私は勇者のことが気になって仕方ない魔女さん (1)
・・・
そう。
そうだ。
絶対に忘れてはならないのだから。
断じて忘れたわけではない。
罪が火種に。罰が炎に。
すなわち咎人そのものが災いの種ならば。
それは想定できた当然の結末。
斯くあるべきと定められた必然の運命。
目を背けても。意識を逸らしても。
過去は、いつまでも消えず存在するのだから。
原因に依って結果を辿り、刑罰を以て害悪に報いる。
その粛清はただ、過ちを正すために降り注ぐ。
それは、その周囲もろとも。
そうだ。
かつて、この指先の愚かな過ちが。
善良であるはずの仲間を地獄に落とした。
それは、未必の故意。僅かな妬み。無意識の呪い。隠れた望み。
それを、完全に否定など、少しも認めないなど、出来るはずがない。
行為には責任が、罪には償う義務がある。
ならば必ず対価は支払われなければならない。
清算を済ますことなく終わることなど許されない。
そうだ。
だからこそ、全てが狂ったんだ。
前世の俺は地獄に落ちて当然の人間だったのに。
そんなこと、絶対に有り得てはならなかったのに。
死んだのに地獄に落ちることなく、何かの手違いで生まれ変わってしまった。
だから間違いを正すように、生まれ落ちた場所が地獄に変わってしまった。
そうだ。
ああ、そうだよ。そういうことだ。
不運でも何でもない。地獄を生んだのは他でもない。
生まれたことが過ちなのだから、正された。それだけに過ぎない。
正しく、生まれた罪に相応しい地獄が生み出された。
やり直せる。そんな機会が与えられた。
そんな浮かれきった傲慢な思いが、逆罰を呼び寄せた。
そういうこと。
そうだ。
全ては、周りを巻き込んだ、最低で極悪の、自業自得だ。
お前のせいだ。他の誰も悪くなどない。お前だけの責任だ。
お前が全てを奪った。お前が何もかもを壊したんだ。
お前のせいだ。だから絶対に忘れるな。お前の罪を。
お前のせいだ。お前なんか、
──いや違う!
──お前だけが全部背負う必要なんか! どこにも無いんだ!!
──俺はお前がしたこと、何も知らないけどっ……!
──お前はどうにかしようと頑張ってた! そうだろ!?
──だったら俺はお前を許してやる!!
──お前は全力で頑張ったんだって、俺が認めてやる!!
──俺はお前を! 丸ごと全部信じてる!
──だから! お前がお前を許せなくても!!
──いつか許せるようになる、その日まで!!
──ずっとそばに! 一緒にいてやる!!
──お前は生きてて大丈夫なんだ!!
──だから! お願いだから!!
──俺と一緒に!! この先も生きてくれ!!!
……あぁ、どうなんだろうな。
私が俺を許せる日が、来るのだろうか。本当に?
分からない。生きてていい理由が、どうしても自分の中に見つからなかった。
だけど、あいつが生きろと言ったから、こうして今は生きている。
分からないものをそのままに、分からないままにして。
あぁ、本当に自分らしくない。
あいつといると、自分が自分じゃなくなる気がする。
ただ一緒にいてもらえると言ってくれた。
それが、自分でも訳が分からないくらい嬉しかった。
それはなんだか心地よく、今まで感じたことの無いような不思議な感覚。
だから、それもいいのかもしれないと、少しは思えた。
……だけども。
少しの間あいつと過ごして、ふと、思った。
あいつの何の根拠もない、意味の分からない信頼が、何だか急に怖くなったんだ。
私はあいつから故郷を奪ったというのに。
あいつがいつか帰るかもしれなかった場所を壊したというのに。
わからない。なぜ?
あいつにとって、私の価値ってなんだ?
