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私の理想のお婿さま  作者: ふとん
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私の理想の片思い

 クララがベネディクトと出会ったのは、彼女が一週間ほど仕事で泊まり込み、徹夜続きの仕事がようやく終わって寮に帰る道中でのことであった。

 淑女にあるまじきことではあるが、クララは不摂生が祟って行き倒れてしまったのである。

 そこを巡回中の騎士に助けられ、屯所で介抱された先で空腹のクララに分け与えられたのが、ベネディクトのスープであった。


「落ち付いて、ゆっくり食べるといいですよ」


 誰も邪魔なんてしませんから、と急いで帰ろうとするクララを笑顔で制して、ベネディクトは屯所のまかないである温かいスープとパンを分けてくれたのである。

 まともな食事が久しぶりだとクララが漏らすと「それはいけない」と温かいミルクまで用意してくれた。


 温かい食事に、温かい笑顔のベネディクト。


 胃袋を掴まれたといえばその通りであったが、クララは寮に帰るなりベネディクトのことを調べて眠れなくなった。ただでさえ徹夜続きで行き倒れたというのに。

 その日から彼の名前を口にするだけで、クララの胸は高鳴った。


 これが恋だと自覚するには、十分な症状であった。



 それからというもの、クララは仕事の合間を縫ってベネディクトの姿を探して回り、ようやく声をかけられたと思ったら、このあいだの大失態である。


(今度こそ…!)


 ベネディクトの勤務表は裏から手を回して把握済みだ。

 そして夕刻の時間帯であれば夕食をとりに出払う騎士が多く、屯所に居る騎士が少ないことも知っていた。

 クララはあまり表情が変わらないと言われる顔の内で意気揚々とベネディクトが詰める屯所へと向かった。


「たのもー!」


 威勢よく屯所の戸を叩くと「どうぞ」と返事がかえってきたので遠慮なくお邪魔することにしたクララだったが、そこに居たのはベネディクトではなかった。


「おや、見たことのある顔だねぇ」


 すらりとした長身に金髪の眩しい貴公子然とした男が興味深そうにクララを眺めて微笑む。整った顔立ちに見合った綺麗な微笑みであったが、一見して作られたと分かる笑顔はクララの胸を一つも打ちはしなかった。

 怪訝な顔を返すクララに男は苦笑する。一見すると優雅な高級官僚にしか見えない彼だが、身につけているのは爪襟にコートという騎士に支給される制服である。襟元に光る徽章は隊長を示していた。


「王国きっての才女がこんな場末の屯所にどのような御用かな。クララ・ノース・アルベルト女史?」


 やけに透る声で自分の身分をぶしつけに言い当てられてクララはますます顔をしかめる。だからクララはプライベートでは閉じたままの仕事用の人名録を頭の中で開いて目の前の人物を探し当てた。


「……そうか。貴公はイクシオン隊長か」


 ようやく自分のことを見とめたことに満足したのか、イクシオンは笑みを深めた。この容姿に公爵家の次男坊という身分も相まって、今の社交界で常に話題の中心にいる人物だ。


「あれ、イクシオン。お客さんかい?」


 クララとイクシオンの睨みあいの間に厨房の方から顔を出したのは、案の定ベネディクトであった。

 シャツ姿にエプロンをしているところを見ると、彼は今まさにまかないを作っている最中のようだった。


(この好機を逃してなるものか…!)


 クララはイクシオンのそばを通り抜け、ベネディクトの前へと走り込む。


「あ、あの…!」


「あれ、あなたは…」


 ベネディクトはクララを見遣って少し驚いたようだったがすぐに穏やかに微笑んだ。


「今日はどうされました、お嬢さん。またお腹が空いているんですか?」


 優しく甘い、ミルクティーのような声にクララの勢いは削がれに削がれ、「はい…」とつい蚊の鳴くような声を出してしまう。


「それはいけませんね。少しお待ちください。そろそろスープが出来ますから…」


「い、いえ! そうではなく…!」


 スープは非常に魅力的であったが、クララは当初の目的を遂行するべく自分を奮い立たせて手にしていた紙袋をベネディクトに向かって押しだした。


「こ、これを、受け取って頂きたくて…」


 クララが必死に差し出した紙袋をベネディクトは「僕に、ですか?」と不思議そうにしながらも受け取ってくれ、がさがさと紙袋の中身を確認してくれた。


「芋に玉ねぎ、ああ、香辛料まで。どうしたんですか、こんなに」


 嬉しそうにベネディクトが笑ってくれたことに、クララの心は今にも宙に浮いてしまいそうになる。


「……何度もスープをご馳走になったというのに、お礼もしておりませんでしたので、ささやかですがお礼を申し上げたく…」


 紙袋の中身はクララが懸命に考えた贈り物であった。

   

