06話 富の分配
ー サンフォーレ皇国 首都シャペルブール ー
豪華絢爛な執務室、豪奢な調度品に囲まれながらも、
サンフォーレ皇帝、レオンドゥスの顔色は冴えなかった。
彼の視線の先、磨き上げられた黒曜石のテーブルの上には、
宝石を散りばめた黄金の杯が置かれている。
だが、その杯に注がれた芳醇なワインも、
王の心を満たすことはできなかった。
「まったく、なぜこうも遅々として進まぬのだ!」
皇帝レオンドゥスの怒号が、静寂に包まれた執務室に響き渡る。
彼がこれほどまでに苛立ちを露わにするのは、ただひとつ。
彼の飽くなき欲望、
そう、
「究極の美」
の収集が滞っていたからだ。
「確かに、近年は目を見張るような逸品の入荷が減っております。」
皇帝の前にひれ伏すは、老獪な宰相タラーレン。
皇帝レオンドゥスの言葉に、決して顔色を変えることなく淡々と答える。
「原因はわかっておるわ! 世の中が平和すぎるのだ!」
皇帝はテーブルを拳で力強く叩きつける。
その衝撃で、黄金の杯が音を立てて傾き、
貴重なワインが絨毯の上にこぼれ落ちた。
「民草どもが豊かになりすぎるとは、皮肉なものだな。
わしの元へ集まる富が減るばかりではないか!」
サンフォーレ皇国は、大陸南部に位置する商業国家だ。
その豊かさは、他国の追随を許さない。
そして平和である今が、富が富を呼ぶ最大の収穫時期ではあるのだが、
民がより富む分、皇帝も富んでいるのだが、
比較するとどうしても、民に競り負けてしまうのだった。
しかし、皇帝レオンドゥスにとって国の繁栄など、
取るに足らない問題だった。
彼にとって重要なのは、
己の欲望を満たすこと。
『究極の美』を追求することで、
そのためには、更なる富が必要だったのだ。
「宰相、良い策は無いのか?」
皇帝は苛立ちを押し殺し、再び宰相タラーレンに問いかける。
「かしこまりました。実は、かねてより構想しておりました。」
宰相タラーレンはゆっくりと身を起こし、皇帝レオンドゥスに歩み寄ると、静かに語り始めた。
「まず、我が国が大陸統一を果たすためには、
幾つかの障害を取り除かねばなりません。その第一歩として…」
宰相は意味深な間を置き、言葉を続ける。
「エリドール公国を滅ぼしましょう。」
北の国フロストヴァルドとサンフォーレの間にある小国、エリドール公国。
古くから両国の緩衝地帯として、重要な役割を果たしてきた。
「エリドールを滅ぼす…? 良いだろう。我が国の得るものは?」
皇帝レオンドゥスは興味深げに、しかし冷酷な笑みを浮かべて問う。
「エリドールには、古来より伝わる秘宝があります。
あらゆる病を癒すと言われる『生命の大樹』です。
毎年かれらは苗木を送っては来ますが、
これの親株を陛下のコレクションに加えてはいかがでしょうか。」
宰相は、皇帝レオンドゥスの欲望を巧みに刺激する。永遠の美。
それは、彼にとってちょっとした関心事だった。
「ほう…『生命の大樹』か。だが、それだけではないだろう?」
「もちろんです。エリドール公国を滅ぼせば、
フロストヴァルドとの国境に直接接することになります。
エリドールの民たちは、わが国の「奴隷の民」でもあります。
フロストヴァルドが、難民を取り込めば、我々は保護する必要があるのです。
我が国が北進するための格好の口実となるでしょう。」
「なるほど…」
皇帝レオンドゥスは深く頷く。宰相の言葉は、彼の野心を大きく揺さぶっていた。
「それに、フロストヴァルドを統一すれば、大陸全体の均衡が崩れます。
混乱に乗じて、他の国々も次々と我が国に服従することになるでしょう」
宰相タラーレンは、用意周到に練り上げた計画を、静かに、しかし確実に皇帝の心に植え付けていく。
「過去にも戦争を契機に強奪した美術品のコレクションがありますが、
今回の戦乱でもあらたなコレクションになるかと。
我が国の富と軍備は他国を抜きんでておりますので、敗北はないと存じます。」
「ふはははは! なるほど、面白くなってきおった!」
皇帝は、自分の首飾りを見ながら、高らかに笑い声をあげた。
その瞳には、冷酷な光が宿している。
それは、大陸全土を巻き込むであろう、
大きな戦乱の始まりを告げる不吉な輝きだった。