第1話 貧乏な俺とお嬢様な彼女の共通点
貧乏な家庭の主人公と裕福な家庭に生まれた彼女との、ちょっと世知辛いお話です。
貧乏な学生というものを主人公にした作品は数多あるだろう。
そんな主人公の境遇といえば、大抵は悲惨なものだ。
両親がある日いきなり蒸発したならまだいい方。
悪ければ、両親に借金のかたに売られたとか。
あるいは、まともな両親じゃなくて、施設で育ったなどもある。
そんな主人公たちに比べれば俺の貧乏はきっと可愛いものだろう。
広くはないけど、二人家族には十分な広さがある2LDKのマンション。
質素だけど、三食が出る家庭。自分で作っているのだけど。
お小遣いはないが、週三のバイトで、多少自由に使えるお金はある。
しかし、どうしようもなく惨めになる瞬間がある。たとえば、今のように-
「それで、どう?紅茶の味は」
彼女、大崎澪から心配そうな顔で感想を求められる。
広くて綺麗な、女の子っぽいファンシーな部屋で俺たちは向かい合っている。
澪との付き合いは長いが、貧乏家庭で育った俺にはまだ少し慣れない。
「美味いよ。香りが落ち着くし。これ、どうやって作ったんだ?」
感想は本音だった。彼女が淹れる紅茶はいつも美味しい。
それに、毎回少しずつ違うものを工夫して出してくれる。
しかし、ウチにはこんな贅沢をする余裕はない。
水道水か、安い水出し麦茶がせいぜいだ。
「秘密」
「なんだそりゃ」
「とにかく、良かった。湊君が気にいってくれて」
そうにこやかに微笑む澪。
お嬢様らしく高級感の漂う、清楚な服装。
よく梳いた長い黒髪に均整の取れた少し小柄な体躯。
俺ならずとも心奪われるだろう。それと同時に、
自分のみすぼらしさを自覚してしまう。
下も上も、ぼろぼろになるまでひたすらローテーション。
使えなくなるまでは、滅多に新しい服は買わない。
「澪の紅茶が美味しいのはよく知ってるよ。今更心配することないだろ?」
惨めさを隠すように、平静に振る舞う。
「でも、もしかして淹れるのに失敗してるかも、と思うし」
手遊びをしながら、いじいじとしている。
俺の反応が気になっているらしく、そんな所は男としては嬉しかったりする。
「ほんと心配性だな。澪は」
少し微笑ましくなって、ついつい頭を撫でてしまう。
「ん……気持ちいい♪」
目を細めて嬉しそうに撫でられている澪。
どこか小動物を思わせられる可愛さがある。
こんな、俺の前でだけ見せてくれる姿も好きだ。
二人でゆったりと紅茶を楽しんだ後。
「ゲームでもしよ?」
彼女の部屋には古いものから新しいものまで大量にゲーム機がある。
さすがに、裕福な家庭は違う、なんて心の中で自嘲してしまう。
「よし。やろうか」
うちの家庭にはゲーム機なんて贅沢品は存在しない。
だから、こうしてゲームをできるのはありがたい。
しかし、どうにもタカっているような後ろめたさが湧いてくる。
そして、しばらくの間、ネットワーク対戦型のゲームに二人で興じる。
彼女の部屋には携帯ゲーム機が二人分ある。
貧乏な俺を気遣ってのことだけど、どうにも、もやもやする。
ゲームで二時間程遊んだ後。
「あ、そろそろ帰らないと」
窓の外を見ると、夕日が空の向こうに沈もうとしていた。
親父が帰ってくるまでに夕食の支度をしないといけない。
「それじゃ、送っていくね」
部屋を出ようとすると、澪が付いてきた。
「いいって。それに、送ったら澪が戻る時、一人だろ?」
「いいの。私がそうしたいんだから」
俺が遠慮しようとすると、いつも彼女はそう言う。
「私がそうしたいんだから」
と。
少し薄暗くなり始めた街中を、二人で歩いて帰る。
「まだ、16時なのに、随分暗いね」
夕暮れの空を見ながら、澪がつぶやく。
「11月だしなあ。そんなもんじゃないか?」
日が沈みかける街の中は、少し非現実的な感じがする。
そんな光景が俺は好きだった。つかの間、現実を忘れていられるから。
「でも、私はこんな風景が好き」
澪は、照れもなく、そんなことを言ってのける。
「現実を忘れていられるから、か?」
なんとなく先回りして言ってみる。
「うん。時々、昔の頃に戻りたくなることがあるの」
ため息をつきながら言う澪。少し陰鬱な表情だ。
「……離婚、どうにもなりそうにないのか?」
ためらったが、単刀直入に聞いてみる。
「もう無理だよ。お父様もお母様も、せいせいしたって言ってるし」
