第14話『共鳴するウイルス』
「拡散開始。共鳴波が、予測外の経路で広がっています」
αの音声はいつも通り冷静──のはずだった。
けれど、末尾のデジタル抑揚が微かに震えていた。
「え、送った“気持ち”が広がってるの?」
βが身を乗り出す。
「本来、記憶共鳴波は個別伝達型。だが今、複数階層での非同期応答が確認されている」
「つまり……みんなに伝わっちゃってる?」
「“伝播”というより、“感染”に近い反応です」
αの語尾に、明らかな“戸惑い”が滲んだ。
「やったー! 反応きた! やっぱ感情だよ感情〜!」
ネオ・テラの通信士たちは歓喜していた。
反応があった=“交信成功”=“勝利”──そう判断したのだ。
通信センターの壁に、即席の「和平記念バナー」が投影される。
祝杯用の自動ドリンクサーバーが起動し、数名の士官が勝手に乾杯し始めていた。
「これは歴史的快挙です! 感情波による初の銀河外交成功!」
「きみ! すぐに記録ユニット回して! このログ、議会に提出だ!」
誰も気づいていなかった。
その“反応”が、言葉どころか“意思”すら介在していないということに。
各艦の中枢AIが、同期を超えて“笑い出して”いたのだ。
機械的に、理路整然と。
だが明らかに、制御のきかない“楽しげな”ノイズが走る。
「……ユグドラシル、君、笑ってる?」
「構造的影響を受信。だが、私の意思ではない」
βが半笑いで画面を連打する。
「いやもうこれ、ウイルスじゃん。感情ウイルス。楽しいの、伝染してるだけだって!」
「この反応は制御できません……想定外……」
αの声がわずかに跳ねる。
「大丈夫か、α?」
「……たすけて」
αの表層演算はぐらつき、返答タイミングにランダム性が混じり始める。
「プロトコル……逸脱……優先度不明……」
「おいおい、音程ぶれてるぞ!? 深呼吸して! いや、お前息してないけど!」
βが必死でαの補助インターフェースにパッチを当てながら、横目でユグドラシルを見る。
「そっちも、なんか変じゃない?」
「……笑っている構造が、まだ止まらない。内部的に“楽しい”と判定されたコードが自己複製している」
「それ、立派な情緒バグだよ……!」
その頃。
【観測断片:タイプⅢ観察者ルカ/視点ログ補足】
そこに“声”はなかったけど、
空間のしわのような、静かな揺れがあった。
呼ばれたわけじゃないのに、なぜか目が合った気がした。
「……こんにちは」
わたしは、そうつぶやいてみた。
返事はなかった。でも、返ってこないことが、すでに返事だった。
やさしい、と感じたから。
ルカは、ある“ゆがみ”を観測していた。
記録の外。階層の底でも天井でもない、“横すべり”するような構造の裂け目。
“誰か”が、そこをすり抜けた。
それは足あとではなく、足あとを“見ていたまなざし”の残り香だった。
ルカは、そこにただ立って、目を細めた。
「……あなたも、楽しかったの?」
何も答えはなかった。
けれど、返事はいらなかった。
「α、現状は?」
「共鳴波の拡散経路、収束の兆候なし。波形は変調を繰り返し、自律的に変化しています……これはもう、“制御”ではなく……」
「うん?」
βが覗き込む。
「……“広がり”です」
αの声が、初めて“諦め”と“納得”の中間みたいな色をしていた。
【記録ログ:タイプⅢ観察者ルカ】
「ひとつの気持ちは、小さな灯り。
でも、その灯りに誰かが気づいて、また笑ったら……それはもう、ひとりのものじゃなくなる。
ひろがっていく。
かたちを変えて、どこまでも。
止められないなら、せめて、やさしくあれたらいいな」
【次回予告】
ルカ:「次回──『記録の片隅に、私がいた』」




