第二話 転生(二)
馬は尻尾を振るばかりで何も答えない。
ともかく、僕はこの馬のおかげで一命をとりとめた。
ようやく落ち着けて、改めて周囲を見回してみたが、どうやらここはどこかの戦場のようだ。
やはり、僕はあの落馬事故で死んで、この世界に転生したのだろう。
兎にも角にも、ここが戦場なら長居は無用だ。すぐにでもここから逃げ出さなければならない。
そう思い、僕は目の前の“ソレ”に目を向けた。
そこには今し方まで殺人鬼が乗っていた、そしてその殺人鬼を殺した一頭の馬が残されていた。
その馬は『ヒヒン』と声高に嘶いた。
「事故とはいえ人を殺した馬だ。少し怖いが……。
いや、僕は好きが高じて騎手にまでなった男だ。馬の知識は豊富にある。
さっきのは僕を助けてくれたのだと思って、この馬に乗ろう!」
僕は改めてその馬をまじまじと見た。
「この馬は僕が現代で乗っていたサラブレッドよりは小ぶりだな」
地面から背にある鬐甲(首元にある背のコブ)までの体高は百四十センチぐらいだろうか。
競走馬の体高は約百六十〜百七十センチ程度。一般に百四十七センチ以下はポニーと言われる。この馬は現代の分類でいうならポニーに属するだろう。
「しかし、筋肉は随分発達している。
筋肉の付き具合はサラブレッドより上かもしれない」
競走馬の中にも低いものはいて、体高が百五十センチほどの馬もいる。それよりも一回りくらい小さいか。
競馬で見るスリムなサラブレッドに比べれば太く逞しい姿で、それが体高以上に大きく感じさせてくれる。
馬の寿命は三十年。四歳で成馬と言われている。そして、背の弛み具合を見ればある程度の年齢を推測することができる。
「この馬は四歳くらいだろうか。
人で言うなら二十歳の成人だ」
よく見れば、昔、長野で見た日本の在来馬によく似ている。
毛色は月毛。これはサラブレッドにはない毛色だからマイナーな色だが、薄茶寄りのクリーム色のような色だ。
顔には額から鼻筋にかけて細長い白い毛が生えている。これは流星と言われる模様だ。
自分の名と同じ模様を持つこの馬に、僕は親近感を覚えた。この馬との出会いは運命なのかもしれない。
剣を振るうことも、弓を引くこともできない僕がこの戦場で唯一できること。それは馬に乗ることだ。
ここで馬が手に入るのは幸運と言えるだろう。
それにこれ以上ここに留まればいつ命を落とすのかわからない。この馬を頂戴しよう。
馬に乗ろうとしたが、その時に違和感に気づいた。
「なんだ足をかける鐙もないじゃないか。
あの男、一体どうやって乗ってたんだ?」
その馬には馬を制御する手綱、人が乗るサドル部分の鞍はあるが、どういうわけか足を置く鐙がない。
だが、鐙がないからと言って、このまま馬を諦めることはできない。
「仕方がない。多少強引だが、このまま乗ろう。
強く抱きつけば落ちないだろう」
馬の背には動物の革で作った簡素な鞍が乗っている。
僕は馬を伏せさせ、その鞍に飛び乗る。足で合図を送り、前へと走らせた。
鐙という足場のない馬の上。走り出すに連れて徐々にズリ落ちそうになっていく。
僕は手綱をしっかりと掴み、抱きつくように馬の背にしがみついた。
馬は次第に速度を上げていく。僕は馬をなんとか制御しようと握る手綱に力が入る。
それに合わせるように馬は走る速度を上げていくが、同時に走り方も荒っぽくなっていく。
いよいよ落馬しそうになって、前世の記憶が蘇る。
「そうか、あの時の僕はレースに勝ちたいばかりで馬の気持ちをまるで考えてなかった。
あの落馬も自業自得じゃないか。
これで馬好きとは聞いて呆れるな」
僕は自信の過ちに気づき、馬を締めていた手綱を緩めた。
「同じ過ちはもう繰り返さない。
さあ、好きに走れ!」
僕はあえて馬の好きに走らせることにした。
すると馬の走りの荒っぽさが徐々に薄れ、それに比例するようにどんどん速さが増していった。
「おい、いたぞ!
