26「世界の果てとロリコンワンダーランド」その3
反射的にお互いが後ずさった。
何が起こったか咄嗟にはわからなかった。咄嗟にはわからなかったが、それは西の魔女にとっても同じだったらしい。ひどく狼狽した顔持ちで僕を見ていた。
「何?! 何なの?! 何なのよ!」
西の魔女が言った。
僕も同じことを思っていた。
何。何なの。何なのよ。
西の魔女が右手で胸の上を、左手でスカートの上を抑えた。
「ま、また覗きにきたってわけ?! 変態!」
「違う! 誤解です!」
「真っ裸であらわれて何が誤解なのよ?!」
え?
僕は自分の体に目を向けた。あっ……そうか、温泉に入っていたんだっけ……。
全身に火がのぼってきた。あわてて西の魔女に背を向ける。ぴっちりと足を閉じてしゃがみこんだ。死にたい。
「変態! 変質者! 露出狂! 私に手をだそうったって、そうはいかないわよ!」
「ちがいますほんとうにそんなつもりじゃなかったんです」
「何が違うのよ?! 殺してやる! 殺してやるんだから!」
「いっそひとおもいにころして……」
うな垂れた。風が僕の股を通り抜けていく。
重たい沈黙が続いた。沈黙……いや、そもそも西の魔女はまだ僕の後ろにいるのだろうか。とっくの昔に逃げ出したのではないだろうか……。
「……本当は今すぐにでもここから走り去りたいところなんだけど」
西の魔女が言った。まだそこにいるのね……。
「聞かなくちゃいけないことがあるのよ。あなた達を倒しに行ったジェンシーが帰ってきてない。ジェンシーをどこにやったの?」
ちらりと後ろに目をやった。西の魔女と目があった。
「探しているんですね……やっぱり」
きっ、と彼女が僕を睨みつけた。
「知っているのね! ジェンシーの場所を! あの子に何をしたの!」
「何もしてません」
「嘘よ!」
「嘘じゃない!」
僕はかぶりを振った。西の魔女が疑惑の眼差しを僕に向けた。
「ジェンシーと僕たちが戦ったことは確かです。でも遭難してしまって、今は一時休戦中なんです」
「遭難?! ジェンシーが?!」
「でも無事です。今頃仲良く温泉に入っていると思いますよ」
「おんせん?」
「かわいかったですよ、ジェンシーちゃん」
西の魔女が僕の首に手をかけた。
僕の口から変な声が漏れた。
「ぎゅえっ」
「殺してやる!」
「ち、違う! 誤解です!」
「真っ裸で何が誤解なのよ! 絶対あんたも入っていたでしょ! ジェンシーに何をしたのよ!」
「な、何も! いや本当に何もしてない!」
「でも裸を覗いてたんでしょ!」
「覗いてました」
首にかかる腕に力がこもった。万力のように僕の首が締め上げられていく。息が! 息ができない!
振りほどこうと体に力を込めたが、体が動かない。
そういえば西の魔女に対する攻撃は無効化されてしまうのだったか。
「やめっ……そもっ……ジェ……おとっ(やめてください。そもそもジェンシーは男じゃないですか)」
「え?! 何言ってるか聞こえないわよ!」
「だ…や…ほん(だからやめてください本当に死んでしまいます)」
数秒後、僕は落ちた。
ーーーーーーーー
体が何かに包まれているような感覚があった。背中は何かに押し付けられていた。
目をさますと、僕は黒い外套で首から下を覆われていた。
体は動かなかった。後ろの方を見るに、コートの袖で木の根本にくくりつけられているようだった。
「目が覚めたみたいね」
「このコートは……」
「あなたのために掛けたわけじゃないからね。これ以上セクハラされたくなかったってだけ。勘違いしないでよね」
まあそうでしょうね。
「もう一度聞くわ。ジェンシーはどこ? あなた達はジェンシーに何をしたの?」
「答えは同じです。僕たちとジェンシーは休戦中です。いる場所は温泉」
西の魔女が冷めた目線で僕を見下した。
「信用すると思う? 私があなたを」
「俺は信用してもいいんじゃねえかと思うんだぜ」
西の魔女の背後から、狼男がぬっと現れた。
「きゃぁぁぁぁぁいぬぅぅぅぅぅぅぅぅ」
西の魔女が驚異的な反射神経で前に飛び跳ねた。木の根につまずいて僕に倒れ掛かり、勢いよく僕のコートをひんむいた。
「いやぁぁぁぁぁぁぁ裸ぁぁぁぁぁぁぁ」
またしても驚異的な反射神経で僕に踵を返した西の魔女が背後に控えた狼男にこんにちわ。
「いぬぅぅぅぅぅぅぅぅ」
驚異的な反射神経以下略。
「はだかぁぁぁぁぁぁぁぁいぬぅぅぅぅぅぅぅはだかぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
ーーーーーーー
「前にぃ! 殺されそうになった時にぃ! そいつに助けられたことがあってぇ!」
やや離れたところから、狼男が大声でこちらに呼びかけた。どうも西の魔女は犬が大変に苦手なようだった。あれは犬ではないと思うが……。
それにしてもあの狼男、ずいぶん久々に見た気がする。たしか以前に、森の木にくくりつけて放置した記憶がある。
