鏡写しの吸血鬼
燭台の火は揺らめき、下水道の壁に三人と対峙する一人の影を映し出している。
「ボラ・スクーラの吸血鬼…」
ナウワーは、ナイフを構えながらそう呟いた。
ナウワーとほぼ同時にヴィオとマヴィットも臨戦態勢に入った。
「あなた達…特にあなた」
ボラ・スクーラの吸血鬼はナウワーを指さした。
「渡したネイの手紙を読まなかったんですか?」
相手もこちらと同じくフードを深くかぶっているのでどんな表情をしているか分からなかったが、その口調からして呆れているようであった。
「読んだ。読んだからここに来たんだ。妹を返してもらう為に」
もう顔を隠していても意味は無いと思った為、ナウワーは片手でフードを外した。
「こうなった以上、あなた達もあなたの妹もここから生きて出ることは出来ません」
ボラ・スクーラの吸血鬼が着ているローブの間から抜き身の剣がちらりと見えた。
どうやら相手も戦闘態勢に入った様であった。
「ヴィオ、マヴィット。先に行っててくれ」
「本気ですか…?」
ヴィオはナウワーの言葉に驚きナウワーを見た。
「ああ、潜入がバレている以上ここで時間を使ってはいられない。ネイに潜入しているのが俺達だってバレる前に妹を頼む」
ヴィオは一瞬、顎に手を当て悩んだ様子をしていたがマヴィットが肩を叩き「行くぞ」と言ったのを聞いて頷いた。
「死なないでください。そして、出来ればもうこれ以上殺さないで…」
そういってヴィオ達は走り出す。
「行かせると思いますか」
「悪いけど通してやってくれッ!」
走り出したヴィオ達より先に、低い姿勢から突風のように飛び出したナウワーはボラ・スクーラの吸血鬼にナイフを突き立てた。
ボラ・スクーラの吸血鬼は、それを剣で受け止めた。
ナウワーはボラ・スクーラの吸血鬼の動きを封じるように鍔迫り合いに入り、力を込めて相手を動けなくさせた。
「さぁ、早く!」
ナウワーがそう叫ぶとヴィオとマヴィットは頷きながらナウワーとボラ・スクーラの吸血鬼の横を走り抜けて旧下水道の奥に進むのだった。
「そういえば、名前聞いてなかったな」
鍔迫り合いをしながらナウワーはそんな事を言った。
「名前?」
ボラ・スクーラの吸血鬼がそう言った次の瞬間、鍔迫り合いから剣が引かれ回し蹴りが放たれた。
ナウワーはそれを後ろに飛んで躱し、すぐさま体勢を整える。
回し蹴りでボラ・スクーラの吸血鬼のローブがふわりと浮いた一瞬、彼女の胸元にロケットペンダントが見えた。
恐らく、セブンのロケットだ。
「パーヴリの吸血鬼、そう呼んでくれても構いません」
「残念ながらそれは俺の名前だ。別の奴にしてくれ」
ボラ・スクーラの吸血鬼は驚いたようにしてナウワーを見た。
「あなたがパーヴリの吸血鬼…?」
「そうだよ。…そんで名前は?」
そう話しながらも両者、武器を構え攻撃に備えている。
「…エクシー。それが私の名前」
剣をナウワーに向けながらボラ・スクーラの吸血鬼はそう答えた。
「なるほど、エクシーね。俺は…」
ナウワーがそういった瞬間、ボラ・スクーラの吸血鬼改めエクシーはナウワーに飛びかかり剣を振り下ろした。
「あなたの名前ならもう知っています!」
「そうかい!」
振り下ろされた剣をナウワーはナイフで弾き返す。
しかし剣を弾き返されてもなおエクシーは止まらず、嵐のような勢いで剣技が繰り出された。
「エクシー、なぜ吸血鬼なんて名乗っているんだ!」
「これから死ぬ人間に話すことなど!」
エクシーの剣技のすべてを弾き受け流すナウワーは、それでもエクシーの剣圧に押され少しずつ後ろに下がっていた。
ナウワーが攻撃に転じずに会話を試みているのには理由があった。
ナウワーは、エクシーが自分と同じ様な経緯で吸血鬼になったのなら、心のどこかで正義の為に人を殺すことなど間違っていることに気づいているはずで、説得して改心させる隙があると思っていたのだ。
「君は吸血鬼が正しいと思っているのか?」
「…」
返事の代わりにエクシーの刃が翻る。
それを受け流しナウワーは言葉を続ける。
「俺は吸血鬼は正しく、そこに正義があると思っていた。悪人を殺すことで救われる人が居るから正義なのだと」
エクシーの剣戟に力が入った様な気がした。
「俺が最初に殺したのは、自分たち兄妹を虐待していた屑。実の父親だった。殺した時の感触は、気持ちは、今もすべて鮮明に覚えている。あの時は確かに救われた気がしていたし、これが正義なのだと思った」
攻撃を受け流し続け、手に痺れを覚えながらもナウワーは言葉を紡ぐ。
「でも、それは間違っていたんだよ。その行いが正義であれ悪であれ。そのやり方は絶対に間違いだったんだ。殺した後に、俺は父親の死を悲しむ人間を見た。腕のいい革職人だったのに、と」
「…」
ナウワーの言葉を聞いたエクシーには少しだが隙が生まれた。剣を振る速度が遅くなったのだ。それを逃さずナウワーはエクシーの剣を力一杯弾いた。
