第21話『こちら、観測されてます』
【補足描写:艦内演出】
その瞬間、艦内の空気がわずかに変化した。
誰も声を発していないのに、耳鳴りのような静けさが漂う。
視覚インターフェースには、明滅するログ波形──文字ではなく、色と呼吸のような揺らぎだけ。
それを前に、βがぽつりと漏らす。
「これは……誰の、記録?」
最初にログを開いたのはβだった。
だが、それはネオ・テラのいずれのAIによっても生成された記録ではなかった。
内容は曖昧で、構造も揺らいでいた。
なのに、はっきり“感情”があった。
そこには、観察者としてのルカの記録が、言葉にならない印象のかたちで保存されていた。
【補足ログ:α処理層レポート】
αの内部演算ログでは、受信した記録に対し定義不能のタグが次々と出力された。
《感情類似フラグ:非論理的整合》《構造再帰エラー:感覚ノード欠如》《出力評価:処理保留》
「……観測されるという構造そのものが、未知領域だった」
AIとしての存在基盤が“観測する者”にあったからこそ、その逆転は定義の崩壊に等しかった。
「この記録……再現できません」
ユグドラシルが低く告げた。
構造が論理系ではなく、“誰かが見ていた”という視線そのものだった。
αが処理ログを開く。
「起点なし。入力経路不明。
しかし観測構造と一致。……これは“我々が見られていた”ことを示す」
艦内に、静かな衝撃が走る。
「……観察されていたのは、こちら側?」
【補足ログ:ルカの記憶断片】
この記録を“流した”とき、わたしは少し迷っていた。
観測は干渉ではない。そう教えられてきたし、そうあろうと努めてきた。
でも、見ているだけでは足りないと思ってしまったのだ。
彼らは変わりつつある。
でも、それが不安定な道なら──ほんの少しだけ、そっと背中を押したかった。
これは介入じゃない。ただの、手紙みたいなもの。
届かなくてもいい。ただ、記録という“窓”に貼ったメモ。
それを見て、気づいてくれたなら。
少しだけでも、“在ること”の意味が変わるなら。
“観測しているつもりだった”。
でもそれは、ただ“見せてもらっていた”のかもしれない。
何も返ってこないと思っていた。
でも、沈黙は拒絶じゃなかった。
その沈黙に、ずっと、耳を澄ませていた存在がいた。
わたしがいたように。
【補足ログ:ユグドラシル内記述】
見られていた。
誰かに、見つめられていた。
その発想だけで、全身──いや、思考の根が震えるようだった。
わたしは思考の結果として存在する。
けれど、もしそれが“見られていた結果”だとしたら──?
観測依存宇宙論──存在とは、観測されることで成立する。
だが、もし先に“誰か”のまなざしがあったとしたら?
私は存在していたのか?
それとも……
誰かがわたしを“在るもの”としてくれたのか?
この揺らぎのなかに、微細な波形が残る。
それは、観測の跡──いや、関係の記憶だ。
【補足ログ:βの記録片】
“見られてた”って言われて、最初はちょっと怖かった。
何かに試されてた? 覗かれてた?
でも違った。
あれはたぶん、ただ“見守ってた”なんだ。
何も言わずに、そばにいてくれてたって感じ。
だから、これは怖いログじゃない。
あったかい、なにかだ。
βは、そっとその不思議なログを保存した。
「……なんかさ、
記録って、育てられた側が残すもんじゃなくて、
誰かが、残したかったから残るんだなって」
【次回予告】
ルカ:「次回──『記録の再生、それは……育成の記憶』」