37最終回「幼女ワールド」後編
「ダゴン!! それにウルフィーも!」
ジェンシーが、西の魔女の傍に駆け寄った。タコ男・ダゴンもジェンシーにくっついてこちらに歩いてきた。
マオが立ち上がって、ウルフィーとダゴンに向かい合った。
「私たちを……助けてくれたの?」
「げっ、金髪の剣士!! おめえと戦いに来たんじゃねーぜ!」
ジェンシーがかぶりをふった。
「もう和解したんだよウルフィー。敵同士じゃないの」
「うん?! 俺らがいねー間に何があったんだぜ?!」
僕はほっと息をついた。胸に引っかかっていたものが、ひとつとれた。タコ男は死んではいなかった。
「タコ男……お前、生きていたんだな」
「どーーしたーーのーー?」
タコ男が言った。狼男が犬歯を見せて笑った。
「ダーゴンはそんな簡単にはくたばらねーぜ。頭さえ残ってりゃなんとかなるからな。それに俺も、ダーゴンの匂いを探すのはわけねーぜ」
狼男は得意げだった。
「ふざけやがって……」
化け物の声がした。化け物が再び再生し、立ちあがった。
奴は……不死身なのか?!
「また俺様の邪魔をするのか……このタコがああああああああ!!」
叫びが僕の耳に届く頃には、すでに怪物はタコ男に掴みかかっていた。タコ男もそれに応戦した。いや、『応戦しているだろう』ということしかわからなかった。
白い怪物もタコ男も、あまりにも動くのが速すぎる! 高速の何かが、激しくぶつかり合っていることぐらいしか、僕にはわからなかった。
「なんかもう、タコ男だけでいいんじゃないかな」
僕が言った。ジェンシーがかぶりを振った。
「ダメだよチヒロ。前にあの化け物をおさえこんだ時には、ダゴンだけじゃなくて、この城にいたたくさんのモンスターの力も必要だったの」
マオが頷いた。
「そっか、他のモンスターはみんなあの化け物に倒されちゃったから……」
「それだけじゃないよ、マオ」
リュシンが続けた。
「あのモンスターは不死身……きっと疲れるのを気にせず戦えるんだ……でもあのタコのモンスターはーー」
リュシンの言葉通り、僕の眼前でタコのモンスターが膝をついた。
それは一瞬のことで、すぐに高速の戦いに戻って行ったが、あきらかにその一瞬ペースは落ちていた。
ジリ貧だ。このままいけば、遠からずタコ男もあの化け物に倒されてしまう。そうなったらもう、打つ手はない。
今、タコ男がまだ戦えることの時に、決着をつけるしかない。
だがどうやって? あの化け物は不死身で、僕たちはあまりにも非力だ。
まして僕はーー
「ーーよく見なさい、チヒロ」
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僕のかたわらに、姉さんがいた。
「見る?」
「そうよ。あなたにはもうわかっているでしょう? だから私はあなたに教えられるのよ。あなたがわかっていることしか、『あなたのイメージである私』には伝えられない」
「見るっていうのは……つまり僕の能力のことだよね? 『神の視点』……」
「答えはイエスであり、ノーでもあるわ。たしかに私が言っているのは、『あなたの能力』のこと。でもそれは、けっして『神の』ものではないわよ」
ああ、それはなんとなくわかった。
僕の能力だから、それは『神の』視点ではない。どれだけ客観的に周囲を見ているつもりであってもだ。だけどそれは、何を意味するんだ?
「ねえチヒロ。あなたはいったい、ダンジョンの中で何を見てきたの?」
「ダンジョン……そうか」
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はっと我に返った。
タコ男と白い化け物の、不可知の戦いは続いていた。だがもう長くは続かないのだろう。時間はない。
だけどもしかすると、それほど時間は必要ないかもしれない。
姉さんが僕に伝えたかったことが確かなら。……いや、僕が『直感したこと』が確かなら……!
「いけるかもしれない……マオ! リュシン!」
二人が僕を見た。
「策があるの? チヒロ!」
マオが言った。
「西の魔女のダンジョンの中で気がついたんだ。『世界』と『僕たち』は、切っても切れないものなんだって。だとしたら、それは僕たちみんなの認識が、いま『この世界』を創ってるのかもってことでもあるわけだろ」
「難しくてよくわかんないよ……チヒロぉ……」
マオがしかめっつらをした。かわいい。いや、今はどうでもいい。
「つまりさ、この『世界』ってのは『僕たちみんなのダンジョン』かもってことだよ! だとしたら、それを深く認識することが僕の能力でできるはずだ! 僕の能力では現実を変えられないけど、変えるために何をすべきかはわかるはずだ!」
リュシンが『僕たちみんなのダンジョン』という言葉で、はっとした表情になった。
「この世界に……この世界そのものに『心世界行』するってことですか?!」
僕は頷いた。そしてイメージした。
この空間に、『心世界行』するイメージ。みんなの認識している『この世界そのもの』に潜っていくイメージ!
