第1話:父の影(2)
父ヒジリを追って町の裏道を潜り抜けると、背の高い雑草が一面に生い茂る殺風景な場所にたどり着いた。
両端にぽつんと置かれたゴールポストがどうにか公園という体を保っている。もっとも、生い茂る雑草と積雪のせいでサッカーどころか散歩すらもままならない有様であるが。
周囲を見回すも父の姿はおろか人っ子一人見当たらない。公園の向こうにこの町と外界とを隔てる山々を見渡せる。周囲にはいくつかの廃屋。父の後姿を追ううちに、シズカはいつの間にか人気のない町の外れまでやってきてしまっていた。
寒さと静けさに浸るうちにシズカは冷静さを取り戻してきた。走っている間は熱を発散してなお熱いくらいだったが、一度立ち止まると途端に十二月の寒さがよみがえる。そうすると、脳もいくらか冷静になる。
死んだ父がいるはずないじゃないか。
シズカは自嘲する。悪夢にうなされて、現実までそいつに弄ばれてしまった自分が無様で仕方がなかった。
帰ろう。帰って、本の続きでも読もう。
シズカはきびすを返す。その際もう一度、なんとなく公園の茂みを振り返った。
茂みの中に人の姿を見た気がした。
狸か狐か野兎か。いずれもこの町ではさほど珍しくない。公園の真ん中辺りの茂みがへこんでいる箇所に物陰が見える。
粉雪の舞う世界を凝視する。
凝視し続けていると、その場所に人が倒れているのを確認できた。狐でも狸でも野兎でもない、間違いなく人間の姿をした影が見える。長い髪。女性。こんな寒空の下で眠るなど尋常ではない。シズカは直ちに公園の中へ足を踏み入れた。
脛の中ほどまで積もった雪を踏み固め、生い茂る雑草を掻き分けてシズカは寂れた公園の中を進む。指先にちくりと痛みがして咄嗟に手を引っ込める。薄い葉で指を切ってしまっていた。指を口に含んで血を吸う。コートのポケットに手袋があるのを思い出して、それをはめて再び雑草を掻き分けて先へ進んだ。
どうにかへこんだ場所までたどり着くと、小学生くらいの少女が寝息を立てていた。彼女の周囲だけ、そこが聖域であるかのように雑草も雪もなく、天から暖かな陽光が降り注いでいた。
「君、大丈夫?」
肩で息をしながらシズカは尋ねる。返事はない。胸が上下していることから息はしている。外傷も見当たらない。シズカは医者ではないから当てになるかわからないが……少女の寝顔は呆れるほど安らかだった。
雪のように白い肌。真冬の屋外だというのに着ている服は桃色のチェックのパジャマ。しかも裸足だ。右手に握られた金の鳥のブローチが陽光を跳ね返してやたらと映えている。
汗で蒸れた手袋を脱ぐ。制服のポケットから携帯電話を取り出すと、ディスプレイにはむなしくも『圏外』の表示。まさかここまで田舎だったのか、とシズカは舌打ちした。見渡しても民家は線路のずっと先にぽつりと見えるだけ。周りには生い茂る雑草と廃屋しかない。
シズカは少女を抱きかかえた。誰かを抱きかかえた経験など彼にはなかったため、人間の体重に慣れなず二、三歩よろめいた。身長一六〇センチ未満。体重五〇キロ未満。高校生にしては平均をはるかに下回る体格が今回ほどアダとなったことはない。
悪戦苦闘している間に、腕の中で少女が目を覚ます。少女の瞳とシズカの瞳が重なった。
「お父さん」
呆然としているシズカをよそに、少女はもう一度繰り返す。
「やっぱりお父さんだ」
眠たげな顔でシズカの瞳を見つめながら寝言のようにつぶやいて……微笑んだ。