15「パンツと勇気とマオの剣」その5
白い液体を浴びたウルフィーの体が、にわかに白く輝きだした。
ダゴンが慌てて手を離す。
「なんだ? なんなんだ?!」
ウルフィーの体表が白い輝きに覆われた。すると今度は、輝きが不定形に形を変えながら膨らみ始めた。まばゆい光はウルフィーの体の何倍にも膨れ上がる。
その内に光が落ち着きを見せ始め、徐々に変わり果てたウルフィーが見え始めた。
そこにいたのは、もはや狼男ではなかった。
深紅の鱗に覆われた巨体。長く伸びた首の先に、炎を灯した2つの瞳。畳まれた翼の先端には、恐るべきかぎ爪が輝いている。
そこにいたのは、もはや狼男ではなかった。
それはまさしく伝説のモンスター。かつて魔王によって支配下におかれていたという、無双の怪物『ドラゴン』であった。
「なんだ? 何が起きているんだ……?」
ウルフィーが混乱しながら、自身の体を眺め見る。自分の体をチェックするのに、長く伸びた首が役に立った。
「ウルフィー……なの? これはーーーーいったいーーー」
ダゴンが自分の眼の前に忽然と現れた、伝説の怪物に恐る恐る声をかけた。
「変化の水は、完全に成功だね!」
ジェンシーがほくそ笑んだ。
ジェンシーが指をならすと、配下のコボルトたちが大きな姿見の鏡を運んできた。しかしその鏡も、今のウルフィーには手鏡のようなサイズでしかない。
「うそ……これが俺……?」
「そうだよ、ウルフィー! ウルフィーは変化の水の力で、変身したんだよ! さあ、さっそくモンスターを率いて村を襲撃してきて!」
「村を? この姿になる必要あったか?」
「あの村には今、例のイレギュラーズたちがいるんだよ」
ウルフィーが眼を光らせた。
いや、実際には眉をひそめただけだったのかもしれない。ドラゴンの顔が強面だから、ウルフィー自身が強気に見えるのかもしれない。
「今度は必ず倒して帰ってきてね。あの村もろとも……ね」
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「みんな私のこといじめるんだよ……泣き虫って……逃げ足だけは早いって……」
サンジュが枕に頭をうずめた。
今、どんな理屈でもって僕が彼女の記憶の中にいるのか。それはまだよくわからない。しかし今僕にできるのは、目の前で起きていることをしっかりと『見る』ことだけだろう。
判断を下すのは、そのあとでいい。
「ねえ……きいているの? ぱぱ……」
サンジュが顔をあげた。
目の前にいたのは、パンイチで頭に目深にパンティーを被った謎の少年だった。
「ぱぱ? なにやってんの?」
「パパじゃあない! 正義の使者パンツ仮面だ!」
「ままー。ぱぱが変なことやってるぅー」
部屋の扉を誰かが開けた。少女だった。
「何してるのアーサー……って何してんの! それ私のパンツ!」
「アーサーじゃない! 正義の使者パン」
「人の下着盗んでおいて何が正義じゃあ!!」
「痛いっ、コーネリアス、痛いっ……い、いや、だがパンツ仮面は不死身なのだぁーー!! 痛いっ」
サンジュの父であるパンツ仮面は、サンジュの母である少女によってあっという間に倒されてしまった。南無三。
娘の目の前で正座をさせられた父親は、その腕と足をサンジュの母にしばられた上で数時間の謹慎処分となった。
「……パパが何を伝えたかったかというとなぁ」
「そのまま続けるんだねパパ……」
「昔な、パパのお父さんも……パンツ仮面だったんだよ」
「ろくなもんじゃないね……」
娘のマジレスが涙を誘う。
しかしそれでも父親は続けた。
「パンツ仮面になるのに、一番必要なことはな、勇気なんだ! 大切なもの(パンツ)のために、あえて恐怖(ママ)に挑む! それが勇気さ!」
なぜだろう。かっこよくない。
「でもわたしは……弱虫だよ」
サンジュがふてくされた。しかし父親は笑った。
「いいじゃないか! 半分はクリアだよ!」
「半分?」
「何が怖いか? 何に警戒すべきか? その上で……どうしても、やんなきゃいけないことはなんなのか? それが大事なんだ」
「怖がることが……大事なの?」
「そうだよ。それがな、まずは大事なんだ」
パンイチのまま、少年は言った。