そして同時に、この空間そのものを俯瞰するイメージ!
「『超越世界行』!!」
自分の体から、一度『視点』飛び出した。
そしてそれは、この世界に飛び込んだ。見える全てが一度形を無くし、『僕たちみんなのダンジョン』としての形が現れた。
一見するとそれは、僕の視点とほぼ変わらない世界だった。
違いがあるとすれば、タコ男と白い怪物の戦いがはっきり認識できているということぐらいか……。
「どうチヒロ?」
リュシンが僕に尋ねた。
「あ、ああ……」
はっきりと、落胆が僕の心に現れた。タコ男が手数で白い怪物に押され始めていることもよくわかった。わかったところでどうなるというのか。
「すこしはよく見えるようにはなったけど……劇的には変わらないな……」
「たぶん、タコさんの視点も混ざっているからよく見えるのでは」
そうなのだろうな。
他に何か変わったことと言ったら……いや、待て。
「あの怪物……なんか動き方がおかしいんじゃないか……?」
「動き方?」
「なんというか……不自然だ。あんなに素早く動いているのに、どこかぎこちないというか……」
白い怪物が、タコ男を投げ飛ばした。
タコ男が壁際で受け身を取り、白い怪物はそこに一気に間合いを詰めた。
その瞬間にはっきりと『見えた』。違和感の正体が。
「あの怪物、何かにひっぱられているみたいな……」
世界が変わった。
色彩が大きく乱れた。世界から色が消えた。僕たちのおぼろげな影と、無数の張り巡らされた『糸』の震えを感じた。
なんだ?! 何が起こった?!
「この糸は……なんだ?!」
僕の声に、糸の何本かが震えた。
『視点』がそちらを見た。僕らしきおぼろげな影を、その『視点』がとらえた。
「いまぁ……なんつったんだぁぁぁぁぁ?!」
白い化け物の声が響いた。
そうかーーわかったぞ。この『視点』は、あの白い化け物の『視点』なんだ! あいつは糸と音で、この世界を見ているんだ!
そう認識できた瞬間、化け物の視界も僕たちの世界に重なった。
世界に色が戻り、そこには無数の糸によって操られた白い化け物の姿があった。白い化け物は、いまやはっきりと僕を見ていた。
「今!! なんつったんだよぉぉぉぉ、てめぇぇぇぇぇぇ?!」
白い化け物が僕を指さした。
その動きは、完全に糸によって操作されていた。
糸はこの部屋全てに無数にはりめぐらされていた。糸は窓を飛び出して、はるか空の先までも続いていた。
「マオ! リュシン! わかった! あいつは『糸』に操られてる! あいつは人形だ、操り人形なんだ! 不死身なんじゃなくて、本体じゃなかったから倒せなかっただけなんだ!」
僕がそう言うと、マオとリュシンがはっとした。
「ほんとだ! 『糸』が……何?! 急に見えてきたこれは何?!」
「たぶんチヒロの力だよ! いまこの空間は、チヒロのダンジョン能力の影響下にあるんだ!」
白い化け物が、僕に向かって飛び出した。
動きは見えるようになったが、しかし僕の能力の弱点は相変わらずだ。つまり、見えても動けない!
しかしすぐに、タコ男が僕の眼の前に割り込んだ。
「いーーかーーせーーなーーいーーーー!」
タコ男が化け物を抑え込んだ。
サンクス、タコ男!
「糸の怪物……わかったよ、マオ! あいつの正体……」
リュシンが言った。
「伝説上のモンスター、マリオネット! 操り人形のモンスター……本体を倒さない限り、無限に再生する不死のモンスターだよ!」
「本体?! 本体なんてどこにあるの?!」
リュシンが糸を掴もうとした。しかし手が糸をすり抜けた。
「本体は……この『糸』なんだ! 空間に張り巡らされた『糸』そのものが、マリオネットの正体なんだけど……!」
だけど、掴めない。マオの手も、糸に触れようとして空を切った。掴めない糸をどうやって断ち切るのかーー
「この糸を……切ればいいんだねっ!!」
マオが剣を天に掲げた。
「剣よっ!! この『糸』を褒めなさい!!」
剣から、赤いエネルギーがほとばしった。赤の稲妻が、糸を次々と貫いていく。
『マリオネットさんの糸って、すっごく存在感がありますね〜!!』
頭に直接声が!
魔剣の稲妻に打たれた糸が、それ自体赤い光を帯びて輝き始めた。
張り巡らされた糸が、朱に染まっていく。そのうちの一本が、僕の手に『触れた』。そういうことか!
