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勇者を見た男

作者: 火川蓮
掲載日:2026/10/15

王都の門は今日も開いていた。

朝日を浴びながら、門番の男は大きく欠伸をする。

退屈な仕事だ。


街へ入る商人を確認し、旅人を通し、酔っ払いを追い返す。たまに喧嘩の仲裁もする。

魔物と戦うわけでもない。英雄になれるわけでもない。

ただ門の前に立つだけだ。

だが、それが男の仕事だった。


「おい」


声を掛けられる。

振り向くと、一人の若者が立っていた。

細い。

頼りないほど細い。

背中には新品同然の剣。革鎧もまだ綺麗だった。

どう見ても駆け出しだ。


「なんだ坊主」


「坊主じゃない」


「じゃあ何だ」


「勇者だ」


男は思わず吹き出した。

若者は不満そうな顔をする。


「笑うなよ」


「いや、お前が勇者?」


「そうだ」


「弱そうだな」


「初対面でそれ言うか?」


若者は露骨に肩を落とした。

男はさらに笑う。


「で、その勇者様が何の用だ」


「出発するんだ」


若者は王都の外を見た。

遠くへ続く街道。

その先には魔王軍の支配する土地がある。


「魔王を倒しに行く」


男は若者の顔を見る。

強そうには見えない。

むしろ不安そうだ。

今にも逃げ出したそうな顔をしている。


「怖いか?」


若者は少し黙った。

そして観念したように笑う。


「怖い」


即答だった。

男は目を丸くする。


「正直だな」


「だって怖いものは怖い」


若者は頭を掻いた。


「みんな期待してるんだ」


王様も。

騎士も。

街の人も。

勇者なら勝てると思っている。


「でもさ」


若者は苦笑した。


「俺、自分が死ぬ未来なら普通に想像できるんだよな」


男は少しだけ笑った。

勇者だ英雄だと持ち上げられているが、目の前にいるのはただの若者だった。


「なら帰ってこい」


若者は瞬きをした。


「簡単に言うなぁ」


「死ぬなって話だ」


「難しいな」


「努力しろ」


「無茶言うな」


二人は笑った。


短い沈黙。

やがて若者は歩き出す。

門をくぐる。

そして数歩進んだところで振り返った。


「なあ」


「なんだ」


「帰ってきたら褒めてくれるか?」


男は鼻で笑った。


「生きて帰ってきたらな」


若者は笑う。


「約束だぞ」


そう言って旅立った。

男はその背中を見送った。

数年の月日が流れた。


噂だけは届いていた。

勇者が魔王軍の将軍を倒した。

勇者が仲間を得た。

勇者が死にかけた。

勇者が竜を討った。

勇者が魔王城へ向かった。


本当かどうか分からない話も多かった。

門番の男は相変わらず門の前に立っていた。

勇者が何をしているのかは知らない。

知る必要もなかった。


自分は門番だ。

今日も商人を通し、旅人を迎え、酔っ払いを追い返す。

それだけだった。

そしてある日。

王都が騒がしくなった。

鐘が鳴る。

人々が叫ぶ。

歓声が響く。

男は顔をしかめた。


「今度は何だ」


近くの兵士が興奮した様子で叫ぶ。


「勇者様だ!」


「は?」


「魔王を倒した!」


周囲が沸き立つ。

人々は門へ集まり始めた。

王都中の人間が押し寄せてくる勢いだった。

男も仕方なく街道を見る。

遠くから一団が近付いてくる。


先頭を歩く男。

背が高い。

肩幅も広い。

全身に無数の傷跡。

歩き方に無駄がない。

歴戦の戦士だった。


男は首を傾げる。

知らない顔だ。

勇者はどこだ。

そう思った。


その男が近付いてくるまでは。

歓声が上がる。

人々が叫ぶ。

花が投げられる。

それでも男は真っ直ぐ歩いていた。

やがて門の前まで来る。

そして立ち止まり――門番の男を見た。


数秒の沈黙。

先に口を開いたのは向こうだった。


「久しぶりだな」


聞き覚えのある声だった。

男は目を瞬かせる。

そして気付く。

あのヒョロい若者だ。

面影は残っている。

だが、あまりにも変わりすぎていた。

 

「……お前か」


「ひでぇ反応だな」


若者――いや、勇者は苦笑した。

昔と同じ笑い方だった。

男も思わず笑う。


「でかくなったな」


「そうか?」


「別人かと思った」


「よく言われる」


周囲は静まり返っていた。

英雄と門番が話している。

誰も口を挟めない。

だが二人は気にしていなかった。

男は腕を組む。

そして言った。


「おう」


勇者も笑う。


「ああ」


男は少しだけ目を細めた。


「帰ったか」


勇者は上を見上げた。

王都の空を。

旅立った日と変わらない景色だった。


「ああ」


そして静かに答える。


「帰ったよ」


男は頷いた。

それで十分だった。

魔王を倒したことも、伝説になったことも、そんなことはどうでもいい。

目の前の若者は約束を守った。

ちゃんと生きて帰ってきた。

それだけで良かった。


再び歓声が上がる。

人々が勇者を囲む。

王城から迎えの騎士たちも駆け付けてきた。

勇者は連れて行かれる前に振り返る。


「なあ」


「なんだ」


「褒めてくれないのか?」


男は吹き出した。


何年経っても変わらない。

英雄になっても変わらない。

目の前にいるのは、あの日の若者のままだった。

男は笑う。

そして言った。


「よく帰った」


勇者も笑った。

それは魔王討伐を称える言葉ではない。

英雄を讃える言葉でもない。

ただ一人の若者へ向けた言葉だった。

勇者は軽く手を振る。

そして人々の中へ消えていった。


門番の男は、その背中を見送る。

旅立った日の背中よりもずっと大きい。

だが、どこか同じだった。

男は小さく笑う。

そしていつも通り門の前に立つ。

王都の門は今日も開いていた。

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