勇者を見た男
王都の門は今日も開いていた。
朝日を浴びながら、門番の男は大きく欠伸をする。
退屈な仕事だ。
街へ入る商人を確認し、旅人を通し、酔っ払いを追い返す。たまに喧嘩の仲裁もする。
魔物と戦うわけでもない。英雄になれるわけでもない。
ただ門の前に立つだけだ。
だが、それが男の仕事だった。
「おい」
声を掛けられる。
振り向くと、一人の若者が立っていた。
細い。
頼りないほど細い。
背中には新品同然の剣。革鎧もまだ綺麗だった。
どう見ても駆け出しだ。
「なんだ坊主」
「坊主じゃない」
「じゃあ何だ」
「勇者だ」
男は思わず吹き出した。
若者は不満そうな顔をする。
「笑うなよ」
「いや、お前が勇者?」
「そうだ」
「弱そうだな」
「初対面でそれ言うか?」
若者は露骨に肩を落とした。
男はさらに笑う。
「で、その勇者様が何の用だ」
「出発するんだ」
若者は王都の外を見た。
遠くへ続く街道。
その先には魔王軍の支配する土地がある。
「魔王を倒しに行く」
男は若者の顔を見る。
強そうには見えない。
むしろ不安そうだ。
今にも逃げ出したそうな顔をしている。
「怖いか?」
若者は少し黙った。
そして観念したように笑う。
「怖い」
即答だった。
男は目を丸くする。
「正直だな」
「だって怖いものは怖い」
若者は頭を掻いた。
「みんな期待してるんだ」
王様も。
騎士も。
街の人も。
勇者なら勝てると思っている。
「でもさ」
若者は苦笑した。
「俺、自分が死ぬ未来なら普通に想像できるんだよな」
男は少しだけ笑った。
勇者だ英雄だと持ち上げられているが、目の前にいるのはただの若者だった。
「なら帰ってこい」
若者は瞬きをした。
「簡単に言うなぁ」
「死ぬなって話だ」
「難しいな」
「努力しろ」
「無茶言うな」
二人は笑った。
短い沈黙。
やがて若者は歩き出す。
門をくぐる。
そして数歩進んだところで振り返った。
「なあ」
「なんだ」
「帰ってきたら褒めてくれるか?」
男は鼻で笑った。
「生きて帰ってきたらな」
若者は笑う。
「約束だぞ」
そう言って旅立った。
男はその背中を見送った。
数年の月日が流れた。
噂だけは届いていた。
勇者が魔王軍の将軍を倒した。
勇者が仲間を得た。
勇者が死にかけた。
勇者が竜を討った。
勇者が魔王城へ向かった。
本当かどうか分からない話も多かった。
門番の男は相変わらず門の前に立っていた。
勇者が何をしているのかは知らない。
知る必要もなかった。
自分は門番だ。
今日も商人を通し、旅人を迎え、酔っ払いを追い返す。
それだけだった。
そしてある日。
王都が騒がしくなった。
鐘が鳴る。
人々が叫ぶ。
歓声が響く。
男は顔をしかめた。
「今度は何だ」
近くの兵士が興奮した様子で叫ぶ。
「勇者様だ!」
「は?」
「魔王を倒した!」
周囲が沸き立つ。
人々は門へ集まり始めた。
王都中の人間が押し寄せてくる勢いだった。
男も仕方なく街道を見る。
遠くから一団が近付いてくる。
先頭を歩く男。
背が高い。
肩幅も広い。
全身に無数の傷跡。
歩き方に無駄がない。
歴戦の戦士だった。
男は首を傾げる。
知らない顔だ。
勇者はどこだ。
そう思った。
その男が近付いてくるまでは。
歓声が上がる。
人々が叫ぶ。
花が投げられる。
それでも男は真っ直ぐ歩いていた。
やがて門の前まで来る。
そして立ち止まり――門番の男を見た。
数秒の沈黙。
先に口を開いたのは向こうだった。
「久しぶりだな」
聞き覚えのある声だった。
男は目を瞬かせる。
そして気付く。
あのヒョロい若者だ。
面影は残っている。
だが、あまりにも変わりすぎていた。
「……お前か」
「ひでぇ反応だな」
若者――いや、勇者は苦笑した。
昔と同じ笑い方だった。
男も思わず笑う。
「でかくなったな」
「そうか?」
「別人かと思った」
「よく言われる」
周囲は静まり返っていた。
英雄と門番が話している。
誰も口を挟めない。
だが二人は気にしていなかった。
男は腕を組む。
そして言った。
「おう」
勇者も笑う。
「ああ」
男は少しだけ目を細めた。
「帰ったか」
勇者は上を見上げた。
王都の空を。
旅立った日と変わらない景色だった。
「ああ」
そして静かに答える。
「帰ったよ」
男は頷いた。
それで十分だった。
魔王を倒したことも、伝説になったことも、そんなことはどうでもいい。
目の前の若者は約束を守った。
ちゃんと生きて帰ってきた。
それだけで良かった。
再び歓声が上がる。
人々が勇者を囲む。
王城から迎えの騎士たちも駆け付けてきた。
勇者は連れて行かれる前に振り返る。
「なあ」
「なんだ」
「褒めてくれないのか?」
男は吹き出した。
何年経っても変わらない。
英雄になっても変わらない。
目の前にいるのは、あの日の若者のままだった。
男は笑う。
そして言った。
「よく帰った」
勇者も笑った。
それは魔王討伐を称える言葉ではない。
英雄を讃える言葉でもない。
ただ一人の若者へ向けた言葉だった。
勇者は軽く手を振る。
そして人々の中へ消えていった。
門番の男は、その背中を見送る。
旅立った日の背中よりもずっと大きい。
だが、どこか同じだった。
男は小さく笑う。
そしていつも通り門の前に立つ。
王都の門は今日も開いていた。
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