駆け引き
ここは大都市の環状線、とある駅のホーム。ラッシュアワーには画一的な学生や社会人がひしめく。性別、年齢、体格。着ているのはスーツか制服か。ネクタイの色は?電車を待つ間のお供は?よく見ると十人十色だが、その表情は同じように暗い。来たる始業時間に備え、皆不本意ながらもモチベーションを高めている。それが月曜の朝ともなれば尚更だ。
靴音。誰かの引くキャリーケース。ホームに流れるアナウンスメント。そして、吹き込む風にかき消されてしまいそうな程に小さな声の、秘密めいた会話。
若い女性の声が二つ。
「そう言えば、前に言ってた彼。最近どう?」
「それがね、全然落とせないんだー」
ホームの最前列で列車を待つ男子高校生は、ふと何者かの視線を感じて振り返った。しかし、その先にはくたびれたサラリーマン。手元のスマホを熱心に見ていたが、高校生の視線に反応して顔を上げた。
男子高校生は引き攣った笑顔を浮かべ、軽く会釈して再び前を向く。結局、この日も視線の主を確かめる事は叶わなかった。
「押していくのって、何だか恥ずかしいね」
「そんなの気にしちゃダメだって。行動を起こさなきゃ願い事なんて叶わないよ?」
「それは、そうなんだけど……」
それはまるで、教室の隅で行われる色恋話のよう。
通りがかった社会人がふと歩みを止める。しかし、首を傾げてすぐに歩き出した。
そんな話は露知らず。話題の中心である男子高校生は目当ての電車に乗り込み、既に乗車していた友人を見つけて他愛もない話に興じていた。
曜日が変わっても、駅の風景は変わらない。ホームを覆う雑踏に、ホームを包む喧騒。電車を待つ人の顔がどことなく明るくなったのは金曜日だからか。
男子高校生は、今日は松葉杖をついていた。彼は伺うように周囲を見回し、そしてポケットから出したワイヤレスイヤホンを耳に付けた。
ホームの隅に小さく響く少女の声。
「作戦、変えてみれば?」
「えー。今更変えられないよー」
誰かが落としたのか、クシャッとしたチラシがホームの後ろを転がっていく。「緊急時には駅員へ速やかにお知らせください」という掲出物のある柱に引っかかったソレを駅員がため息混じりに拾い上げた。
「でもさ、このままで良い訳じゃないよね?押してダメなら引いてみろって偉い人も言ってたじゃん」
「あ、そっかー」
乗り合わせた友人は、松葉杖姿の男子高校生に驚きを隠せない。彼は乗車時に足を踏み外し、軽く捻ってしまったと笑って言う。珍しいなと胸を小突かれる。ちょっと余所見してて、と溢す彼の顔は人知れず曇っていた。
土曜日の朝のホームは、平日とは打って変わって穏やかな時間が流れている。屋根の切れ目から差し込む光でさえ三割増しに明るく見える。
普段は殺気立つ空気に当てられてカリカリしている清掃スタッフも、今日は両親に手を繋がれている幼子に笑顔を向けながら作業に向かう余裕があった。
三度繰り広げられる会話。
「今日、彼やっぱ来ないじゃん」
「だって休みの日だよ?」
準急列車に乗り込み繁華街へと赴くのであろう利用客を横目に、数名の駅員が掲出物を張り替えている。ここ数ヶ月で急増した転落事故の対策として、まずは利用客への啓発活動を行うことになったのだ。
「分かってるんなら何で昨日行動に移さなかったの?」
少しだけ怒り口調。
「そんなに責めないでよー」
おっとりとした口調の裏には、少しだけ不満が滲んでいる。
原因は不明。急死に一生を得た生存者から話を聞くも、本人にも心当たりは無い。勿論、誰一人として他人から恨みを買うような真似はしていない。
被害者は、不思議と容姿端麗な青少年に偏っていた。
「じゃあ今度。今度の月曜日はちゃんとやるから。押してダメなら引いてみる。その時は絶対見ててよー?」
誰もいない駅のホームにその宣言だけが舞った。
月曜日の朝。このホームが騒々しいのはいつもの事だが、この日に限っては少し様子が異なっていた。
悲鳴。怒号。嗚咽。
停止位置から大幅にずれて止まった電車。駅員に詰め寄る中年男性。その場でうずくまる少年少女。電光掲示板は「只今運転を見合わせております」と無機質に映し出すのみだった。
規制線が張られ、やって来た警察と消防によってその場の混乱が収められていく。
男子高校生が電車に撥ねられたのだ。
目撃者によると、彼は虚空から手を引かれるようにして線路へと落ちていったという。
上機嫌な少女の霊の笑い声が、誰に聞かれるでもなく駅に木霊していた。




