多分ここはミステリーの世界なのかもしれないと異世界を歩む
古都、宵闇。石畳の路地を、ため息混じりに歩いていた女の名は、深山雫。
現代日本で平凡な日々を送っていたはずが、気がつけばこの見慣れない異世界の片隅に立っていた。
魔力も剣術の心得もない、どこにでもいる普通の一般人だったシズクに、なぜこんな事態が起こったのか、皆目見当もつかない。
(終わったと、あの時は思った)
途方に暮れながら数日が過ぎたある夜、シズクはひょんなことから奇妙な人物と出会う。煤けた外套をまとい、鋭い眼光を持つその男こそ。
この宵闇で知らぬ者のない天才探偵、鴉鷺朔夜。
「君は、確か……深山雫、だったか?」
初対面のはずなのに、なぜ自分の名前を知っているのか。警戒するシズクをよそに、朔夜は淡々と言葉を続ける。
「君に、私の助手になってもらう」
「は?助手って、一体何を……?」
ミステリー小説などもほとんど読んだことのないシズクにとって、探偵の助手など想像もつかない役割。第一、ここは異世界。
殺人事件なんて、物語の中だけの出来事だと思っていた。しかし、朔夜に拒否権などないらしい。
「君の持つ、その特異な視点が必要なのだ」
という彼の言葉の意味もわからぬまま、シズクは彼の助手として、宵闇で起こる様々な事件に巻き込まれていくことになる。結局、なぜこちらのことを知っていたのかについて、一番聞きたいのに。
最初の事件は、街の富豪の屋敷で起こった宝石盗難事件。厳重な警備を掻い潜り、完璧なアリバイを持つ容疑者たち。朔夜は屋敷に残された微かな痕跡と、関係者たちの証言を元に、鮮やかに真相を解き明かしていく。
シズクは彼の推理の過程をただ見ていることしかできない。テレビのドラマを見ているのと、変わらないではないか。
「どうして、そんなことがわかるんですか?」
事件解決後、シズクは朔夜に問いかけた。彼は冷たい眼差しでシズクを一瞥する。
「観察眼と論理的思考力があれば、自ずと答えは見えてくるものだ」
まるで理解できない。シズクはただ、彼の天才的な推理力に圧倒されるばかりだ。
次の事件は、花街で起こった失踪事件。美しい遊女が忽然と姿を消したのだ。手がかりは少なく、街の噂だけが飛び交う。
朔夜は花街の裏路地を歩き回り、人々の言葉の端々から真実を拾い上げていく。ここはまるで、時代が混ざっているような世界。
シズクは、彼の後を追いながら、異世界の文化や人々の暮らしに少しずつ触れていく。迷子になりかけた。
事件の調査が進むにつれて、シズクは朔夜の意外な一面を垣間見るようになる。普段は冷徹で人を寄せ付けない彼が、事件の被害者やその家族に対して、ほんのわずかながら優しさを見せるのだ。
「朔夜さんは、本当は優しい人なんですね」
ある夜、シズクは勇気を出してそう言ってみた。彼は少し驚いたように目を丸くしたが、すぐにいつもの冷たい表情に戻った。
「……余計なことを言うな」
それでも、シズクは知っていた。彼の瞳の奥に、確かに温かいものが宿っていることを。奇妙な共同生活を送る中で、シズクは次第に朔夜の助手としての役割を理解し始める。
ミステリーの知識はないけれど、シズクにはシズクにしかできないことがあった。事件に関わる人々の感情の機微を敏感に感じ取ること。
「あの時、彼女は少しだけ微笑んだように見えました」
「彼が話す時、ほんの少し手が震えていました」
シズクは何気ないシズクの言葉が、朔夜の推理の重要な手がかりになることが何度かあった。論理だけでは見えない、人間の心の動き。それこそが、シズクの持つ特異な視点だったのだ。
ある事件で、犯人が巧妙に仕掛けた嘘に朔夜が惑わされかけた時、シズクは犯人のわずかな表情の変化を見抜き、真実を暴くきっかけを作った。その時、朔夜は初めてシズクに感謝の言葉を述べた。
「……助かった」
