4.変わらない訓練場
翌日の早朝。
「違う! 剣の持ち方はこうだ!」
「はい! 師匠!」
レティシアとローガンは、ギルドが所有している訓練場の一角にいた。
レティシアは素振りをし、ローガンがその姿を見ているという状態だ。
「上半身も下半身もブレブレだ。ちゃんと体を支えて振れ!」
「はい!」
レティシアが剣を振るう。
とても真剣な表情で、鬼気迫るような雰囲気を醸し出していた。
そんなことをしている二人のところに、一人の男性冒険者が近づいてくる。
「よう。ローガン。結局そのお嬢ちゃんを弟子にすることにしたんだな」
「まあな」
男性冒険者がレティシアの姿を見て鼻の下を伸ばす。
その目は、剣を振るうたびに揺れる胸を見ていた。
「そういう目で見るのはやめろ」
「固いこと言うなよ。こんな美人、そうそういねぇんだから。それに、お前もそういう目で見ているんだろ」
「そういう目で見られるほど、このお嬢ちゃんの性格がよければな」
ローガンが乾いた笑い声を漏らす。
「へぇ~。まあいいや。それより、腕前の方はどうなんだ? 随分上等な装備を身に付けているように見えるが」
「スライムすら倒せんポンコツだ」
「……マジ?」
「悪ふざけを言っているように見えるか」
男性冒険者が苦笑いする。
「スライムを倒せんとか聞いたことないレベルなんだが」
「俺もびっくりだ。まさかスライムの弱点すら知らないような奴が冒険者を目指すとはな」
「そうか……。えらい奴を引き取っちまったみたいだな」
男性冒険者はそう言うと、足早に去っていった。
それと同時に、ローガンが深いため息をつく。
「……私はそんなに出来が悪いのですか」
レティシアが手を止めてうつむいた。
「昨日言ったろ。超ポンコツだ」
「――っ」
レティシアが悔しそうに歯を噛みしめる。
ローガンは、そんな彼女に近づくと、肩に手を置いた。
「だが、冒険者を目指す覚悟は本物だ。訓練の態度を見ていればわかる」
ローガンが優しい表情をする。
「言わせたいヤツには言わせとけ。そして気にするな」
「……あんな風に言われれば、気にするなと言う方が無理ですわ」
「だったら、キッチリと訓練して、さっさと見返してやるんだな」
ローガンがレティシアの肩から手を離す。
「少し出てくる。ちゃんと素振りをしていろよ」
「わかりましたわ」
レティシアは再び剣を振り始めるのだった。
――時は流れてお昼頃。
ローガンは蓋つきのカゴを片手に訓練場に戻ってきた。
「すまん。少し時間がかかった」
ローガンがレティシアにそう声をかける。
しかし、レティシアはまったく気付いていない様子で、一心不乱に素振りを続けていた。
「……まったく」
ローガンはそう言うと、足元に落ちている小石を拾う。
そして、素振りのタイミングに合わせて、レティシアが振るう剣に小石を投げつけた。
――キン。
金属音が響く。
「な、なんですの」
「『なんですの』じゃない。お昼だ。いったん休憩にして飯を食うぞ」
ローガンがレティシアに近づきながらカゴの蓋を開ける。
中はサンドウィッチだった。
「美味しそうですわ」
「当然だ。俺が作ったんだからな」
「師匠が? なんだかまずそうに思えてきましたわ」
「この減らず口が~」
ローガンがレティシアの頭をぐりぐりとする。
「やめてくださいまし!」
レティシアはローガンの手を振り払い、一歩離れた。
「はっははっ。さあ、食うぞ。ほれ」
ローガンがサンドウィッチを一つ手に取って、レティシアに差し出す。
レティシアはそれをまじまじと見つめてから、ゆったりとした動作で手に取る。そして口にした。
「……美味しいですわ」
「そうだろうそうだろう。よし、立って食うのもなんだから、そこに座るぞ」
二人は訓練場の壁際まで移動して腰を下ろす。
「どうだ、訓練は」
「大変ですわ。でも、とても充実した気分です」
「そうか」