「敵ではあるがぁ! 悪い奴ではないと思うんだぜ!」
西の魔女がちらりと僕を見た。そしてすぐ目を逸らした。
「その! 温泉の場所は! あんたわかるの?!」
西の魔女が叫ぶように呼びかけた。
「このあたりの温泉ならぁ! 何ヶ所かぁ! 心当たりがあるぜ!」
西の魔女がまたちらりと僕を見た。すぐに目を逸らした。
「わかったわ。とにかくそこに行ってみることにする。そこの犬! こいつを縛って連れて行きなさい!」
西の魔女が僕から離れて、かわりに狼男がやってきた。
狼男は僕をコートの袖で縛り直し、担ぎ上げて歩き出した。
「助かった」
西の魔女に聞こえないような声で狼男に話しかける。
「勘違いすんじゃねーぜ。借りを返しただけた。これで貸し借りなし、元の敵同士だぜ」
「僕のこともだけど、あいつらのこともだよ……」
ああ、と狼男が言った。
「ジェンシーちゃんにダゴンに、それからお前の仲間のことか。あー、思い出した。あの金髪の剣士も一緒なんだよなぁ……行きたくねぇなぁ……」
「ダゴン……あのタコの……?」
「もう二度も斬られてるからな……普通に死ぬかと思ったぜ……」
「タコのモンスターはーー」
狼男が少し歩調を緩めた。
「タコのモンスターは、爆発に巻き込まれて……行方不明になった……」
狼男が歩みを止めた。
「爆発から……ジェンシーと僕の仲間をかばって……」
「……それで?」
「わからない。どうなったかは誰も見てない……」
しばらく立ち止まったのち、狼男が呟いた。
「そうか」
そしてまた歩き出した。
ーーーーーーーーーーー
空が赤紫に染まってきた。鳥が鳴き始めている。朝が近いのだろう。
岩山を登る途中で、狼男が突然駆け上り始めた。
「え?! 何だ?!」
「におった。ジェンシーに、あの金髪剣士の匂いだ!」
ジェンシーにマオか!
この近くに……。
岩山のてっぺんに狼男がたどりついた。反対側の斜面の下に、よく知った面々がいた。マオ、リュシン、ジェンシーだ。よかった、服はもう着ている。
「チヒロ!!」
リュシンがこちらに気づいて駆け出そうとした。その前にマオがさっと手を出して引き止めた。
「待って! あのモンスター、前に見たよ! 西の魔女の手下だ!」
ジェンシーが走り出した。
「あっ!」
マオもそれに気がついたが。止めるには遅すぎた。
「ウルフィー!」
ジェンシーが狼男に近づいてきた。
「帰ってくるのが遅いわよ! ジェンシー!」
声が響いた。
ジェンシーがそれに気がついて、声の主に抱きついた。
「桃ねえ! ごめんなさい! ごめんなさい!」
「……心配させないで……」
西の魔女がジェンシーの頭を抱き寄せた。ジェンシーを抱き寄せながら、その目は斜面の下にいるマオを見据えていた。
「あの子……街で見た気がするわね」
「気をつけて桃ねえ。あいつらは桃ねえと戦う気だよ。それにけっこう強かった……」
「大丈夫よ……ジェンシー。私の能力は、誰にも負けないから……」
西の魔女はジェンシーにとどまるように指示を出した。自身はゆっくりと前進していく。マオに向かって。マオも剣を引き抜いて構えた。
担がれた状態ではよく見えない。『神の視点』!!
「また会えたね! 西の魔女……!」
視点をマオの近くまで飛ばした。リュシンがこっそりと、マオに言った。
「あの人の能力の弱点がまだわかってない……様子を見て、マオ」
「わかってる」
西の魔女が近づいてきた。
「ねえ……この世界の子たちは、どうしてそんな物騒なものばかり構えているの? あなたみたいなかわいい子には……そんなの絶対似合わない」
「戦いをしかけてきたのはそっちが先でしょ! 誉め殺しの魔剣!!」
赤い剣戟が魔女に飛んだ。しかしすぐに失速した。
「無駄……。どんな攻撃も、私には届かない。パラドックス オブ ゼノンは、無敵よ」
ふふふ、と魔女が笑った。
「どんな服が似合うかな? ワンピース? いや……スパッツという手もあるわね……」
マオとリュシンが走り出した。西の魔女から離れた場所から、斜面を登っていく。
「そういうのをなんていうか知ってる? 『クリアしてないクエストの報酬』!!」
マオが西の魔女に向かって叫んだ。
『とらぬ狸の皮算用』的な意味の言葉か?
「誉め殺しの魔剣!!」
「だから無駄だってーー」
マオが放った赤いオーラは、斜面の上の方にあった岩を砕いた。砕かれた岩の破片が斜面を転がっていく。
「ーー言ってるじゃない」
斜面を転がった岩の破片が失速していく。間接的な攻撃も無効にできるようだ。隙がない。
「遊びはもう、おしまいよ!」
西の魔女がマオに向かって手を伸ばした。マオが意図に気がついて、リュシンを突き飛ばした。
「逃げて! リュシン!」
西の魔女の周囲に、桃色に輝く領域が顕現した。
「ダンジョン! 『幼女理想郷』!!」