「なんだぁ?! 何をした、女ぁ!!」
「あなたの『糸』に少しだけ力を与えたんだよ! それで糸が『はっきりしたモノ』に変わったんだ!!」
マリオネットが怒りに歯をむいた。そしてマオの方に飛ぼうとした。しかし、マリオネットは飛べなかった。マリオネットの腕をタコ男が掴み、その糸を狼男、それから壁際でボロボロになりながらも立ち上がったアーサーが掴んでいたからだ。
「はなせえええええええ!! 下等生物どもがぁぁぁぁぁぁあああああああ!!」
「もう遅い!! あなたの狼藉はここまでだよ!! 誉め殺しのーー」
「やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
マオが剣を振り上げた。
マリオネットが絶叫した。
「魔 剣ーーーーーーーー!!」
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最終回「幼女ワールド」後編
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目が覚めてまず見えてきたのは白い天井だった。
体の感覚がない。ない、というよりは、痺れていると言ったらいいのかもしれない。体全体が痺れーーって、くっ、苦しい!! 何ぞ?! 何ぞ?!
「ぜひゅっ」
変な声が口から漏れた。
息ができなかったのだ。それで急に吸おうとしたが、うまく吸えなかった。
何かが口にはまっていた。呼吸器……?
「千洋…………?」
僕の傍に、姉さんがいた。
呆然とした顔で僕を見ていた。
「あれ? どうしたの姉さん……なんちゅー顔してんのさ……」
姉さんが歯を食いしばった。え? なぜここで怒るんだ?
「バカなこと言ってんじゃないわよ……こっちが……こっちがどれだけ心配したと思って……思ってるの……」
歯を食いしばったのは、怒ったからではなかった。
泣いていた。
姉さんが、あの厳しくも厳しい(つまり厳しい)姉さんが……。
目が覚めてから1週間がたった。
僕がいたのは病院だった。なんでも交通事故で頭を強く打って、昏睡状態になっていたらしい。意識が戻ったのは、半ば奇跡的なことだったようだ。あらためて考えてみても、信じがたい話ではある。
今いるのはテラスのような場所だった。もう体は何ともない。少々の打撲は残っているが、それだけだ。あとは精密検査で脳に損傷がなければ、退院できる。
ベンチに座った僕の眼の前を、幼女が楽しそうに走り過ぎた。
「こら由美、走らないの!」
後ろから病衣に上着を引っ掛けた姿の母親がやってきて、幼女を注意した。
微笑ましい光景に思わず頬が緩んだ。そして不意に、何かが心にひっかかった。何かを忘れているという思いがあった。
ただそれが何なのか、僕にはよくわからなかった。
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「チヒロ、帰っちゃったね」
夕日が射す道を、マオが歩きながら言った。
「うん」
リュシンもまた、歩きながら言った。
「きっと、チヒロには帰る場所があったんじゃないかな」
「そうだね……」
マオがうつむいた。そして少し深呼吸してから、言った。
「じゃあまた、二人旅にもどるんだね」
リュシンもまた少しうつむいて、頷いた。
「う、うん、ソーダネ」
最後が棒読みになった。
それからしばらく、二人は無言のまま歩いた。
しばらくたって、リュシンがマオの左手に触れた。マオはその手を、おずおずと握り返した。
そしてまた、無言のまま歩き続けた。
「マオ様ーー!! マオ・クエスタ様ーー!!」
前方から、おかっぱ頭の幼女騎士・リネットが手を大きく振りながら走ってきた。
「解けました! 呪いが解けました! 倒したのですね、西の魔女を!」
リネットは二人の眼の前で、体全体で喜びを表現した。手足爪の先まで、輝きに溢れていた。
「って、どうしたのですか? お二人とも顔が赤いしうつむいて……病気?! それとも疲労なのですか?!」
「えっ! ち、ちがうの! なんでもないよリネット!」
「そ、そうだよ! これは……夕日! 夕日のせい!」
マオとリュシンが汗だくになりながら取り繕った。
夕日が道を赤く照らしていた。
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街を赤く染まった街を見ながら、僕は考えていた。
僕が何を思い出せないのか、それはまだわからない。もしかすると、ずっと思い出せないまま終わってしまうのかもしれない。
だけど、これは思うんだ。そしてもう、忘れたりはしない。
『世界』と『僕』は切り離せない。
『世界』と『僕たち』も切り離せない。
そうであるなら
『僕』を少しでも変えられるなら、『世界』も少しは変わるだろう。
『僕たち』が変わることができるなら、『世界』だってそうなのだろう。
なんでそう思ったんだろう? 死にかけたことと何か関係があるのだろうか? そしてこの思いは、これからの僕の人生でどんな風に遂げていったらいいんだ?
それはまったく、今はまったく、わからないんだけれどーー
それでも僕は、信じたいって思うんだ。