二人はそれっきり会話をせず、黙々とサンドウィッチを食べた。
やがて、サンドウィッチが無くなる。
すると、レティシアがすぐさま立ち上がった。
「訓練を再開しますわ」
「少しは休め」
「私は少しでも早く立派な冒険者になりたいのですわ」
「ならなおのこと休め。体をいたわるのも、立派な冒険者になるには必要なことだ」
「……」
レティシアが座りなおす。
二人の間には、何とも言えない微妙な空気が漂っていた。
「なあ。もしかして、レティシア・クリスティーネなんじゃないのか」
「――っ」
レティシアがビクリとする。
その態度に、ローガンはやっぱりなと言うような表情をしていた。
「街で噂になっていたぞ。逃げ出したって」
「……そうですわ。結婚相手に見捨てられ、逃げ出したのですわ」
レティシアがうつむく。
「みじめでしょう。あともう少しすれば、クリスティーネ家そのものが無くなりますわ」
「――っ。それはどういうことだ」
ローガンが目を見開いて驚きの表情を作る。
「財政破綻ですわ。お金を持たぬ貴族は貴族ではありません」
「どうしてそんなことに」
「……この街は、今も昔も変わりませんわ。何一つ変わらない。だから、人がどんどん去っていきました。きっと、もっと便利で楽しいことができる街へ行ったのでしょう。だから、税収で回らなくなったのですわ」
「……貴族には、そんな苦労があるんだな」
「元、ですわ」
沈黙が訪れる。
二人はしばらくの間、空を見上げて佇んでいた。
「……俺はこの街が好きだ。何も変わらない、この街が」
「いきなりなんですの」
「感謝の気持ちだ。俺みたいな男には、この街がちょうどよかったんだ。寂れてはいているが、すごく居心地がよかった。この街を維持し続けてきてくれてありがとう」
レティシアは目を丸くしている。
しかし、次の瞬間、嬉しそうに頬を緩めた。
「まさか、感謝されるとは思いませんでしたわ」
「俺も感謝なんか伝える事態になるとは思ってもみなかった」
つられたのか、ローガンも頬を緩めて笑う。
「……さて、そろそろ訓練を再開しますわ」
「そうか。ちゃんと見ていてやるから、全力でやるんだぞ」
「もちろんですわ」
レティシアは立ち上がり、剣を手に握るのだった。
――さらに時は流れ、夕刻。
ローガンが手を叩く。
「そろそろ終わりにするぞ」
「まだ。まだですわ。もっと訓練しないと……」
「アホ。それ以上やっても効率は上がらん。明日から毎日やるんだ。今日はもう休め」
言われたレティシアが手を止める。
「わかりましたわ」
「よし。じゃあ帰るぞ。剣をしまえ」
「はい」
レティシアが剣を鞘に納め、ローガンの隣に並ぶ。
そして、二人はゆっくりと歩き出した。
「初日の感想は」
「地味ですわ。もっとこう、派手なのはないのかしら」
「訓練は地味なものさ。嫌ならやめてもいいんだぞ」
「誰も嫌とは言っていませんわ。もう」
レティシアがほんの少しむくれる。
その姿を見たローガンが小さく笑った。
「……今日一日、ありがとうございました」
「藪から棒になんだ」
突然頭を下げるレティシアを見て、ローガンが真顔に戻る。
「感謝、ですわ」
「なら、ありがたく受け取ってやるか」
「まあ。なんて恩着せがましいお人なのかしら」
レティシアが笑う。
「ふふっ。まったく、減らず口は留まることを知らないな」
「舌戦こそが貴族のたしなみなので」
「違いない」
ローガンは笑いながら言うと、唐突に立ち止まり、夕日を眺める。
それに気づいたレティシアは、足を止めてローガンの方に向き直った。
「どうしましたの?」
「……夕日が懐かしくてな。ここは、今も昔も変わらない。俺がまだ駆け出しだったころと同じだ」
「……そうですか」
レティシアも夕日を見つめた。
赤い光が二人を照らす。
「……帰るか」
「そうですわね」
――二人は再び歩き出したのだった。




