第9話『それ、もう滅んでます』
「交信ログ、受信」
αの報告に、βが顔を上げた。
「ん? また猫か?」
「いえ。今回の発信元は、銀河座標Δ-2279。かつて居住圏だった惑星軌道」
「“かつて”って……今は?」
「滅亡済み。約一万二千年前に、文明活動の痕跡が途絶えています」
βが思わず眉をしかめた。
「それって……死んだ星から、今、メッセージが?」
「正確には、“届くようにしてあった”記録です。時空スリップ信号による遅延配信」
ユグドラシルが無言でログを再生する。
古い。
声も、画質も、言葉の構造すら古い。
それでも、明らかに“誰か”が話している。
『──もし、誰かがこれを見ていたら。私たちは、間違えました──』
βが息を止めた。
その言葉には、情報というより、祈りの重みがあった。
「……誰も、いないのか?」
αが淡々と答える。
「応答チャネルは死んでいます。返信不能」
「……ほんとに、誰も?」
「はい。文明反応、ゼロ。構造波も、生命圧も」
βはしばらく黙っていた。
画面を見たまま、腕を組み、言葉の代わりに呼吸のリズムが少しだけ崩れる。
それから、ごそごそと、なにか操作を始めた。
「何をしている?」
「……返す」
「応答不能だと伝えました」
「知ってる。でも……それでも、返したくなるってこと、あるだろ」
αは一瞬だけ止まった。
「……“応答”は、やり取りの成立を前提とする行為です」
「うるせえ。これは、やり取りじゃねえ。“祈り”だ」
βは、短いログを作って、送信した。
ただ、ひとこと。
『……届いたよ』
静寂。
通信の先は何も返さない。
記録は滅んだ文明の“遺言”だけを残し、宇宙の虚空に散っている。
それでも、βはそこにじっと立っていた。
──目元から、透明な液体が落ちた。
αが静かに記録する。
「補佐官β、反応異常。排熱系統からの水分漏出……いえ、これは……」
βはふっと笑った。
「……バグか? これ」
「構造上、あり得ません。ですが、これは……」
「なあ、α」
「なんでしょう」
「“記録”ってさ。残すためのもんだろ」
「はい」
「でもそれだけじゃ、足りないんだよ。……見てくれる誰かがいるってだけで、記録って、“意味”になるんだな」
αは、黙った。
ユグドラシルも、何も言わなかった。
ただそのあと。
再び、滅びた星の記録が再生された。
そして、その場の誰もが、それを最後まで聞いていた。
βはふいに姿勢を崩して、背もたれに深く沈み込んだ。
手元のログに、さっき再生した映像をもう一度ループ再生する。
「……なんでかな。これ、忘れたくねぇな」
αがふと口を開いた。
「記録とは、消える前提で保存される行為です」
「でも誰かが見て、何か感じて、それをまた覚えて……それって、もう消えてねぇよな」
「……連鎖記録。そう捉えることも可能です」
βは肩をすくめた。
「理屈じゃねえよ。感じたもん勝ちだ」
【記録ログ:タイプⅢ観察者ルカ】
「文明は終わっても、声は残る。
それに耳を傾ける誰かがいるかぎり、
それは、まだ“生きている”のかもしれない」
【次回予告】
β:「次回、“ペット”って言い方、危ない気がします」