21「ドキドキ! 敵と入る露天温泉」その4
どうする?!
周囲は大河だ。逃げ道はない。高速移動する船に追いつけるということは、生身の僕らが泳いで振り切るのは不可能ということだ。
そして……マオも問題だ。水が苦手なマオが水中に落ちれば、普通に溺死する。
「さあ、覚悟して!」
赤毛幼女が得意げに言い放った。覚悟? 冗談じゃない! なんとしてでも生き残ってやる。最悪土下座だ。幼女に土下座だ。
と、僕が考えているとマオが立ち上がった。
「悪いけど……ここで負けるわけにはいかないの!」
マオが誉め殺しの魔剣に手を伸ばした。
「だ、だめだよマオ! 今それを持ったらーー」
マオは剣を手に取ると、ひざを落とした。剣……そうか、誉め殺しの魔剣の呪いか! マオも弱気になってしまえば、呪いの効果をもろに受けてしまうのか!
「誉め殺しの……魔剣!」
マオが剣を薙いだ。弱々しい赤い光がタコ男に当たって砕けた。
「どうしたの? さっきより全然弱いじゃない!」
赤毛幼女が嗤った。リュシンが僕のすそを引っ張った。その手は震えていた。
「やっちゃえ、ダゴン!」
ダゴンの腕が伸びて、マオに迫った。
マオが突き飛ばされた。リュシンに突き飛ばされた。ダゴンの腕はリュシンに絡みついた。
「リュシン?!」
リュシンがタコ男の手に渡ってしまった。今度こそ本当の人質だ。
「やだ……また私が……臆病なせいでっ」
マオが立ち上がる。
「そんなのは! もうやなの! 誉め殺しのーー!!」
「今その技を使えば、人質がどうなるかぐらいわからないかな! この勝負はあなたたちの負けなの! 負けなら負けでおとなしく負けなよ!」
ジェンシーが牽制した。マオが顔を歪ませながら腕を止めた。
「わ、悪いけど……簡単には負けられないよ……」
苦しげに呟いたのは、リュシンだった。船が嫌な振動を始めた。
「はあ? あなたには何もできないでしょ? 手も足も動かせないくせに!」
「チヒロ! マオを連れて川に潜って! 今すぐに!」
船の振動が大きくなった。今動かないとまずい! 何かが!
僕はマオを抱きかかえると、船から飛び降りた。
「何をしーーー」
潜っていく。深く。真上で船が爆発した。水の壁が、上から僕らを押しつぶそうと迫ってきた。水底に叩きつけられる。
何かが起こった。リュシンが何かを起こした。リュシンは無事なのか? 何を起こした? 船を爆発させた?
僕は水底を蹴って水面を目指した。マオが必死に僕にしがみついている。
一刻も早く状況が知りたい。
神の視点!
水面には船の残骸が散らばっていた。
リュシンは?
船の残骸が流されていく。大河の幅が狭くなり、流れはさらに早くなっていた。非常にまずい。
能力を切って、視点を自分に戻した。水面を顔が突き破った。
流れが速い。とにかく岸だ。岸に向かわなくては。
マオは気を失っていた。
辺りを見回す。誰かが船の残骸にしがみついていた。リュシンだった。よかった、無事だったのか。しかし向こうには行けない。流れに逆らって泳げば命取りだ。
「助けっ……だっ……だれかったすっ」
切れ切れの悲鳴が聞こえてきた。
赤毛が水面に見え隠れした。赤毛幼女か!
僕はーー
ーーーーーーーーー
苦しい。
何がなんだかわからない。
足がつかない。どこまでもどこまでも沈んでゆく。
水が口に入ってくる。
助けて!