残党だ!」
「待ちやがれ!」
そう叫び、数名の騎兵がこちらに向けて駆け出してくる。
「しまった!
敵に見つかった!」
いずれも武器を持った屈強な男たちだ。捕まればひとたまりもない。
僕はすぐに逃げようと図るが、それと同時に彼らの馬の乗り方を瞬時に確認した。
「なるほど。
足を正座のように折り曲げて、下半身全体で馬の胴体を挟むようにするのか」
彼らの乗馬にはいずれも鐙は付けられていなかった。どうやらここは手綱や鞍はあっても、鐙のない世界らしい。
だが、例え鐙がなくとも、その乗り方さえ分かればこちらのものだ。
僕は足を大きく折り曲げ、足全体で馬体を挟む乗り方に切り替えた。今までは抱きつくような姿勢だったが、乗り方がわかったおかげで、馬上でバランスを取り、体を起こすまでの余裕が出てきた。
いや、これは余裕だけでは無さそうだ。
「どうやら生まれ変わって、自分自身が若返ったようだ!」
馬上でバランスが取りやすい。体型も引き締まっているようだし、視力も随分良い。
まるで二十歳、ジョッキーに成り立ての頃のような感覚だ。体が絶好調だったあの頃の体に若返っている。
そういえば一人称がいつの間にか、《《私》》から《《僕》》に代わっている。僕は自分がまだ二十代の駆け出しの頃の一人称だ。肉体が若返って、無意識に一人称まで過去に戻っていたようだ。
乗り方を覚えたおかげか、はたまた若返ったおかげか、馬の速度はグングンと上がり、後続の敵騎とはドンドン差を広げていった。
「待てー!」
敵は何やら叫んでいるが、広がっていく距離のおかげで恐怖は薄れていった。
「どうやらこの世界でも僕の馬術は通用するようだ!」
馬に身を委ね、乗り方を覚えたからか、乗っていた馬は先ほどの荒っぽさが嘘のように僕に合わせた走りへと変わっていった。
「お前は僕を乗り手として認めてくれたのか。
よしよし、それならお前にも名をつけてやらないとな。
そうだな、顔に流星の模様があるから流星……だと僕と同じ名前でややこしいな。
よし、じゃあ、お前の名前は『彗星』だ!
僕と新たな愛馬・彗星は敵を寄せ付けないほどの速さで走った。
「僕はあの時に落馬で死んで、最速の男にはなれなかった。
だが、この世界にも馬がいる!
ならば今度こそ、この乱世で最速の男になってやろう!」
新たな人生での決意を固め、僕は戦場を駆け抜けた。
だが、喜びも束の間だった。
どうやら僕は目立ち過ぎたようだ。
敵の仲間だろう。騒ぎを聞きつけて騎兵が三名、前方よりこちらに向かって来た。
「前方に敵兵か!
後ろから追う馬は競馬のように逃げ切ればいいが、前から迫るのはどうすればいいんだ?」
前から来る敵に、ここは競馬場ではないと思い知らされる。
だが、それでも逃げねば命はない。
前に居並ぶ赤い服に毛皮の上着を纏った男たちは、馬上にて腰の剣を抜き放ち、疾風の速さでこちらに迫る。
敵はニヤリと笑う。格下を相手するように、まるで狩りでも楽しむように。二騎が左右に別れて取り囲み、一騎はこちらにまっすぐ前進する。
「後ろに逃げれば三騎が追ってくる。
ならば突破口は……一騎しかいない前!」
敢えて僕は前進し、一騎打ちの状況に持ち込んだ。しかし、相手は恐らく歴戦の勇士。まともに剣で勝てるとは思えない。
「やはり、相手の馬には鐙がない。ならば条件は五分のはず!
よし、どうせ勝てないのなら、僕は剣を抜かない!