あいつが私に何を望んでいるのか、どれだけ考えても何も分からなくて。
だから私はあいつから、逃げ出した。
もっともらしい屁理屈を捏ねて。
そうだ。全部ただの言い訳だ。
結局のところ、私があいつを信じ切れなかったってだけ。
なんでこんなのと一緒にいてもらえるのか、全然分からなかったから。
分からなくて、いつかあいつに捨てられてしまうのが怖かったから。
考えたくもなかったから、いっそ自分から手放した。
そういうこと。
あの時は、これが正しい理屈で、正しい選択だと思った。思い込んでた。
だけど、改めて考えると、それはきっと、そういうことだったんだろう。
あぁ、ほんとに。
役立たずで愚か極まりない、馬鹿な男だ。
……いや、元男か。
どっちにしろ意味ないけどな。元男のくせに男心、何も分かんないし。
男としての経験も知識も、何の役にも立たなかったから。
そんなのあったところで、あいつが望むことなど、何一つ分からなかったから。
かといって、完全な女にもなれない。
女らしくなんて、元々が男だったのだから分かるわけがない。
それでも……ちょっとずつ変えていこうとした。
何となく、あいつのそばにいて、そうしたいと思ってしまったから。
もっと近づきたくて、男同士の関係に満足できなくなってしまったから。
仕草や話し方。
自然と変わっていったもの。
自分で恐る恐る変えていったもの。
表情はいつの間にか上手く動かせなくなってたけど。
それ以外のことを、少しずつ、少しでも女らしく。
でもそんなこと、自分が思う自分の気持ち悪さに拍車を掛けるだけだった。
女に生まれた癖に中身は男。おまけに前世なんてものまでついてきている。
だから、女で子供の自分なんてものが認められなくて、男の大人として生きようとしてきた。
なのにいまさら、少女のように振る舞おうとしている。
これまで庇護してずっと下に見てきた、あいつのために?
なんだこれは。気持ち悪い。
笑えるくらいに、何もかもが中途半端で薄汚い、滑稽な存在だ。
こんなの、本当にまったくもって、あいつに相応しくない。
そんな分かり切っていることを再認識するばかり。
それにあいつは、私に女を求めなかった。
だからそもそもそういう努力も間違っていたのかもしれない。
だとしたら、あいつの隣にいる資格は、他に私のどこにある?
もしかしたら、無いのかもしれない。
いや、わかってる。私にはそんな資格、無いんだ。
なのに。
私にそんな資格ないのに。
分かっているのに。間違ってるのに。
私はあいつが気になって仕方がないんだ。
俺を、私にした、あいつのことが。
だから、どうしても資格が欲しい。
あいつのそばにいても許される、そんな資格。
あいつのそばに居たいなら、絶対に手に入れなきゃいけないから。
あいつに相応しく、正しくあるために、正当な手段で。
それがいったい何なのか、分からないけど。
分からないことは、怖いことだけど。
怖くても知らなきゃいけないけど……。
……怖い。本当にそんな物が、この世界にあるのだろうか。
隅から隅まで調べても探しても、そんなもの、本当はどこにも無かったら?
いったい『私』は……どうしたらいい……?
……あぁ。あいつ、いま何をやってるんだろうな。
(はーい、病み病みな私ちゃんは心の奥にしまっちゃおうねぇ)
・・・
外界から遮断された、結界の内部。
魔力光にのみ照らされる、静謐の薄暗闇。
何が起きたのか状況が呑みこめてない様子の、上位聖職者の少女。
私が発動したのは禁忌術式実験に使うための、隔離用の結界。
私でも手順を踏むことなく強引に破壊することは難しい、断絶の障壁に囲まれた空間。
世界を隔ててありとあらゆる干渉を遮断する、完璧に閉ざされた完全なる密室。
それがこの、『隔絶領域』という術式世界。
そう。ここはかつての私が、私自身を隔離するために用意した、絶対的な牢獄でもある。
……うん、おーけー。
大丈夫。大丈夫だ。
私は冷静。論理的。合理的。
これは弟子にも口酸っぱく言ってきたことでもある。
魔術師たるもの、いつも常にクールたれと。
そう、大丈夫っ!
私はいつも通りのパーフェクトガールな魔女さんさっ!