剣を弾かれたエクシーは、後ろに飛び退いた。
「なぜ、なぜ間違いだと思ったんです?」
エクシーの構える剣の先は彼女の声と同じく揺れていた。
「悪人を殺すことで救われる人間は確かに居た…だけどそれと同じかそれ以上に悲しむ人間が居たんだ。だから間違いだと思った。でも俺はそれを、見て見ぬふりをしていた…」
「救われる人が居たのならいいじゃないですか!」
エクシーは再びナウワーに斬りかかった。
しかし、振り下ろされた剣は簡単に受け止められるほど軽かった。
「じゃあ、もし人を殺さずに虐げられている人を救える方法があるのなら、悲しむ人間が少なくなる方法があるのなら…そっちの方が良くないか?」
「殺すしかなかったのなら仕方のない事です!」
ヴィオに正体を看破される前の、現実や自分のやっていることから目を逸らしていた時の自分を見ているようでナウワーは少し嫌な気分になった。
「殺すしかないなんて誰が決めた。そんな事!」
エクシーの剣を弾き、ナウワーは全力の回し蹴りを放った。
剣を弾かれてよろけたエクシーは、回し蹴りを躱すことが出来ずにそれを腹に受けて後ろに転がった。
「かッ…ふ…」
地面に転がったエクシーは、すぐに立ち上がろうとしたが蹴りの衝撃で体がよろけ、剣を支えにしてようやく立ち上がった。
「本当に何もなかったのか、殺す以外の方法が。俺の父親は死ぬ必要があったのか。今まで殺してきた奴らも本当に死ぬ必要があったのか。殺す以外の方法で虐げられている人間を救う方法があったんじゃないのか、悲しむ人間を一人でも減らす方法があったんじゃないのか!」
転がった時に外れたフードを直さずに剣を構えなおしたエクシーは、ナウワーを睨みつけた。
「そんなものはない、生きるためには、救うためには殺す必要があった。難民だった私は奴隷として娼館に売られた。地獄のような毎日だった。この世のゴミを集めたかのような下衆な輩に奉仕する毎日。自分が日々穢れていくのが分かった。娼館には私の様な子供が沢山いた。あの地獄から皆で逃げ出すにはそこを仕切っている奴を殺すしかなかった。私のほかにもそういう奴らはいる。それを救うにはやはり悪人を殺すしか方法はない!」
「本当にそうか?」
ナウワーがそういうとエクシーは、全力で剣を振った。
「そうだ、それ以外に方法は無かった!」
力任せに剣を振るうエクシーの攻撃はもはやナイフで受ける必要すらなく、ナウワーは剣を躱し続けた。
「試したのか、他の方法を!」
「それは…」エクシーの剣の勢いが少し弱まった。
「俺は試さなかった。何も、何一つもだ。万に一つでも他の方法で救える可能性があるのならそれを試すべきだったんだ。それもせずに殺しになんて手を出すべきじゃなかったんだ!」
ナウワーがそういうとエクシーは剣を振るのを止めて俯いた。
「…今だったらそう思えるかもしれないよ、けど虐げられていた時にそうは思えなかった。あなただってそうでしょう。だから私はパーヴリの吸血鬼に憧れたんだ。悪人を殺すことで私の様な人間を救ってくれる正義の味方…」
少しの間、燭台の火が燃える音だけが下水道を包んだ。
「…俺はどんな人間にもチャンスが与えられるべきだと思った。どんな屑でも真っ当な人間になるチャンスが。それすら無しで突然殺されるのはとても不公平だと思うんだ」
ナウワーはそういって微笑みながらエクシーの頭を撫でた。
驚き顔を上げたエクシーは泣いていた。
「でも、だからと言って自分を擁護するつもりは無い。俺は、人を殺しすぎた。だから今更チャンスだなんてそれこそ不公平な話だ。だけどエクシー、君は違うだろう。まだ一人だけなんだろう?」
「そう。でも一人、殺してしまった…それでも…?」
エクシーの頬を涙が伝い、下水道の地面に落ちた。
「ああ、君は今からでも真っ当に生きて罪を償うべきだ。だから吸血鬼なんてもう止めろ…」
エクシーは剣を落とした。
下水道に剣が落ちた時の金属音が響いた。
「娼館から逃げてネイに拾われた時、自分に従って正義の味方になれって、吸血鬼になれって、ネイに言われた。私はそれを受け入れた。吸血鬼に憧れを、希望を抱いていたから。だけどすごく苦しかった。だって、あなた…ナウワーと同じで、最初の殺しを鮮明に覚えているから。夜に眠れないくらいはっきりと。手に伝わる生暖かい血の感触や肉を切り裂く感触を覚えている…そんな私でも真っ当に生きられるかな?」
「大丈夫さ、きっと。…エクシー、妹を助けるのを手伝ってくれないか」
ナウワーは少し屈み、エクシーに視線を合わせた。
「…分かった…いや、分かりました。あなたに協力します」
エクシーは涙を拭うと剣を拾い上げた。
「ありがとう、まずはヴィオ達と合流したい。急ごう」
「ええ」
エクシーとナウワーは走り出した、暗闇の中に灯る燭台の光を当てにして旧下水道の奥へ。




