01話 怒りのはじまり
ー サンフォーレ皇国北部 サンマルク山のふもと ー
「もうホントに、死ねばいいのに!」
大規模な魔法陣を描きながら、黒髪の美しい少女は、冷たい口調でひとりつぶやいていた。
この少女はサンフォーレ皇国のリリア・サザンウィンド皇女である。彼女はこれまでに溜まった我慢ならない怒りを込めて、魔法の詠唱を続けている。
詠唱が始まると、この禁忌かつ極大魔法はリリアの「真の闇」の根源となった「怒り」と「魔力」を吸収しながら、リリアと魔法の効果を共鳴し、その効果を高めあう。
そして、この世の終焉を告げるような凶悪な魔法が始まった。
この黒魔法詠唱が始まって以来、サンフォーレ皇国の空は、真昼間だというのに、夜が訪れたかのように黒い漆黒に染まっている。
その直下にあるのは、リリアの父の皇帝レオンドゥスも観察をしている「サンマルク」山である。サンフォーレ皇国の象徴に近い聖なる山である。冬を目前として、雪を傘する美しい姿となっていいる。
「闇よ、漆黒の闇よ、闇の王の命に従い、今ここにその姿を現せ。黒き者よ、光を逃さない、その漆黒の黒よ。その力をもって全てを吸い込み、一筋の光も残さず食らいつくせ。黒き渦と化し、今、顕現せよ、トロワ・ノワール!」
長い魔法詠唱の後に、リリアは、禁忌の極大暗黒魔法「トロワ・ノワール」を完成させる。
この魔法は、ただの暗闇にとどまらず、周囲のありとあらゆるものを無差別に吸い込んでゆく存在だった。
禁忌とされる理由は明白で、もし制御不能に陥れば、この世界すらも消滅しかねないからだろう。
リリアの傍らにいるクロネコの付き人の獣人も、毛を逆立てて恐怖におののいていた。これ、下手したら、とんでもないことになるのではないかと。
魔法の力が増すごとにその影響は広がり、やがてサンフォーレ皇国の象徴であるサンマルク山がその力の餌食となる。
山の木々、岩、土すらもが黒い渦に飲み込まれ、飲み込まれたものは中心の渦に近付くにつれてすべて小さくすりつぶされていく。最終的には山全体がすべて飲み込まれる。
魔法支配領域はさらに広がり、皇帝が視察していた数キロ先の天幕にまで到達した。
皇帝の前衛にいた護衛の主力部隊、その下の大地まで、全てが黒い渦に吸い込まれていった。
皇帝自身もこの無情な力に飲み込まれんとする瞬間、死の恐怖に顔を歪めた。
「私の本気を見て、少しは恐怖するといいわ」
とリリアはつぶやいた。この禁忌+極大魔法は、リリア皇女の闇の深さ、根源の怒りの強さを示していた。
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少し前に時間はさかのぼる。
先日サンフォーレ皇国の皇帝レオンドゥスは現在停戦交渉中のフロストヴァルド王国から、1通の「不可解」な手紙を受け取っていた。「不可解」というのは、差出人が不明なのだ。
この手紙にはこう書かれていた。
______フロストヴァルド王国からの手紙_______
来たる日正午にサンフォーレ北のサンマルク山のふもとで、フロストヴァルド王室は、和平を祝う盛大なお祝いのセレモニーを開催いたします。
セレモニーの美しさは保証いたしますが、安全は保障しませんのであまり近づきすぎないようにご注意ください。今後の和平交渉が迅速に進むことを期待しております。
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この手紙は差出人が不明であるものの、しっかり王の紋章の封がしてあり、少なくともフロストヴァルドの「王宮」からこの手紙がきたことは確からしかった。
その為この日、皇帝レオンドゥスは、自国の神話にも出てくる国の象徴たる「サンマルク」山の、ふもとまで来ていた。
「どうせつまらないことだろうから、相手にしないに限る」
と、皇帝レオンドゥスは思いながらも、どんな策を相手が提示してくるのかを少し懸念はしていた。
皇帝としては、停戦交渉をしながらも、停戦など実際に締結するつもりは一切ないのである。
交渉を長引かせ、痩せて冷えた土地しか持たない貧しいフロストヴァルドの食料を枯渇させるのがこの停戦交渉の目的だ。ただ、彼らが、サンフォーレ領土で何をしようというのか謎であった。
結果として念のため、山のふもとには停戦中に招集した軍主力を先兵として準備し、万一の有事に備えた。
そして時刻は正午を迎え、その直後にこの大災害が起こったのだった。
念のため配置していたサンフォーレ軍主力は、突如出現した巨大な黒い渦にすべて飲み込まれてしまった。
黒い渦は、サンフォーレ軍主力を飲み込むだけでは飽き足らず、サンフォーレの象徴でもあるサンマルク山を飲み込もうとしている。レオンドゥスは、ただあっけにとられていた。
現在進行形で大虐殺をしているリリア皇女だが、そもそもサンフォーレ皇国の皇女である彼女がどうして怒り狂い、父である皇帝を威圧し、殺そうとしているのか、今一度、過去へとさかのぼる必要がある。
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ー 東の国の魔法学院ヴェローナ ー
ここは、学園都市ヴェローナの最高級ホテルスィートの一角、全身が黒、白目も、黒目も「黒」の獣人の女性が黒いドレスの美女に話しかける。