 クララの給料ならば高級食材から宝飾品に至るまで購入できるし、いっそのこと家の一つも贈りたいほどであったがそれでは金持ちのヒヒジジイが愛人に金を撒くようだと友人のマリアーヌに忠告されたのである。

 ささやかでも心がこもって、スープのお礼として遜色のない物を選ぶようにと。


 クララの集めた情報によれば、ベネディクトは甘い物もあまり好まず、酒もあまり飲まない。そもそも普段から嗜好品に興味のないクララでは彼の好む物を選べる自信が無かった。

 だから、


「す、スープのお礼であるので、やはりここは材料を差し上げて私が消費した分を補って頂くのが一番かと思いまして…」


 必死に弁明するクララの脇でくすくすと笑い声が上がる。今まで黙って様子を伺っていたイクシオンである。何がおかしいのだと怒鳴りつけてやりたいところだったが、ベネディクトの様子が気になって彼を見上げると、彼も苦笑するように目尻を下げていた。


(わ、笑われてしまった…!)


 喜んでもらえたと宙に舞ったクララの心は急激にしぼんでいく。

 日頃マリアーヌに指摘されるように、クララ自身も世間と自分が少しずれているのは自覚しているだけにベネディクトと感覚を共有できないことにクララは猛烈な悔しさと寂しさを覚えた。


(あ、いけない…)


 顔は熱く、恥ずかしさに瞳が潤む。こんなことで泣くなど卑怯だと分かっているのにクララは唇を噛んで耐えなければならなかった。


 は、と誰かが息を呑んだ。そしてふわりと風がクララを撫でたかと思えば、ベネディクトがクララの視界の下に居る。

 彼が床に膝をついたのだと知って、今度はクララが慌てた。


「あ、あの…!」


 気の緩みが目尻にも伝わって、クララの瞳からしずくが一つ零れ落ちた。

 その軌跡を追うようにして、ベネディクトが差し出した手の平にそれが落ちてしまう。


(ああ…なんてことを)


 クララは今すぐ踵を返して走り去りたくなった。いい年をした、それも女史などと呼ばれている女がこんなことで小娘のように失態を繰り返すなど、恥以外の何物でもない。


「お嬢さん」


 覗きこんで欲しくないのに、ベネディクトはクララを見上げて優しく微笑んだ。


「ご不快な思いをさせて申し訳ありませんでした。あなたのお心遣いがとても嬉しくて、つい顔に出てしまったようです。……冷静を常とする騎士にあるまじき失態ですね」


「そ、そんなことは…」


 失態というならクララの方が大きな罰を受けるべきだろう。

 しかしベネディクトは「いいえ」と首を横に振る。


「あなたのようなお嬢さんに悲しい思いをさせてしまうのは、騎士としてあるまじきことです。どうか私にこの失態を挽回する機会を与えてください」


 穏やかな、しかしはっきりとした意思を持った赤茶の瞳に見つめられ、クララの心臓はどきりと鳴る。


「機会…?」


 問い返すクララにベネディクトは今度こそ優しい柔らかいパンのように微笑んだ。


「さしあたっては、スープをいかがですか」



 

 ベネディクトにスープを勧められるがままご馳走になった後になって、彼がクララにとった行動はさながら幼い子供をあやすようだったと知れたが、クララは黙ってスープを味わった。

 今日のミルクと野菜を煮込んだスープは一口目は淡い優しい味がするが、その深い味わいには香辛料が隠れている。

 

――あの、いつも穏やかな赤茶の瞳には優しさだけが詰まっているのではないのだ。

 騎士らしい、鋼のような強い意志をベネディクトは持っている。


 また一つ彼のことを知った喜びをクララはスープと一緒に噛みしめた。




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