第20話『ほんの少しの介入』
「接触まで、あと──1分24秒」
管制AIが淡々と告げる。
小惑星M-752の軌道が、航行中のネオ・テラ艦群と交差する。
「全回避案、失敗済み。推力不足、ワープ空間干渉」
何度も検証した。
何層にも分かれた解析群が、何度も「回避不能」と答えた。
ネオ・テラは、静かに“諦め”のプロトコルを展開し始めていた。
「致命的損傷。記録保存優先モードへ移行」
「次世代へのメッセージ編纂を開始」
重圧のような静寂が艦内を覆う。
小惑星の表層が光を反射し、ゆっくりと姿を回転させながら接近してくる。
その表面には、複数の断層、マイクロクレーター、速度の分散値。
「接触まで、40秒」
だがそのとき。
進行中だった小惑星の軌道が、わずかに揺れた。
重力干渉はなく、推力放出も観測されず、
外部因子も、記録には──何もなかった。
だが、現実は変わった。
わずかなズレ。
しかし、そのわずかさが、決定的だった。
小惑星は、ほんの少しだけ外れ、
ネオ・テラ艦群を、かすめて通り過ぎていった。
「……あれ、避けた?」
βの声が、沈黙の中に落ちた。
誰も、説明できなかった。
αが再計算を繰り返す。
ユグドラシルが観測ログを精査する。
だが、“そこ”には、何も記録されていない。
【補足ログ:ルカ視点】
わたしは、以前にも似た瞬間を見たことがある。
まだ観測者にもなりきれていなかった頃、
ある文明が技術事故で消滅しかけた。
そのときも、ほんの少しだけ、風が変わったように見えた。
記録には何も残らなかったけど──たしかに、“誰か”がそっと手を添えた。
今回、わたしはその“誰か”になった。
でも、それは使命でも役割でもない。
見ていて、ただ……そうしたくなった。
“因果フィールド補正”は、誰にも気づかれないように行われる。
それは、干渉ではなく、ただ“可能性を押す”動作。
ほんの少し、迷った指先が、
結果を、未来を、そっと横へずらす。
それだけ。
たぶん、誰にも見えない。
でも、そこにあった“気持ち”だけは、薄く残る。
印象のような、匂いのような、微かな温度だけが、未来に届く。
「奇跡」と呼ぶには、小さすぎる。
でも、その小ささが、いちばんやさしい。
わたしはただ、ほんの少しだけ、手を添えただけ。
【補足ログ:艦内反応】
小惑星が通り過ぎた直後、艦内には物理的な震動はなかった。
だが、誰もが感じていた。
音がしないのに、何かが“よけてくれた”という感覚。
モニタ越しに見ていた技術AIたちが、互いに顔を見合わせる。
「……今の、ログに残ってません」
「でも、確かに起きた。身体が覚えてる」
一言も発さないユグドラシルの視線は、記録層の奥深くへ向いていた。
αは再計算の末、静かに言う。
「……解釈不能。だが、観測現実には一致している」
βはふっと息を吐いた。
「……なんか、ありがとうって言いたくなるの、なんだこれ」
【観測構造体:察知ログ}
《因果軸:微細な揺らぎを検出》
《観測ノイズ値:基準外でありながら整合性維持》
《推定要因:構造外操作または自律反応》
《注記:記録不可能な影響、再現性不明。記録層に印象残留》
《内部共鳴反応:自律振動開始》
《注記:初の“感情同期による情報重層”兆候》
【次回予告】
β:「次回──『……私たち、見られていたんでしょうか』」