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第2話:白き少女(1)

【前回からのあらすじ】

シズカは死んだはずの父親の後姿を追った先で、雪の中で眠る少女と出会った。

目覚めた少女はシズカを『お父さん』と呼んだ。

そして翌日――

 昨日とは打って変わって、今日は顔を仰げば一面に晴れた空があった。

 学校から自宅への帰路、シズカは見知った少女の姿を遠目に見た。

 今にも底が抜けそうなくらいぱんぱんに膨らんだ買い物袋を、少女は両手で重そうに持っている。顔は真っ赤で、眉毛が今にも取れて落ちてしまいそうなくらい顔が歪んでおり、汗が額から頬を伝ってぽたぽたと落ちている。ぜえぜえと白い吐息が絶え間なく口から漏れている。

 天野家は母と祖父母とシズカに加え、昨夜からもう一人家族が増えた。家族五人分の食事が詰め込まれた買い物袋を少女一人で持つには、文字通り荷が重い。しかし少女はそれが己の使命とばかりに、細い腕に全身全霊を注いで買い物袋を持ち上げ、危うい足取りで雪の積もる道を歩く。雪は既に踏み固められているうえに表面が溶け出しており滑りやすい。何度も足を取られて転びそうになる。

 少女が至近距離に達するまで、シズカは声もかけず手も貸さず傍観していた。

「どうしたんだよ、突然立ち止まって」

 シズカの隣に並んで歩いていた茶髪の少年――シズカの数少ない友人である二階堂はシズカの顔を不思議そうに覗きこんだ。シズカは依然として無言のまま遠くの少女を見つめている。妙に思いつめた顔をしていたので、二階堂は訝りながらもそれ以上言葉はかけなかった。

 少女の姿が段々と近づいてくる。

「あっ」

 いよいよ少女のか細い声が届くくらい接近した。

 シズカの存在を認めるなり、少女は最後の力を振り絞ってシズカの傍へ駆け寄る。距離にして十歩。全速力。袋の中の野菜たちが踊り狂う。シズカの前までたどり着くと、少女はもはや限界とばかりに買い物袋を雪の積もるアスファルトに降ろした。

 どすっ。

 重そうな音と共に買い物袋は歩道脇の雪に沈んだ。小さな手には買い物袋の食い込み跡がくっきりと残っていた。真っ赤で痛々しい。

 少女は「はぁー、ふぅー」と大きく深呼吸して酸素を求める。前かがみになると同時に長い髪が垂れ、彼女の髪の香りがシズカの鼻を掠める。彼が使っているシャンプーと同じ香りだった。

 額の汗を拭ってから、少女はシズカににこりと笑いかける。丁度彼女の真上にある晴天のような、または凪の訪れた海原のような、もしくは見渡す限りに広がる純白の雪原のような――汚れ、澱みのない無垢な笑みだった。

 シズカは笑い返すわけでもなく声をかけるわけでもなく、黙って少女の言葉を待っていた。

「お父さん。もう学校終わったの?」

「終わった」

 そっけない返事。

「今、買い物に行ってきたの。すごい重かった」

 見て見て、と食い込んだ跡の残る両手を広げて見せる。

「そう」

「今日のご飯はカレーだって」

「あっそ」

「お父さんは甘口がいい? それとも辛口?」

「どっちでもいい」

「え、えっと、それと」

 どうにか会話をつなごうと、少女は彼との話題を一生懸命探していた。シズカの機嫌を損ねまいと幾度も顔色を窺っている。不安に曇る少女の顔。そんな彼女にたった一言でも返事をしてやると、陽光を浴びるかのようにぱぁっと笑顔の花が咲くことをシズカは知っている。一貫してそっけない態度をとっていたシズカは、少女の哀れな姿にとうとう根負けした。

 しかたない、と溜息をつく。

「買い物、一人で行ったの?」

「そ、そうだよ」

「あんまり一人で出歩かないほうがいいよ。最近いろいろ物騒だし。今度から『はやた』を連れていきなよ。あんまり役に立たないだろうけど、散歩もついでに出来るからさ」

「うん」

「あと」

「あと?」

「カレーは甘いほうが好きだ」

「うん。わかったよ、お父さん」

 少女は満面の笑みでうなずいた。

 

「ちょっ、ちょっと待てって!」

 二人の会話を二階堂が遮る。

 友人であるシズカが、正面からやってきた見たことのない女の子といきなり会話を始めたかと思ったら、少女がシズカのことを『お父さん』と呼んでいるではないか。突然かつ突飛な出来事に二階堂は唖然としながら二人の会話を眺めることしか出来ず、今になってようやく我に返ったのだった。

「『お父さん』って、もしかしてシズカのことか?」

「そうだけど、それが?」

 当たり前じゃないか、と言いたげな口調でシズカは答えた。

 二階堂は目を思い切り見開きながら二人を見比べていた。シズカは二階堂と同じ高校一年生。彼を『お父さん』と呼ぶ少女の外見は小学校高学年ほど。引き算をして計算が合わない以前の問題だ。

「天野真珠と申します。いっ、以後お見知り置きを」

 やや舌足らずな口調で少女は『真珠』と名乗った。

 真珠が両手を揃えて馬鹿丁寧にお辞儀をするので、二階堂もつられて深々とお辞儀を返した。

 真珠は未来からやってきたシズカの娘だと自称した。二階堂は二度聞き返した。少女は二度とも「未来から来たシズカの娘」と答えた。

 最初、二階堂は『未来』をどこかの地名か何かだと勘違いしていた。彼女の話を聞くところによると、どうやら本来の意味として使われる『明日の世界』という意味での未来であるらしい。娘というのも、やはり正しい意味の、シズカの子供という意味で用いている。少女が大真面目に語っているのを聞きながら、二階堂は軽いめまいを覚えていた。少女のジョークともとれる珍妙かつ不可思議な自己紹介に対する気の利いた返事が思い浮かばなかったのだ。助けを請うかのようにシズカに訊くと、彼はただ一言「昨日、公園で拾ってきた」とだけ言った。二階堂のめまいは悪化した。

 シズカという友人は独りを好む人間であり、人付き合いが苦手だ。それも、すさまじく。学校でグループを組むときだっていつも最後まであまるし、珍しく誰かに遊びに誘われても「遠慮する」と一刀両断。何よりもっとも性質が悪いのは、そんな性格を本人が自覚しつつも大して気にしていないということだ。クラスメイトたちが談笑しながら昼食をとる中、この天野シズカという少年は平然と一人で黙々弁当を食らうのだ。そんな孤独を好む少年がどのようにしてこの少女と出逢ったのか。二階堂にはまったく想像できなかった。

 二階堂は天然記念物を眺めるかのように真珠の姿をまじまじと観察していた。艶のある長い黒髪と深淵まで覗けそうな澄んだ瞳。そして日差しを受けて金色に輝く鳥のブローチが印象的だった。視線を感じたのか、真珠は気まずそうに視線をそらした。落ち着きなく両手を腹の上でもじもじこすり合わせている。

 シズカと戯れているときは人懐こそうな印象だったが、本当は人見知りする性格なのかもしれない。父親と同じで――と二階堂は思った。人を疑うことを、罪を犯すことを知らない、誠実で健気な少女に感じられた。何者かは依然としてわからないが、この少女が悪事を企んでおり、言葉巧みにシズカを篭絡してやろうという類ではないことがわかっただけで二階堂はひとまず安心した。

 生意気そうな男の子と気弱そうな妹。傍からはそう見えた。そうとしか見えない。一体誰がこの二人を親子と思うであろうか。

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