「リリア様、もうすぐで遅刻ですよ。式典はいかないんですか?」
「式典なんて行ってもどうせちぃっとも面白くないから、
式典の道中の人々を見るのが楽しくてはなくて、ノワール?」
「そんなに外国に来たから羽が伸ばせると思ってまた好き勝手するつもりでしょ。こっちの身にもなってくださいね。こっちでは誰もカバーできませんからね」
「はいはい、あまりあなたにフォローさせないように、セーブするから大丈夫よ」
とリリア・サザンウィンドは答えた。
この留学は、2年越しの待ちに待った留学である。
一時も楽しく過ごさねば損なのである。
この学園に来るまでにリリア皇女は、サンフォーレ皇帝でかつ「父」でもあるレオンドゥスに、なんども学園での生活を口実に国外に出る許可を求めてきたのだった。
本来入学する前の年にはリリアはしっかりと許可を願い出たのである。
「お父様、私も来年は14になりますから、学院に入学してもよろしいかしら?」
「駄目だ」
入学する年にも、リリアは控えめな表現で国外に行くことを願い出てはみていた。
「お父様、私は15になりましたから、すこし国外へ旅行に行ってもよろしいかしら?」
「駄目だ」
翌年にも一応リリアは声はかけたのである。
「お父様、私は今年16になりますから、学院に入学いたしますね」
父、レオンドゥスは結局、留学にも国外にでることも大反対であった。そもそも父とは、いっときより美術品にしか興味がなくなってしまい、ほぼコミュニケーションをとっていない状況であった。
父はかわらない。
変わらない人間を相手にすることは、
時間と人生の無駄である。
結果2年も待たされたので、
皇女は父を無視して国を出てきたのである。
リリア皇女の怒りの始まりはこんなことから既に始まっていたのかもしれない。
リリア・サザンウィンドはサンフォーレ皇国の第一皇女であり、
サンフォーレの第一後継者であった。
ただ、残念なことに彼女にはその後継者としての自覚も、
皇位後継の希望も「一切ない」ということだった。
一緒にいる黒づくめの女性はノワール、
リリアの使い魔の「猫」である。
ノワールはリリアが小さいころに使い魔となり、リリアの魔力によりヒトと同じ形と寿命を得た正真正銘の「猫」である。
リリアは生まれた時から黒魔術の才に恵まれていたが、皇国内ではほぼ、その才能を隠すようになっていた。
リリアの魔法に気が付いたものや、覚えていたものは、片っ端からリリアに記憶か存在を消されてしまった。
その為、サンフォーレ国内で、リリアが黒魔法使いであることを知るものは、宮殿に住む数人と今では付き人のノワール以外はいなくなってしまった。
外出用の服装を選びながらリリアは続ける。
「まぁ、私は黒が好きだから、黒の格好でいいかしらね。アクセントは何にしましょう。」
「リリア様、黒はお似合いですが、いつも黒ばかりでは黒魔法使いってばれませんかね。」
「いやねぇノワール、私の魔法が他の方に感知されるわけがないじゃないですの。でも、赤のアクセントも足すことにしますわ。」
「私がいずれにせよ「黒」ですので、二人とも黒い格好ですと、なんだろうって思われますよ。」
「いいのよノワール、ここはサンフォーレではなくてよ。恰好くらい好きな格好をしましょう。それにあなたもここでは肩身の狭いを思いをしなくてもいいでしょう?」
「私はヒト種族ではないから別に気にもしないのですけれど。でも、確かにサンフォーレよりは居心地がいいかもしれませんね。」
と二人は会話しながらホテルを出発した。
サンフォーレは南の豊かな大地と東、西の国の交易の中心地であり、大変発展していた。富が富を生む好循環の恩恵を得ていたのだ。伝統的に芸術を尊ぶ国であり、皇帝自身も芸術をたいへん好んでいる。
そして何より国を支えるのが「奴隷」の存在である。
一定の富を持たぬもの、犯罪を犯したもの、戦争で負けたもの,皇族に逆らったもの、それら全て「奴隷」として労働させることで国が成り立っているのである。
特に、他国のもの、他種族への差別はすさまじく、見た目が一目で異なる、獣人、亜人や肌の色が異なる者(黒、緑)たちは、とくに差別されていた。
ノワールは猫の使い魔、現在は変身しているとはいえ、猫の獣人
そして漆黒の黒の肌なので(クロネコなので)、宮殿では奇異の目で見られていたのであった。
日傘をさしながら、歩いていた二人だったが、
リリアの探知魔法がヒトの接近を知らせる。
「リリア様、殺してはダメですよ!!」とノワールが念話で会話をする。
「わかっているわよ、失礼ね。殺人鬼みたいに言わないでよ。」
「殺人鬼の方が、まだリリア様より「かわいい」かもしれませんけどね。」
とノワールが念話を発動直後、
角から飛び出してきたのは、
きれいな身なりをした、
とてもかわいい男の子だった。
彼を一目見た瞬間、リリア皇女は自分の心臓が高鳴り、時間がいっさい停止したかのように感じた。
準備しようとした魔法詠唱は全て、頭からふっ飛んでしまった。
彼女は、ただ茫然とその場に立ち尽くした。
この時、サンフォーレの皇女、
リリア・サザンウィンドは15歳であった。
彼女の新しい人生が始まった瞬間であった。