私の理想の告白
息抜き連載
「私にスープを作っていただきたい!」
クララの切実、かつよく通る声が響き渡った。
辺りには昼休みのまどろみを中庭で楽しむ人々がまばらに居たが、彼らは一様に会話を止めてクララ達を凝視し、水を打ったような静寂のあとさざなみのようなざわめきがうららかな青空の下に広がった。
クララの様子を端で見ていた友人は天を仰ぐようにして「なんてこと」と溜息とも諦観ともつかない声を上げたし、クララを知る人々は何事かと彼女らに注目する。
そんな渦中にあってただ一人事態を呑みこめていないような顔をしていたのは、誰であろう、クララが今をもってなお思い切りよく頭を下げている人物である。
彼は「ええと…」とのんびりとクララを伺うように彼女を見たが、やがて「ああ」と人の良さそうな顔で頷きを一つ返した。
「このあいだの、スープのお嬢さんですね」
スープのお嬢さん、と呼ばれてクララがばっと顔を上げると彼はゆったりと微笑んだ。
「またお腹が空いているんですね。いいですよ、ちょうど屯所に作り置きが…」
「あ、あのそうではなく…」
今にも屯所へと踵を返してしまいそうな彼の制服のコートの端を掴むように、クララが何とか引き留めの言葉をかけるが、
「ご心配なく。あなたのようなお嬢さんがいくら食べたところでスープの鍋が空になることはありませんよ」
彼の清々しいまでの笑顔に、クララは何も言えなくなった。
「……そうですか。ではまたご馳走になります」
「はい。遠慮なくどうぞ、こちらへ」
クララは礼儀正しいエスコートを受けて、屯所へと着いていく。その後ろ姿はいつもと変わらぬ姿勢の良い姿だったが、心なしか肩を落としているようにも見えた。
結局クララはスープをたらふくご馳走になって、職場へと戻ることとなった。
ベネディクト・クラウドという人物は平凡を絵に描いたような騎士である。
紅茶というには薄く、牛乳というには色づいた、薄ぼんやりしたミルクティー色の髪に、穏やかな赤茶の双眸。背はいくらか高いものの顔立ちはどちらかといえば整っているのに雰囲気は平凡そのものである。今年三十になるが未だに平隊士という身分においては、ベネディクトは異色の騎士であった。騎士の叙任は十八歳前後が普通だが、彼の場合は二十七の時。今から三年前という遅咲きの騎士である。かといって、遅咲きという以外にベネディクトについて特筆すべき経歴はなく、彼に特別な感想を抱く者は少なかった。
そんな彼に、クララは悩まされていた。
仕事を終えたクララは友人のマリアーヌの待ち伏せに遭い、寮から少し離れたレストランの奥で酒を奢られていた。
しかしテーブルに置かれたジョッキの発泡酒には目もくれず、クララはテーブルの木目を数えている。
「……何がいけなかったのだろうか」
沈痛な面持ちのクララを見遣って、マリアーヌはジョッキを片手に息をつく。
「スープを作って欲しいとか、そりゃ勘違いされるわよ。というかそもそもいきなりプロポーズまがいの告白って何してんの」
マリアーヌの冷静な分析にクララは目からうろこが落ちたように目を見開いた。
「そうか…!」
「やっと分かった?」
マリアーヌの胡乱な眼を受けてクララはジョッキを手にした。
「スープを毎日作って欲しいと言わなければならなかったのだな…!」
「……お酒おかわりー」
やっぱりこいつは何も分かってない、とマリアーヌはウェイトレスにジョッキを掲げた。
クララ・ノース・アルベルトといえば、王国きっての才女であった。
貴族の娘でありながら、大学で首席を修めて宮廷に入り、並居る秀才を押しのけて財務長官補佐に昇りつめた近年稀に見る出世株である。
将来は王国初の女性長官も誕生かと噂されている彼女であるが、
「なぜだ…。彼のように気配りが出来てスープの上手い男性と結婚したいと思うのは女として当然ではないのか」
クララは世間の常識とは少し外れた価値観の持ち主であった。
「まず男に求めるのは地位と財力と顔でしょ、フツー」
マリアーヌも貴族の娘で侍女として出仕している職業婦人であるが、文官として勤めているクララとは立場も仕事も違う。
「顔はどうでもいいが、地位も財力も必要なら私が用意する」
「……アナタの場合はそうなんでしょうね」
今の時点でも、クララの給料は平隊士のベネディクトの給料を上回るのである。きっと出世もクララが一足先だろう。
クララは才女であるし不美人でもないが、なまじ地位と財力があるが故に男性から距離を置かれていることもマリアーヌは知っていた。
「もしも彼が働けなくなっても私が一生面倒を見るし、不自由はさせないぞ」
「……それ、絶対言っちゃダメよ」
マリアーヌは悪気のないクララの告白に嘆息して、今日はもう酒をあおることにした。
少し修正しました。