またため息をつく。
「そっか。昔は仲良かったのにな」
小学校の頃遊びに行ったときは、おしどり夫婦という感じだった。
それが、今になって離婚するなんて。
「お母様も限界だったみたい。ずっと私達をほったらかしにして、って」
「それはわかるけど」
「お父様はお父様で、お前たちのために必死で働いてきたのに、って」
「それもわかるけどな」
「ほんとに離婚しなくちゃいけないのかな」
「どうだろ。ガキにはどうにもできないよな」
「ええと。湊君のところはどうだった?」
少し遠慮がちに聞いてくる。
「といってもな。うちは親父が借金隠してたってどうしようもない話だし」
「でも、お父さんは自分から認めたんでしょ?」
「共働きで家計支えてたからな。ショックだったんだよ」
今でもあの時のお袋の剣幕はよく覚えている。
「なんで、ずっと言ってくれなかったの!」
「あなたを信じていたのに!」
と。貧乏だけど、それも仕方ないことだから。
そう思って支えてきたお袋にとっては許せなかったのだろう。
「でも、自分から隠し事を言ってくれたのに、ひどいと思う」
やっぱり納得がいかなさそうな澪。
二年程前、お袋と親父は離婚した。
きっかけは、親父がずっと借金を隠していたこと。
そこから、こっちが腹を割って話したのに、という親父と。
なんで話してくれなかったの、というお袋と。
どんどん言い争いがヒートアップしていった。
そして、わずか二ヶ月後には離婚が成立。
「俺はお袋の言い分もわかるからな。それに、今更どうにもできない」
離婚してから二年。お袋と俺は時々会うけど、親父とは絶対に会おうとしない。
親父はそれから今まで、慰謝料を分割で払い続けている。
ただでさえ貧乏な家庭がさらに貧乏になった。
「うん。どうしようも、ないよね」
悲しそうな表情で澪が言う。
「ま、愚痴くらい聞いてやるからさ。あまり溜め込むなよ」
昔から、何か嫌なことがあっても溜め込む癖のあるこいつだ。
何かあったら話して欲しいと本当に思う。
「ありがと。でも、早く大人になりたいな……」
「俺もほんとそう思うよ」
話している内に、オンボロマンションの前に着いていた。
「送ってくれてサンキュ」
「ううん。私が一緒に居たかっただけだから」
その言葉にドキンと胸が高鳴る。
「そっか」
そんな曖昧な言葉を返す俺。
「じゃ、また明日ね」
そう言って、たたた、と去っていく。
◇◇◇◇
帰ってきた後に真っ先にやるのは食事の支度だ。
親父は料理ができないのだ。
だから、もっぱら俺が朝夕の食事を作っていた。
冷蔵庫に残っている野菜を適当に炒める。
加えて、白米に納豆。そんな質素な夕食だ。
納豆はなんと言っても安くて栄養豊富なのがいい。
野菜炒めは鮮度が低い野菜でも、食べられるようになる。
白米も安いのを買い置きしておけば、一食辺りは安い。
「親父ー。飯、できたぞー」
トントンと親父の部屋をノックして、夕食ができたことを告げる。
「「いただきます」」
二人でそう言って、もそもそと食事を食べ始める。
「親父は今日は何してたんだ?」
俺が出かける前は寝っ転がっていたが。
「ちょっと隙間時間で出来そうな副業を探してた」
やっぱりか。
「で、なんか見つかった?」
予想はつくのだが、一応聞いてみる。
「いや。都合のいい副業はあまりないな」
ため息をつく親父。
親父はプログラマーとして生計を立てている。
だから、プログラム開発の副業を探しているのだが、結果は芳しくない。
「やっぱりフルタイムじゃないと駄目って感じ?」
高校生の俺だが、親父のために色々調べている内に、知識が身についてしまった。
「そんなところだ。ま、世間は甘くないってことだ」
親父はそんな腕のいいプログラマーじゃないらしい。
だから、今の会社にこき使われているのだとよく嘆いている。
それでも、こうして俺を養ってくれているのだから、ありがたい。
食事を終えて、洗い物をしながら考えるのは家のこと。
それと、澪の家庭のこと。
できるなら澪の力になってやりたい。
けど、独りでは何もできない自分の無力さを感じる。
その後は、シャワーを浴びて、布団に突っ伏す。
俺の家庭が貧乏なのは仕方ない。
せめて、澪のために何かをしてあげられれば。
そんな事を考えていると、ふと、電話の着信音がなった。
澪のための特別な着信音。
「もしもし、湊君?」
その声は、とても辛そうだった。