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風のまにまに  作者: ぶどう屋
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風鈴

ぼんやりした描写ですが痛い気持ちになるかもしれません。ご注意ください。


 ちりんちりんと音が聞こえる。

 ラジオから流れる応援団の声。カキーンと鳴るバッド。部屋に差し込む西日。ぬるくなった缶ビール。僕は額に汗が浮かぶのを感じながら、ぼんやり座椅子に座っている。

 


 あの日はとても暑かった。朝から空気がむわっとしていて、エリコと扇風機を取り合っていた。ママに「宿題をしなさい」と怒られて、でも全然やる気にならなくて、漢字の問題をちょこっとだけやってやめた。エリコはまだ幼稚園生だから、宿題がなくていいなと思った。

 お昼になるとママが素麺を茹でてくれた。僕はパパとママとエリコと一緒にずるずる食べた。素麺はひんやりして、いくらでも食べられる気がした。パパはおかわりをしていた。僕も食べたかったけれど、午後からカズヤくんたちとサッカーをする約束をしていたから、ごちそうさまをして外に出た。


 太陽が空のてっぺんから僕を照らして、焼き殺そうとしているみたいだった。

 道には死んだセミがたくさん転がっていた。僕はこのセミたちは暑さのせいで死んだんだと思っていたけれど、トモくんは「ジュミョウだから死んじゃうんだよ」と言っていた。セミは7日間しか生きれられないんだと言う。短すぎてびっくりした。こんなに暑いから7日間しか生きれられないんじゃないか。もうちょっと涼しいときに生まれてくればいいのに。そう言ったら、トモくんに「セミはもっと前から土の中で生きてて、最後に7日間だけ外に出てくるんだよ」と言われた。

 じゃあさっきのトモくんの言ったことと違うじゃん、7日間以上生きてるんじゃんと思った。でもそう言ったらたぶんトモくんは怒るから、言わなかった。


 カズヤくんたちが来て、みんなで公園でサッカーをした。僕はすぐに汗だくになった。おでこに張り付く髪の毛が気持ち悪かった。

 途中で他の子たちが来て、缶蹴りがしたいと言ってきたから、サッカーはやめて缶蹴りをした。僕はお気に入りの木の裏に隠れた。茂みもあるし、むこうより少し低くなっているから、見つかりにくくて人気の場所だった。

 少しするとカケルくんも来て一緒に隠れた。カケルくんは足が速いから、味方だと心強かった。

 鬼のシュウくんが反対側の遊具へ向かっている隙をついて、カケルくんが飛び出て行った。カーン、コロコロ、と音がする。「蹴ったー!」とはしゃぐ声が聞こえた。解放されたみんなの声だろう。シュウくんだけが「カケルくん足速いからずるいよー」と言っていた。

 夕方のチャイムが公園に響いて、僕たちは解散した。明日も公園で遊ぼうと思ったけど、帰り道、ケイスケくんに「明日はうちで一緒にゲームしようよ」と誘われた。ケイスケくんの持っているゲームは二人でしか遊べないから、みんなには内緒でこっそり遊ぶ約束をした。僕はゲームを持っていないから楽しみだった。


 ちりんちりんと音が聞こえた。

 これは風鈴の音だ。近くの家にあるんだろう。

 僕の家にも風鈴があった。夏休みが始まってすぐ、パパが物干しざおの端につるしてくれた。丸い透明のガラスに、赤い金魚の絵が描いてあって、エリコが「きんぎょさん!」とにこにこしていた。

 朝や夕方に少しだけ風が吹くと、ちりんちりんと音を出した。ママは「涼し気でいいけど、ちょっとうるさいね」と笑っていた。僕はこの風鈴をけっこう気に入っていた。

 道にはやっぱり死んだセミが落ちていた。お昼よりも増えている気がした。


 家に帰ると「おかえり」の声が聞こえなくて、なんだか変だった。車も自転車も靴もあるから、みんな家にいるはずだった。

 リビングに行くと、エリコがごろんと床に寝そべっていた。昼寝をしていたのか。もう夕方だよと声をかけようとして、エリコの目が開いているのに気が付いた。首が真っ赤に濡れている。顔がいつもより白くて、まばたきもしていなかった。