……。
……まぁ、とはいえ、だ。
この子のこと、正直舐めてたわ。いやはやまさかね。
油断大敵だ。大幅に上方修正しないと。
「……強き肉体を。『強健の奇跡』」
目の前の少女が呟く。
しかし、何も起こらない。
「やっぱり……」
「さて、と。早速だけど」
「っ……! 『混信濃霧』『消音』『身体強化』!」
早い。
せっかちちゃんというか、なんというか。
持ってた杖をちょっと差し向けたら一瞬で離れてった。ご丁寧に妨害用の術式までばら撒いて。
しっかしまぁ、さっき見たのもそうだったけど中々の術式精度だ。正直、褒めるに値する。
さっきまでずいぶんうろたえてるように見えてたけど、もう立ち直ったのかな。
見た目の割に、プロフェッショナルなんだね。
……というかどうにも、この子は荒事に長けている雰囲気を強く感じる。
それも、魔物相手というより、対人に特化した動きのような。
うん。
もしかしたら教会の……そういう実働部隊みたいなところに所属しているのかもしれないね。
こんなにも、小さな子供が。
「……」
……なーんて、あんまし甘いことも言ってられないわな。
この子も幼くは見えるけど、だいたい13、14歳くらいだろう。
冒険者でもそれくらいの年齢の子供はそれほど珍しくもない。定着するかはさておき。
特に帝国の冒険者ギルドなんかは実力主義の傾向が強いから、有能であれば低年齢でも中級や上級に昇格したりもする。
当然、滅多にはいないが。
まぁ王国とかは割と年功序列が強そうだったけどね。
あとは例えば貴族の末っ子とかの箔付け昇格とかも多かった感じ。
その分ちゃんと頑張ってるあいつが中々報われなかったりしてて、やっぱり王国 is クソだなと。
まぁなんだかんだ昇格の話もあったみたいだし、ちゃんと見る目のある人もいたにはいたんだけど、ね。
結局それも私が居たせいでなんやかんや滞っちゃってたみたいだから……ホントままならないよね……。
……それはさておき。
教会でも有能であれば、実力を必要とする部署に取り立てられることが、当然あっておかしくない。
教会はとても大きな組織だ。
巨大組織が綺麗事だけで回らないことは、私も帝国の表や裏で仕事してきて、多少は理解している。
たとえ大衆の倫理にそぐわないのだとしても。
正当な理念のもと行われる"ソレ"は、必要なことに違いないのだろう。
冷静に、論理的に、合理的に、成るべくして為すべきを為す。
この黒髪ちゃんもきっと、そうした意思のもとで動いている。
「降り注ぐ天罰をっ! 『天雹の奇跡』っ……!」
何も起こるわけがない。
……あ、いや、フェイントか。
宣言を省略した魔術により、私の背後から重苦しい冷気の霧が急激に迫ってきてた。
行動阻害系の構成。凍り付かせて相手を縛る『氷縛』を、薄めて拡散した感じのアレンジ術式かな。
一応この子には今のところ、私を直接的に害するような意思は感じない。
敵意はバリバリ感じるけど、様子見の牽制に終始している感じ。
ま、それもこれも無駄なんだけど。
そこそこの術式構成密度ではあるものの、どれもセキュリティが甘い。
これが弟子ならお説教ものだ。
そいじゃま。
杖をくるりん、いんたーせぷと、ってね。
──『術式破壊』
「……!?」
術式を構成する魔力が強引に解かれ、キラキラと引き千切られた魔力の残滓が散る。
ちなみに杖を回したのにはこれといって特に意味はない。
そもそもこの杖、試験受けるために用意した見た目用のお飾り装備だし。
さてさて……じゃあ適当に無力化してそろそろお話を、
……ってあっぶな。霧に紛れてなんか針みたいなんが飛んできてたわ。
サラッと解析してみたけど、麻痺系の毒針? 暗器ってやつ? 物騒だなぁ。
身体強化してたから反射的に持ってた杖で弾いちゃったんだけど、障壁系の術式使った方が良かったかも。
……んーまぁいいや。別に問題ないか。
とりあえずこれは意趣返し、というには別に恨みも無いのだが。
ちょっとしたお返しというか、分からせてあげる。
本物の魔術とはこういうものだと教えてあげよう。お手本ってやつね。
──『氷縛』
冷気が迸り、一瞬で氷の枷を作る。
私の術式はゴリゴリに暗号化されてるからそう簡単には解除できない。
暴れないように相手の手足を氷でしっかりと縛ってから、そのまま目の前に転移する。
まぁね、私も別にこの子をどうこうしたいわけではない。そもそも敵じゃないし?
敵意に満ちた少女を宥めるように、出来るだけ穏やかな声で問いかけてあげる。
大丈夫大丈夫。私、怒ってないよ。
ちょっと聞き捨てならないことがあったから、いくつか聞きたいことがあるってだけ。
それじゃあ……お話しようか?
「抵抗しても無駄。大人しく知ってることを教えてもらう」
あれ、なんかめっちゃ睨まれた。なんで?