「じゃあ……その次は?」
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また景色が変わった。真昼間の村を、モンスターたちが我が物顔で闊歩する。逃げ遅れた村人を見つけては、にたりと笑って捕まえながら。
宿の調理場の片隅で、サンジュが震えていた。
調理場に誰かが入ってきた音がする。うずくまって顔を覆うサンジュ。その肩を誰かが叩いた。
それはサンジュの父だった。
「ここにいたのか。このまま隠れていてくれ、サンジュ」
「ママは……? ママはどこいったの?」
サンジュが父の胸に飛び込みきいた。父は視線を落とした。
「さらわれた。避難しはじめてた村人達も」
サンジュは泣いてはいなかった。ただずっと震えていた。
その肩を押さえながら、父親が再び物陰にサンジュを押し込んだ。
サンジュを隠した後、彼はすっと立ち上がった。
「パパ……どこ行くの?」
「ママを取り戻しに行くんだ。他のみんなも」
振り向くことなく、彼は言う。
「怖くないの……?」
「怖いよ。怖いに決まってる」
その声も足も震えていた。
サンジュもそれに気がついていた。その裾をサンジュが掴む。
「いかないで……ぱぱ……」
「……ごめん。それはできない。パパはまだ……あの子を失いたくない。お前のことも……だから、戦わなくちゃならない」
振り向いた彼は左手の指輪を外すと、裾をつかんでいるサンジュの手の中に、代わりにとばかりに押し込んだ。
「これ……」
サンジュの手の中に、小さな水晶のついた指輪があった。水晶の中には赤い光が一筋輝いていた。
「対の指輪だ。もう片方と引き合うようになってる。もう片方を持っているのは、ママだ」
「どうして……」
「持っていて欲しいんだ、サンジュに。パパとママは、必ずお前の元に帰るから。だからそれまで、この村を頼む」
「パパ……待って」
もう一度、父親は踵を返した。そして二度と振り返らなかった。
「いかないで、パパ……!」
幼女の目に涙がにじむ。
「わたしじゃ何もできないよぉ……」
ーーーーーー
真夜中だというのに、村に鐘の音が響いた。
「またやつらがやってきた!」「逃げろぉ!」「逃げるんだぁ!」
寝間着姿のサンジュが外に飛び出た。物見櫓に駆け上る。物見やぐらの上には、フリル姿の男の娘たちが集まっていた。
「だめだ、囲まれてるよ!」「逃げ場がない……」「どうするんだ?! 団長もいない! 武器も持てない! 防具も着れない!」「だまってろよ、今考えてるんだから!」「防壁は?!」「トロールがいる! たいして持たない!」
サンジュは寝間着の裾を握りしめた。
「わっ…わたしが……」
男の娘たちは、怒声をあげながら議論を繰り返していた。サンジュの声は届いていなかった。
「わたしが! わたしなら! 防具を身につけられますので!」
サンジュが叫んだ。
男の娘たちが気がついた。そして彼女をにらんだ。
「……バカなのか? お前一人で何になるんだよ!」「団長ならなんとかできるのかもしれないが、お前じゃな!」「泣き虫サンジュ! お前が前の襲撃の時どこにいたか知ってるんだぞ! 隅でずっと震えてたんだろ!」
男の娘たちの言葉が、刺さっていくのが傍目に見ている僕にもわかった。
それは全て正論だ。サンジュには、弁解の余地などない。
それでもサンジュは、涙を流していたがそれでも彼女は、今回ばかりは引かなかった。
「それでも……それでもわたしは行きます!」
櫓から駆け下りる。
「やめろ! サンジュ! 無理だ!」
気がつかないわけがない。それでも一切耳を傾けず、サンジュは走った。武器庫を開く。黒い鎧と剣をその手に取る。
幼女は鎧をその身に纏うと駆け出した。
轟音がした。村の防壁が突破された音に違いなかった。
「パパ……! ママ……!」
幼女は進路を変更し、自分の家の中へ飛び込んでいった。寝室のドアを押し開けて、クローゼットから取り出したのは母親のパンツだった。
「神様! お願い……お願いだから……わたしに勇気をください……。ママや……パパのような……!」
サンジュの涙はもう、こぼれなかった。
ピンクのパンツを濡らすだけだった。




