09話 暗雲
ー フロストヴァルドの港町 ミナート ー
今日は凍てつく港の灰色の海が、どこまでも鉛色に沈んでいた。
水平線の彼方から、よろめくように近づく船団を、
北側のフロストヴァルドの人々は固唾を呑んで見守っていた。
「あれが… エリドールからの…?」
港に集まった人々の間から、不安げな声が上がる。
数週間前、南の国サンフィオーレ皇国による、エリドールへの侵攻の報が伝えられて以来、フロストヴァルドは、対岸の火事を、対岸の悲劇としてのみ捉えることは、もはや許されなくなっていたのだ。
やがて、船は港へ到着する。
そこには、かつての活気あった国民の面影など、どこにもなかった。
甲板を埋め尽くしていたのは、財産を失い、家族を失い、人生に絶望し、恐怖と疲労に満ちた目をした、エリドール公国の戦争難民たちだった。
「可哀想に… あんな小さな子供まで…」
港に集まった人々の間から、今度は、同情の声が漏れる。命からがら辿り着いた彼らに、手を差し伸べずにはいられなかった。
"さあ、こちらへ! 暖を取りなさい! 食べ物と温かい飲み物を用意しました!"
当初はフロストヴァルドの人々は、我先にと、難民たちに手を差し伸べていた。凍える子供には、自分の着ていたマントを脱がせて与え、怯える老婦人には、優しい言葉をかけて、港に設けられた救護テントへと導いていく。
フロストヴァルドの人々は、自分たちの行いを、当然の善意だと信じて疑わなかった。しかし、難民の波は、止むことを知らなかったのだ。
翌日も、その翌日も、地平線の彼方から、難民を乗せたキャラバンが、絶え間なく、フロストヴァルドへと流れ着いたのだ。
港の倉庫は、衣服や毛布、食料で溢れかえり、仮設キャンプは、あっという間に満杯になった。フロストヴァルドの資源は、底が見え始めていた。それでも、人々はまだこの危機を、自分たちの善意と努力で、何とか乗り越えられると信じていた。
しかし、それは、嵐の前の、束の間の静けさに過ぎなかったのだ…。深まる溝仕事や住居を奪われることを恐れるフロストヴァルドの市民が現れ始める。
「おい、見たか? 港に、また新しい連中が来たらしいぞ」
「あの調子だと、あとどれくらい来るんだ? 」
市場に集まった人々の間で、不安げな声が交わされる。エリドールの難民を受け入れてから、数週間が経っていた。
当初は同情と善意で包まれていたフロストヴァルドだったが、人々の心に、徐々に、黒い感情が芽生え始めていた。
港で荷揚げの仕事をしているハンスは、ここ数日、仕事にありつけずにいた。
「おい、ヨアヒム! 今日は仕事はどうだ?」
仲間が声を掛けてくるが、ヨアヒムは、苦々しい顔で首を振るしかなかった。
「ここんとこ、毎日、エリドールの連中が優先で、俺たちの仕事がねぇんだよ。あいつら、タダ働き同然で働くから、俺たちの方が割高になっちまって…」
フロストヴァルドの人々は、自分たちの生活が脅かされ始めているという、
漠然とした不安に駆り立てられていた。
フロストヴァルド市民とエリドール難民との摩擦も、日に日に増していった。
「難民のリーダーがキャンプでの独立宣言をしたらしいぞ、いみがわからないな。」
「難民の一人が店を荒らしたらしいが、生活苦が原因とかでなんと罪を問われなかったそうだ。」
「難民は、『パトロール』と称して、住民といざこざを始めたらしい。」
「難民を批判すると、どこからともなく攻撃される。先日のキウシカの村長の件を見ろ。ただ難民の支援に疑問を投げかけただけで、家を焼かれたんだからな。」
「それに、麻薬の話も聞いたか?あいつらが背後で大規模な流通を手掛けているらしい。街の若者たちがどんどん手を出しているって話だ。」
こうした小さな出来事が積み重なり、
両者の間の溝は、急速に深まっていった。
教会関係者は、事態の沈静化に躍起になった。街頭では、教会関係者が演説を行い、難民への理解と協力を呼びかけた。しかし、人々の不安と不信は、簡単に拭えるものではなかった。
見えない恐怖と、静かな怒りが、フロストヴァルドの街並みをゆっくりと、
しかし、確実に覆い尽くそうとしていた。