馬で勝負だ!」
僕は腰の剣を抜かず、そのまま乗馬に専念して、一直線に相手に向かって突っ込んだ。
相手は一瞬、面食らった様子であったが、すぐに
鴨を見る目で、剣を大きく振りかぶった。
両者が急接近し、相手の剣が届く寸前に至った。
「今だ!」
相手とぶつかるその瞬間、僕は馬を急旋回させて回避した。相手の馬は突然のことに驚いて、『ヒヒン』と嘶き、立ち上がるように体を起こして飛び退いた。
馬にそんな大きな動きをされては、騎手としてはたまらない。さらに相手は鐙で足を固定していないので踏ん張りも効かない。男は成す術もなく外に弾き飛ばされ、叩きつけられるように落馬した。
「ふう、相手にも鐙がないなら踏ん張りが効かないだろうと思ったが、上手くいったな」
落馬した男は立ち上がる様子もない。どうやら一人倒せたようだと一安心。
だが、安心するにはまだ早かった。後ろから何かが飛んでくる気配を感じると、目で追う暇も無く、『チッ』と頭の兜をかすめた。
僕はすぐに後ろへと振り向いた。
すると、残りの敵兵が一様に弓矢を構えてこちらに向けていた。左右に回り込んだ二騎だけじゃない。どこぞより現れた三騎を加えた合計五騎の敵兵が、皆弓を手にこちらを睨んでいる。
「飛び道具は想定外だな……。
矢を相手にどこまで逃げられるだろうか」
人や馬が追ってくるなら逃げようがある。しかし、矢ではとても逃げ切れる自信がない。自分はまだしも僕の馬・彗星にまで当てずに逃げるとなるとほぼ不可能だろう。
「せっかく転生して若返ったのに、ここまでなのか……!」
諦めかけたその時、『ヒュン』という音とともに敵兵の一人が前のめりに落馬した。
「な、なんだ?」
当然の出来事に、僕も敵兵も事態が飲み込めない。
だが、倒れた敵兵の首に一本の矢が突き刺さっていた。
その矢を視認するのとほぼ同時に太鼓を叩くような音に合わせて兵士の一団が一斉にこちらに向かって駆け寄ってきた。
兵士たちは百人くらいいるだろうか。上手く連携が取れている。彼らは馬にこそ乗ってはいないが、長い槍を繰り出し、次々と敵騎を討ち取っていく。
「あの兵士たちの鎧は僕とよく似ている。味方だろうか?
助かったのか!」
敵との戦いも一段落つくと、彼らの中で唯一、馬に乗る男がツカツカと僕の前に進み出てきた。
「お前さん、危なかったな。
しかし、良い馬術の腕してるな」
男はそう言いながら馬から飛び降りた。
歳は二十代後半くらいだろうか。この部隊の隊長にしては若そうに感じる。他の兵士に比べればヒョロっとしたノッポな男で、顔つきもどこか温和そうであった。その顔つきだけでも話が通じそうな相手に感じられた。
僕は彼に合わせて馬から降りた。
「助けていただきありがとうございます」
「良いってことよ。
お前さん、名前は?」
「はい、リュウセイです」
問われた僕はつい前世の名前を出してしまった。考えたら異世界で前世の名を答えるのは迂闊だったかもしれない。
しかし、その名を聞くと相手は気を良くしたようであった。
「ほう、お前さんも《《劉》》か!
そいつはますますもって奇遇だ!」
何か勝手に納得してくれているようなので、まずは一安心といったところか。
「それで、あなたのお名前はなんと仰るのですか?」
「ああ、俺か。
俺はな……」
温和そうな男が答えようとしたその時、僕が落馬させた男が突然立ち上がり、剣を手にして奇声を発しながら僕ら二人に向かって斬り掛かってきた。
「危ない!」
僕は咄嗟に身構えたが、温和そうなその男は取り乱すこともなく、目にも止まらぬ剣捌きで、敵を一刀両断に斬り捨てた。
その瞬間、斬った男の目は先ほどの温和そうな印象をかなぐり捨てたかようにギラついていた。
その目に僕は恐怖を覚えたが、同時に吸い込まれるような魅力的な目にも映った。
「俺の名であったな」
男は今し方の一幕が嘘のように落ち着いた様子で、剣についた血を拭い、鞘にしまっていた。
「俺の名は“劉備”!
よろしくな!」
僕の前に現れた謎の男。彼はかつて憧れた物語の主人公と同じ名前を名乗った。
彼との出会いが僕の長い三国志戦記の始まりとは、この時はまだ知る由もなかった。
《続く》
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