらかい表情で挨拶をした。飛鳥は落ち着いた声で、エクボがない微笑ほほえみを返した。

「おはようございます」

亜夜奈は少し驚いたようだがあえて何も言わずに前を向いた。チャイムが鳴り、先生が入ってきて出席をとる。教室は何処か暗い雰囲気が漂っていたがそれを爆発させるかのように勢い良くスライド式のドアをバーンと開けて教室中に音を響かせ、一人の男が駆け込んできた。

「はろー! えっぶりわん!」

「左山雪博くん、遅刻」

「せんせー! 今チャイムなったとこじゃないっすか〜」

「残念ながらチャイムが鳴る前に着席しておかないと遅刻です」

「ちぇー」

といいながら彼は明るさを少し取り戻した教室の中を歩き、亜夜奈の斜め右前の席に座ってチラッと飛鳥のほうを見たが飛鳥はこの騒ぎの間ずっとおちついた表情をピクリとも変えなかった。

 その次の日からもずっと彼女は落ち着いた表情だった。哀しさも嬉しさもない顔をして、遅刻や寝坊をすることも無くなった。変わったのはそれだけではなく、家の中での様子も変わった。今まで飛鳥は一度も父親の洋書など読もうとすらしなかったのに、一番左側にある本棚の最上段の本から少しずつ、確実に読み進めていった。


 街路樹の葉はすべて散り地面と枝に雪が積もる頃、生徒達は高校受験の結果に喜ぶものと妥協したものに分かれ、亜夜奈は元々頭がよく順調に第一志望の公立高校に受かり満面の笑みをこぼした。飛鳥は秋の成績では考えられないぐらいレベルの高い高校を志望し合格したが、合格発表の日の飛鳥は周りの合格者のような笑顔がなく、かわりに落ち着きのある顔があった。そして遅刻の常習犯で成績が決していいとは言えない彼が、飛鳥と同じ難関私立高校を受験し、ぎりぎりの点数で受かった。


「よぉ飛鳥様! 高校でもよろしくぅ〜」

「……」

僕は驚いた。彼女は初めて彼を無視した。無言で立ち去る彼女を後ろから追いかけながら彼は必死に叫んだ。

「なんだよ〜。 愛想ねぇなぁ」

「また一緒のクラスになるかもしれないんだぜ?」

「なぁーあす……」

彼女がこれから通うであろう高校の南門から出てすぐの角を曲がって立ち止まったのと同時に彼は叫ぶのをやめた。代わりに、優しい声で言った。

「……泣けよ」

すると飛鳥はまぶたに隠していた気持ちを、まるで子供のように、今までたまっていた悲しさをすべて流し出した。子供のように……?彼女はまだ、中学三年の子供じゃないか!子供が、子供らしく振舞った、ただそれだけ。飛鳥はふっと力が抜け、冷たい雪の中に崩れ落ちた。雪博は雪でぬれることなんかためらい無く飛鳥の後ろの地面に座った。そして彼女が冷たい雪に触れないように抱いて引き寄せ足の上に座らせた。

「泣けばいいじゃん」

再び優しい声が聞こえる。飛鳥の泣き声が聞こえる。

「私が触れてる雪だけ、あったかい……」


 僕は朝食と弁当の中身を手際よく作る音で起きると、台所に立っている新しい制服を着た飛鳥の後ろ姿が見えた。朝食を済ませ支度を終えて、行ってくるねとに言って母親に微笑みを返してもらった飛鳥は玄関を出た。外に出ると、暖かい春風と陽気な雪が待っていた。

飛鳥の中学時代を描きました。そしてそこから大学に行くまでの間、飛鳥の身に何が起きたのかを次に書きたいと思います。

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