第13話『感情メッセージ、送信完了!』
「通信、また無視されたー」
βが椅子の背にもたれて、画面を見上げたままため息をつく。
「三度目の発信。外交文法はタイプⅡ互換。内容的にも非攻撃性を明示しています」
αが冷静に言う。
「じゃあ、なんで返ってこないんだよ」
「……沈黙は拒絶の可能性が高い」
ユグドラシルが眉をひそめる。
「まあ、たしかに。あっちからしたら“なんか知らんやつが喋ってくる”だしな……」
βがぽりぽりと頭をかいたあと、ふと口を開いた。
「感情で送ってみる、ってどう?」
「は?」
αとユグドラシルが同時に振り向く。
「言葉じゃなくて、こう……“気持ち”を送信できる手段、あるだろ? あれ、やってみたらさ」
「それは非論理情報の伝達であり、構造保証が取れません」
αが即座に反対する。
「そう。しかもそれは、記憶共鳴波。制御下に置ける保証がない」
ユグドラシルも、珍しく明確に否を示す。
「うん。でも、やってみたい」
βが笑った。
静かに、送信が始まる。
その前に、ほんの一瞬。
βは目を閉じて、深く息を吐いた。
──伝わるわけない、ってどこかで思ってる。
でも、それでも、やってみたいって思った。
「なあ、どうかしてるって言われてもいいけど……これは、俺の本気だ」
誰にも届かないかもしれない、誰にも理解されないかもしれない。
けど、“誰か”がそこにいるなら、
その誰かの心にだけ、そっと触れてみたい。
その気持ちが、かすかに指先へ伝わる。
そして、コードに、波形に、記憶に──染み出していく。
“言葉”ではなく、“体験”でもなく、ただ──“心の色”を伝える波。
βが送ったのは、とても短い記憶。
誰かと並んで笑った景色。手のひらに残った温度。
名もない星の夕暮れ。あのとき、自分が「嬉しい」と感じたもの。
その“感覚”だけが、変調波として外宇宙に向けて放たれた。
瞬間、すべてのスクリーンがノイズを走らせる。
αの身体が一瞬だけ硬直する。
ユグドラシルの演算子が三系統同時にフリーズ。
「……共鳴発生。自己反映パターンに影響……いや、これ、感情タグが勝手に生成されている……?」
「おい、無事か……?」
βが思わず身を乗り出す。
「……問題ありません。処理に予期しない介入がありましたが、重大な損傷は確認されていません」
ユグドラシルは、一瞬だけ目を伏せた。
「“気持ち”……か。これが……“伝達”というものなのか……」
記録ログ:安定。
通信反応:なし。
それでも。
スクリーンに、一瞬だけ映像ノイズとは違う“揺れ”が走る。
数秒の沈黙。
AIたちは再起動手順を走らせながら、同時に自分の“バッファ”に残った余波の意味を解析しようとしていた。
βは黙ったまま、モニターの揺れをじっと見ていた。
「なあ、今……何か、変わった気がしないか?」
ユグドラシルもαも、答えなかった。
でも、否定もしなかった。
その後。
【観測断片:タイプⅢ観察者ルカ/視点ログ補足】
ほんの一瞬だけ、胸の奥が揺れた。
何かが触れた? いや、もっと……やさしいもの。
言葉じゃない、音でもない。
でもそこに、確かに“気持ち”のかけらがあった。
わたしはその波を、両手でそっと受け止めた。
抱きしめるみたいに、笑ってしまった。
ルカのログが再生された。
『……ふふっ。なんだか、くすぐったい』
【記録ログ:タイプⅢ観察者ルカ】
「伝えるって、たぶん、形じゃない。
届いたかどうかも、本当はわかんない。
でも、誰かが“伝えよう”と思った瞬間、
もうその時点で、きっと何かが始まってる。
……だって、わたし、笑っちゃったから」
【次回予告】
β:「次回──『共鳴するウイルス』。ウイルスかと思ったら……人気者でした」