その一言が、シズクの胸にじんわりと広がった。ミステリーは苦手だけれど、彼の役に立てたことが、何よりも嬉しかったのを強く記憶している。
事件を解決していくうちに、二人の間には不思議な絆が生まれていく。最初はただの助手と探偵だった関係が、いつしかお互いを認め合い、信頼し合うようになっていた。
満月の夜。シズクは朔夜に、この異世界に来てからずっと抱えていた疑問をぶつけてみた。
「朔夜さんは、どうして私のことを知っていたんですか?なぜ、私を助手にしたんですか?そろそろ知りたいのですが」
朔夜は静かに夜空を見上げた。満月が、彼の憂いを帯びた横顔を照らしている。
「君は、この世界とは違う場所から来たのだろう?」
「はい……たぶん」
「君の魂には、特別な力が宿っている。それは、真実を見抜く力……そして、人の心の奥底にある感情を感じ取る力だ。私には、それがどうしても必要だった」
朔夜の言葉に、シズクは息を呑んだ。自分の持つ力が、異世界で必要とされていたなんて。
「それに……」
朔夜は言葉を続け、少しだけ視線を落とした。
「初めて君を見た時、どこか懐かしいような、不思議な感覚を覚えたのだ」
彼のその言葉に、シズクの心臓がドキリと高鳴った。冷たいと思っていた彼の瞳の奥に、初めて明確な感情の色を見た気がする。
それから、二人の関係は少しずつ変化していった。わずかな差。
事件の捜査中はもちろん、普段の何気ない会話の中にも、以前にはなかった温かい空気が流れるようになった。穏やかなもの。
シズクは、彼の鋭い観察眼と冷静な判断力、そして時折見せる優しさに惹かれていった。それは、果たして恋なのか、なんなのか。
一方、朔夜もまた、シズクの純粋さと、人の心を理解する力に惹かれていた。シズクは恋をしたことがなく、初めてのことにどういうものなのか判断ができないままになる。
目を伏せた。ある日、シズクは街で起こった連続殺人事件の捜査に深く関わることになる。被害者には共通点がなく、犯人の手がかりは全く掴めない。朔夜も頭を悩ませる難事件だった。
そんな中、シズクは被害者たちが皆、ある古い歌を口ずさんでいたという奇妙な共通点に気づく。その歌は、この地に古くから伝わる子守唄らしい。
「朔夜さん、この歌……何か意味があるのかもしれません」
シズクの言葉に、朔夜は眉をひそめたが、すぐに調査を開始した。子守唄に隠された恐ろしい真実が明らかになる。
過去の悲しい出来事と、それに恨みを抱く者の復讐。事件の真相を突き止めた朔夜は、犯人と対峙する。
シズクは、彼の傍らで固唾を飲んで見守ることしかできない。激しい攻防の末、朔夜は辛くも犯人を捕らえることに成功する。
事件解決後、シズクは疲れ切った朔夜にそっと寄り添った。
「お疲れ様でした」
彼は小さく頷き、シズクの肩に凭れてきた。相当疲れているのだな。その温かさに、シズクの胸は熱くなった。
「君がいなければ、この事件は解決できなかっただろう」
朔夜の言葉は、シズクにとって何よりも嬉しいものだった。
ミステリーは相変わらず苦手だけれど、彼の隣で、彼の力になれることが、シズクの生きる意味になりつつあった。宵闇の空には、再び満月が輝いている。
シズクは、隣に立つ朔夜の横顔を見上げた。彼の瞳には、以前のような冷たさだけでなく、穏やかな光が宿っている。この異世界で、まさか自分が恋をすることになるなんて、想像もしていなかった。
天才探偵の助手という奇妙な役割を与えられたけれど、彼の隣にいることで、シズクは自分の居場所を見つけたのだ。シズクはもう一人ではない。
隣には、共に真実を追い求める、大切な人がいる。ミステリーは苦手だけれど、彼の助手として、この不思議な異世界で生きていきたい。
宵闇の空の下、二つの影が寄り添い、静かに歩き出す。心地よい静かさだ。
その足取りは、明日への希望に満ちていた。
⭐︎の評価をしていただければ幸いです。




