夜の町にて
王都の東に存在する交易都市パーヴリは、王都に向かう交易路の中継地点という特性から日中は旅人が行きかい騒がしすぎるほどだ。
しかし、都市議会が決めた夜間外出禁止法により月明かりと空に浮かぶ紫色の彗星に照らされている夜の町は驚くほど静かだった。
そんな静寂を破るように派手なマントをたなびかせ石畳を蹴って走る少女がいた。
ヴィオ・オプファ。
最近、パーヴリにやってきたばかりの守闘士である。
「そこまでです!」
月明かりが微かに照らすパーヴリの路地裏にて、ヴィオは叫び腰に下げた剣を抜き放つ。
その剣先が向けられた先には怪しげなローブの人影がおり、その者の足元にはこれまた派手なマントを付けた男が倒れていた。
倒れている男は守闘士。守闘士なら誰でも身に着ける派手なマントでそれが分かる。
そしてその横に立つ人影。それこそがヴィオの目標。
「大人しくお縄につきなさい。吸血鬼!」
数十年前。パーヴリから遥か東方にて起きたウォダナの大侵攻により、東方の大部分の貴族領地が滅亡し王国内に難民が溢れかえった。その結果、町の治安は激しく乱れた。
強盗や殺人が日常になっていたのだ。
その頃に噂され始めた正義の為に悪党を殺すとされている存在。
パーヴリの吸血鬼。
現在のパーヴリも治安が良いとは言えない状況だった。パーヴリを覆うように構えられた城門の前には未だに難民が押し寄せ、毎日のように難民達は町中に入り込もうとたくらんでいる。それは野盗やウォダナから身を守る為である。
運よく町中に入った難民は身寄りもないため盗みを働く。そして窃盗団を作り、その日を生きるために盗みを繰り返す。それに加担するのは組合を追い出された違法守闘士、役所の許可なく営業する違法職人など。それらが住処にするスラム街はたった三年で北東の居住区を飲み込み出来上がった。
スラム近郊では難民で構成された複数の窃盗団が毎日のように窃盗・強盗事件を起こしている。
その為、悪党を殺し治安を守る正義の吸血鬼はパーヴリの住人から歓迎されていた。
しかし、ヴィオは正義の為といえども人殺しは許せなかった。どんな正義を振りかざしても人殺しは正当化できるものではないと思っていたからだ。
吸血鬼はヴィオを見つめているように見えるがフードを深く被っているので定かではない。
静まり返る路地裏は、張り詰めた空気で寒気を感じるほどであった。
ヴィオは倒れた男に一瞬目を向ける。
倒れた男はピクリとも動かずに伏したまま。よく見ると男の下に血だまりができ始めていた。
遅かった。ヴィオは後悔した。
自分がもう少し早く来ていれば救えた命だったのにと。
「武器を捨てて、腹ばいになりなさい」
ヴィオは剣先を吸血鬼に向けたまま指示を出す。
もちろん素直に聞いてくれると思うほどヴィオはお人よしではなかった。
その為、剣先は一切逸らさず吸血鬼に向けている。
そうしているうちに遠くから手持ち鐘特有の高い音が聞こえてきた。
それはパーヴリの夜警特有の持ち物で自分の場所を仲間に知らせたり緊急時に仲間を呼ぶ為に使う物だ。
つまりこれはヴィオの仲間が手持ち鐘の音が聞こえるほど近くまで来ている合図であった。
「さぁ、早く武器を捨ててください!」
いくら件の吸血鬼と言えどもその正体は人間のはずだ。複数人に囲まれて逃げられるほど強くはないだろう。人に化けたウォダナや王や貴族が認めるほどの実力ある守闘士なら話は別だが。
時間が経てば自分の仲間が来る。そうなれば勝ちだとヴィオは確信していた。
吸血鬼の影が揺れそのローブの間から直剣が転がり落ちた。
「そのまま腹ばいに」
あっさりと指示に従う吸血鬼にあっけなさを感じたが何もないならそれが一番であった。
そして吸血鬼が屈んだ次の瞬間、突風が巻き起こる。
「ッ!」
ヴィオは起こった突風が吸血鬼そのものだと理解する前に左手で背中のマントを吸血鬼と自分の体の間に構え攻撃を受け止めた。
守闘士のマントはただ派手なだけではなくこういった咄嗟の防御に使えるように厚く出来ている。
受け止めたマントの向こう、そこには一対の針のようになっている小型ナイフがあった。
小型ナイフを受け止めた際の衝撃はかなり軽く刃はマントを貫通しなかった。ヴィオは警戒しながらも少し拍子抜けした。
「それが本当の獲物ってわけですね…!」
先ほどローブの隙間から捨てた剣はヴィオを油断させるための偽物だったのだろう。
「…チッ」
吸血鬼は攻撃を防がれた事を理解するとすぐにナイフを引き、素早い動きでしゃがみ込み、そこから蹴りを放った。
「ぐっ」
マント越しだが吸血鬼の蹴りをまともに腹に受けたヴィオは後方に吹き飛ばされた。
「は…あ…ぐ…」
地面を転がり地に伏したヴィオは全身を打ち付けた衝撃から一時的に呼吸困難になっていた。
酸素不足で意識が朦朧としてくる中、ヴィオは吸血鬼を見つめる。
するとどこからか黒猫の形をしたものが飛び出し吸血鬼に飛びかかった。
吸血鬼は冷静にそれを振り払うと一瞬ヴィオを見た。
目と目があった気がした。
吸血鬼の顔はフードに隠れて見えないが、その瞳だけは見えた気がしたのだ。
冷たい赤色の瞳。
薄れゆく意識の中、ヴィオは辺りに響く仲間たちの鐘の音と猫のような鳴き声を聞きながら、走り去る吸血鬼を見て悔しさを噛み締めた。