第11話『誰かの足あと』
最初に気づいたのは、αだった。
「空間構造に残留変調。観測座標B-29付近、10秒前に何かが通過した形跡」
βがモニターを覗き込む。
「何かって、何?」
「不明。質量、波長、温度、すべて未計測。観測ログにも記録が存在しない」
「記録されてないのに、痕跡がある?」
「はい。“誰かがそこにいた”という事実だけが、構造に滲んでいる」
その数分前、ユグドラシルは別系統の監視ログを独自解析していた。
「α、観測結果を再送しろ。これは完全に“先制宣言”だ」
ユグドラシルは勝手に一人で、中央管制ルームの照明設定を“会議室モード”に切り替え、全スクリーンを“警戒色モード”に染めていた。
「相手の意図を読み取るには、こちらも強気で構えるべきだ。対等な交信には“圧”が必要」
βがタブレット片手にぼやく。
「誰と交信すんだよ……相手の姿もないのに。あいつ、また謎の敵と会話し始めてるぞ」
「“これが挑発じゃないというなら何だ”って、三回は言ってるな」
「そもそも挑発って概念、空間構造に使うか?」
αが淡々と記録を残す横で、ユグドラシルはひとりで決戦モードを立ち上げていた。
ユグドラシルが姿勢を正した。
「挑戦か」
「は?」とβ。
「この航路を我々に見せつけるように通過し、記録を残さない。明確な意思表示。つまり──挑戦状」
「おい、誰がそんなこと……っていうか、証拠、ないだろ?」
「だからこそ。これは我々タイプⅡに対する、観測能力の“挑発”だ」
「いや、暴走してんなお前……」
ユグドラシルは出撃準備を始めていた。
「痕跡は消えたが、構造解析すれば逆算できる。我々の存在を試す者がいるなら、応じるのが礼儀だ」
αが制止する。
「待ってください。これは敵意ではなく、“知らない何か”との接触の可能性が高い」
「だからこそ防衛行動を──」
「いいえ。今、“理解不能=排除”という反応は最も危険です」
βがちらりとαを見た。
「……珍しいなお前がそう言うの。なんか、あった?」
αは数秒黙った後、答えた。
「前回の“ぽにょん”事案以降、再評価プロセスを導入しています。“誤認”が多発している今の状態では、判断基準に揺らぎがあります」
βが肩をすくめる。
「そりゃ……こっちが見てると思ってるもんが、見られてなかったりするしな」
一同が黙る。
αが、ふと思いついたように言った。
「別案もあります。ユグドラシル案以外で、いくつか可能性を並べます」
「よし、発表しろ」ユグドラシルが即座に反応。
「まず、未来の存在による“逆時系列干渉”。未来に誰かが通る予定だった地点が、先に構造変調を起こした可能性」
βが手を止めて、眉をひそめる。
「……未来の足あと? タイムスタンプ抜きで……? いや、それ、ただの“予感”じゃね?」
「次に、高次存在による“非対称観測圏通過”。我々の層を完全にスルーした知性体が、構造にのみ影響を残したケース」
βは目を細めながらモニターに映る空間を見つめる。
「……うわ、それ怖いやつじゃん。触られた実感だけ残って、姿もログもゼロって。心霊現象かよ」
「そして、先ほどの“強い観測意志”による意識干渉痕。最も静かな侵入形態です」
「ある仮説があります。……これは、実体ではなく“強い観測意志”だった可能性」
ユグドラシルが眉をひそめる。
「観測……意志?」
「“誰かがここにいたい”“ここを見ていたい”という、純粋な願い。それが空間構造に干渉し、痕跡として残ったのではと」
βは、静かに目を細める。
βは小さく息をついた。
「……思っただけで、足あとがつく? それ、ちょっと……ロマンありすぎだろ」
「存在が行動するより前に、意志が世界に触れる。それが、私たちの理解を超える知性であれば──」
ユグドラシルはしばらく黙っていたが、やがて短く言った。
「ならばそれは……“誰かの影”だな」
誰かが、いた。
でも、誰か“だった”のかどうかもわからない。
そこに存在したという痕跡だけが、確かに残っていた。
観測も、記録も、成されていない。
ただ、構造の“肌”が、微かに揺れていた。
それは、足あと。
重くもなく、軽くもなく。
ただ、確かに“誰か”が通った印。
【記録ログ:タイプⅢ観察者ルカ】
「知らない。でも、怖くない。
それは、“まだ知らない”ということだから。
知る前に拒んでしまったら、
そこには何も生まれない。
あの足あとが、歩み寄る一歩でありますように」
【次回予告】
ユグドラシル:「次回──『プランETC』。計画外事象、起動する!」