 パパとママもすぐそばに寝ころんでいた。二人とも顔を歪めて目をつぶっていて、体が真っ赤だった。部屋いっぱいに鉄みたいな匂いが漂っていた。

 よく見るとリビングはぐちゃぐちゃだった。ソファは裂けて白い布が飛び出ているし、グラスやお皿は割れて床に飛び散っていた。僕のお気に入りのフィギュアも折れているし、エリコが描いた絵も破れていた。

 何もかもがおかしい部屋の中で、帰り道に落ちていたセミを思い出した。これがジュミョウなんだろうかと思った。僕はじっと倒れているエリコとパパとママを見つめた。

 窓の外から、ちりんちりんと音が聞こえた。


 あの日はその後、僕が近所の人を呼んで、近所の人が救急車を呼んで、警察も来て、僕はたくさん質問をされて、大変だった。

 僕は親戚の家に引き取られることになって、迎えに来てくれたおじさんたちと一緒にいろんな整理や片づけをして、街を出た。おじさんもおばさんも泣きながら僕を抱きしめてくれた。

 警察は、あの日の事件を外部から侵入した強盗犯による殺害として捜査していたが、それらしい人物も凶器も見つからず、結局捜査は打ち切りとなった。



 ラジオからカキーンと甲高い音がして、ワッと歓声が流れる。甲子園球場は盛り上がっているらしい。額の汗をぬぐい、テーブルの上のぬるいビールをのどに流し込んだ。まずさに顔が歪む。

 ちりんちりんと音が聞こえる。

 僕の家の風鈴ではない。僕は風鈴を持っていない。このアパートの住人の誰かが窓にぶら下げているのだろうか。それとも近隣の家から聞こえるのか。仕事を始めてこのアパートで一人暮らしをしているが、安いだけあって外からいろいろな音が聞こえてくる。


 僕は今でもたまに、こうしてあの日のことを考える。あの日のエリコのこと、パパのこと、ママのこと。真っ赤に濡れていた体のこと、充満していた匂いのこと、そして包丁のこと。

 そう、僕はあの日、包丁を見つけていた。

 パパとママのそばに落ちていた。それは少し前まで料理の際にママが使っていた、古い包丁だった。柄の部分に入った細長いヒビに、赤色が染み込んでいた。

 包丁は二人の間にあって、まるでどちらかが倒れる直前まで握っていたかのように見えた。僕は目の奥で何かがぐにゃりと歪んだような気がした。すぐにこれを隠さなくてはと思った。

 はっきりとした理由はわからない。でもこれがあることで、僕の中の何かが否定されるような気がした。これはあってはならないものだ。隠さなくては。そう思った。

 

 僕は赤く濡れた包丁をつまみあげてタオルでくるみ、ぐるぐるにして、そっと外へ出た。誰にも会わないように静かに公園へ走り、お気に入りの隠れ場所の木の裏に行って、茂みの中に穴を掘った。足や石を使って、深く深く掘った。

 そしてできた穴へ包丁をタオルごと放り込み、丁寧に埋めた。扇風機の風、素麺の冷たさ、白い顔、赤い手。すべてを埋めてしまおうと思った。額から汗を流しながら穴を埋めた。

 遠くでちりんちりんと音が聞こえていた。


 あの包丁のことは僕しか知らない。

 きっと今も土の中に眠っているはずだ。あのときの公園はまだあるのだろうか。まだあそこで子供たちは缶蹴りをしているのだろうか。

 なぜあの包丁がリビングに落ちていたのだろうか。なぜあの日エリコとパパとママは死んでしまったのだろうか。なぜあの日僕は死ななかったのだろうか。

 わからない。どんなに考えても僕にはわからない。わからないけれど、それでいいのだ。


 ラジオからはニュースが流れていた。いつの間にか試合は終わったらしい。

 ふと窓に目をやると、外は雨が降っていた。慌てて窓を閉める。夏らしい夕立で、雨脚はどんどん強くなっていく。

 僕はまずい缶ビールを強引に飲み干して、もう一本開けようと冷蔵庫へ向かった。

 どこからかちりんちりんと音が聞こえる。一体どこで鳴っているのだろう。あの日からずっと、どこかで風鈴が鳴っている。

 ちりんちりんという音が、僕の頭にこびりついている。




暑い日の思い出の話。

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