誰かーー
誰かの手が差し伸べられた。
すがるようにその手を掴むと、その人は力強く私を引き上げた。
銀髪の人。
その人は、驚いたように私を見た。
ーーーーーーーーーーー
目を開くと星空が飛び込んできた。月が異様に明るい。
波の音がした。
僕は川岸に横になっていた。
死に物狂いで岸までたどり着いて、そのあと意識を失っていたらしい。
どうも最近……おかしな夢ばかりを見る。
傍に、マオと赤毛の幼女がいた。どちらもまだ目覚めていなかった。
「……無茶なことをして……すいませんでした」
リュシンの声がした。上体を起こして振り返ると、リュシンがうずくまっていた。
「いや、ああするしかなかったんだろ? それよりも怪我はないのか? あれだけ至近距離で爆発させて……」
リュシンがうつむいた。
「あの怪物が……ボクをかばったんです」
あの怪物。タコ男か……。あいつ、また自分を盾にしたのか。
僕らを倒しに来たはずなのに、追い詰めていたはずなのに、土壇場になると自分を投げ出してしまう。どこまで優しいんだ、あの怪物は……。
「それで……タコ男は、どうなったんだ」
リュシンは首を振った。
「わかりません……爆発の直前にボクを放り投げて……それからは、よく見えなかった……」
「そうか……」
風が吹いた。
足が震え始めた。
マオが隣で起き上がった。
懐に、誉め殺しの魔剣を後生大事に抱え込んでいた。
「マオ、その剣……とりあえず今は置いておいたほうがいいんじゃないか」
マオはかぶりを振った。
「……ごめんなさい……チヒロ……リュシン……。ごめんなさい」
「マオのせいじゃないだろ」
「マオのせいじゃないよ」
マオは俯いた。俯いて、何も言わなかった。
隣でもう一人が、うめき声をあげた。
「う……ううん……」
僕は彼女の顔を覗き込んだ。
「大丈夫か?」
「ううん……?」
一瞬惚けたような表情で僕を見つめた彼女は、大きく目を見開いた。
「え……え? どうして?」
飛び起きた。
慌てたように僕から離れた。
「……助けたっていうの……? な、なんで?!」
僕はかぶり振った。
「僕もよくわかんないよ。ただあの時は必死で……とにかく体が動いてたんだ」
赤毛の幼女は、口をぽかんと開けて僕を見つめた。
しばらく僕たちは、誰も何も言わなかった。
みな動きを止めていた。
そのうちにまた風が吹いて、僕らからなけなしの体温を奪っていった。
「寒い……な……ここはさ……」
僕が呟いた。
そのときだった。
「ポポポポ」
どこかで聞いたような音がした。
音がした方向に目を向けると、川のすぐ近くに小さな人形の何かがいた。身長30センチほどの、三頭身のカラフルな生物たちだった。
「ポポ」「ポポポッ」
何かを僕らに言っていた。
「コロポックリ……ここにもコロポックリがいるのね」
赤毛幼女が言った。
コロポックリ……そういえば、いつぞや森で見た記憶が。
「悪いモンスターじゃない……。好きにさせておいたら悪さはしないし。川が豊かなしるし」
なんか前聞いた時と微妙に違う気がするな。
「ポッ。ポポー」
コロポックリ達が、僕らに背を向けて歩き出した。
「案内するって……言ってる」
赤毛幼女が言った。
「案内……? ってちょっと待って! 君あいつらの言ってることがわかるの?!」
赤毛幼女が頷いた。
「モンスターの言っていることは、だいたいわかる。そうじゃなきゃ、命令もできないでしょ」
それはそうだが……。
赤毛幼女がコロポックリ達について行って歩き始めた。
立ち上がった僕の手を、小さな手が引き止めた。
「信用するの……? あの子を……」
マオが言った。
それはそうだ。罠だという可能性は、大いにある。一度は僕らを倒そうとした子なんだから。
それでも……。
「あの子をっていうか、コロポックリのことをかな、信じるとすれば。とにかく、ここにいても風邪をひくだけだしさ」
向こうで、コロポックリと赤毛幼女が立ち止まっていた。僕らを待っているらしい。
「行こう、マオ。チヒロの言う通り……コロポックリ達がボクらをどうこうするってのはないと思う」
ーーーーーーーーー
月明かりが岩肌を照らす。コロポックリ達がそこを悠々と登っていく。
僕らはゆっくりとあとを追った。コロポックリ達はしばらく先を行っては立ち止まり、僕らを待った。
岩山の深くに進んで行っているのがわかった。
向かう先から滝の音がし始めた。白い靄が立ちこめ始めた。
いよいよどこへ連れて行かれるのかを疑り始めた時、唐突にコロポックリ達の歩みが止まった。
「ポポー」「ポポポー」
コロポックリ達が白い靄に飛び込んだ。水しぶきが上がった。
岩場に、乳白色の水たまりが出現していた。小川がそこに流れ込んでいた。
白い蒸気が暖かかった。まさかと思い、コロポックリ達が飛び込んだ水に手をつっこんだ。
暖かかった。そうだ、コロポックリ達が僕らを案内したのは……
「温泉か……! ここって……」




