3.スライムが倒せない
「弟子入りってお前、いきなり何を言い出すんだ」
ローガンが空のグラスを片手に言う。
「新人冒険者の半数が死んでしまうのでしょう。であれば、今から新人冒険者になる私が取るべき行動は、可能な限り生存率を上げることです」
レティシアはそう言うと、得意げな表情を作る。
「その方法の中で最も簡単で効率がいいのは、ベテラン冒険者と行動を共にすることですわ」
「その通りではあるが、俺がお前を弟子にする理由がない」
そう言われたレティシアは、大きく息を吸った。
「なんてひどいお人なの。新人冒険者を見殺しにするなんて!」
レティシアが大きな声を出して言う。
その瞬間、ギルド内にいる人の視線が二人に集まった。皆一様に冷ややかにしている。
「おいおい! みんな誤解だって! 俺がそんなことをするはずがないだろう!」
ローガンが必死になって否定した。
しかし――。
「ううっ。私がこんなにもお願いしているのに……」
レティシアがさめざめと泣きだす。
女の涙は強力だった。完全にローガンが悪者であるという雰囲気が構築される。
「あぁぁぁぁぁ! わかった、俺の弟子にしてやる!」
「本当ですか!」
「本当だからこの雰囲気をなんとかしてくれ!」
ローガンの叫びに、レティシアが満足そうに微笑む。
そして、立ち上がった。
「ふふっ。皆さん、お騒がせしました」
レティシアが頭を下げる。
すると、ギルド内は何事もなかったかのように賑わいを取り戻した。
「師匠、これでよろしいですか?」
「……覚えておけよ。いつか仕返ししてやるからな」
「まぁこわい。お手柔らかにお願いしますわ」
こうして、レティシアは無事、ローガンの弟子となるのだった。
◇◆◇
翌日の朝。
レティシアとローガンは近くの草原を訪れていた。
「なぜ俺がベッドを明け渡さないといけないんだ……」
「レディファーストですわ。紳士として当然ですわよ」
「俺が借りた部屋だぞ。しかも代金は俺持ち。おかしいだろ!」
「そこまで嫌なのでしたら、二部屋借りればよろしいでしょう」
「代金俺持ちだって言ったばかりだろ! 宿代だってバカにならないんだぞ!」
「かわいい弟子のためです。そのくらい当然ですわ」
ローガンが頭を抱える。
レティシアはその姿を、勝ち誇るようにして眺めるのだった。
「ところで、今日はこんな場所に来て何をしようというのですか」
「……とりあえず腕前を見ようと思ってな」
ローガンはそう言うと辺りを見回す。何かを探しているようだ。
「おっ。いたいた」
「いたとは……あれは何ですの」
ローガンが見つめる先には、青いゼリーのような生き物がいた。
その生き物の中心には、赤いボールのような物が一つ漂っている。
「スライムだ。今からレティにはアイツの相手をしてもらう」
「スライム! 知っていますわ。最弱の魔物でしょう」
「そうだ。基本的に人畜無害な生物だし、死ぬような事態になることもない。腕試しにはもってこいの相手というわけだ」
ローガンがどこか挑発するような瞳でレティシアを見つめる。
「何ですの、その目は」
「気にするな。それより、さっさと剣を握れ」
怪しむような表情をしつつも、レティシアは鞘から剣を抜く。
「よし。まずは一人で適当に相手をしてみろ」
「わかりましたわ」
レティシアがスライムに近づく。
そして、素人丸出しの剣捌きでスライムめがけて剣を振り下ろす。
「てえぃ」
スライムの体は真っ二つに割れてしまった。
それを確認したレティシアはローガンの方に向き直る。
「ふふん。倒せましたわよ」
「そうか。そうだな」
ローガンは含みを持ったような表情をして、切り伏せられたスライムを見つめていた。
なんですの。あの表情は。
レティシアはそう思い、スライムの方を向く。
――スライムが二体に増えていた。
「ど、どうしてですの!」
レティシアが戸惑いの声を上げてうろたえる。
ローガンはその姿を見て、声を上げて笑っていた。
「笑っている場合ではありませんわ! どうすればいいか教えなさい!」
「言ったろう。腕前を見たいと。だから、俺からのアドバイスはなしだ」
「時と場合によりますわ!」
「安心しろ。しょせんスライムだ。命のやり取りにはならん」
ローガンはそう言うと、ニヤニヤした表情で手を組む。
どうやら傍観を決め込むようだ。
「キィィ! 覚えていらっしゃい!」
レティシアはそう言うと剣を構える。
そして、一体のスライムに狙いを定めて剣を振り下ろした。
スライムが真っ二つに切れる。
――スライムが当然のように再生し、二体に増えた。
「ま、また増えましたの!」
レティシアが一歩後ずさる。
ローガンは爆笑していた。
「そこ! うるさいですわよ!」
「いやぁ、スマン。ここまでポンコツとは思ってもみなかったからつい」
「誰がポンコツですか!」
「ポンコツは嫌か? なら、超ポンコツゥ~でどうだ」
「ムキィィィィ!」
レティシアは眉を吊り上げて地面を踏む。
「そんなことをしていていいのか。スライムたちが近づいてきているぞ」
「ハッ。そうでしたわ」
レティシアがスライムを見据える。
さ、三体もいますわ。どうすればいいのでしょう。剣で切ったらまた増えてしまいますし……。
じりじりと近づいてくるスライムを見て、レティシアが心の中で呟く。
額には汗がにじんでいた。
「ギ、ギブアップですわ。助けてください!」
レティシアがその言葉を口にした瞬間。ローガンの表情が突然厳しいものに変化した。
「その言葉、冒険中に通じると思うなよ」
「――っ」
レティシアが硬直する。
ローガンの言葉はそれほどの圧力を秘めていた。
「相手は魔物。待っちゃくれない。判断ミスは死に直結する。その言葉を発した時点で、お前はもう、この世にはいない」
「わ、私はそんなつもりでは……」
「ならどういうつもりで言ったんだ。言ってみろ」
レティシアが言葉に詰まる。
「……今日は敗北の味を噛みしめろ」
ローガンがレティシアに背を向け、空を見上げた。
同時に、レティシアの足にスライムが絡みつく。
「ひっ」
レティシアはスライムから逃れようと足を動かす。
しかし、足はびくともせず、どんどんとスライムに絡みつかれていく。
か、体が動かせませんわ。イ、イヤ。イヤァァァァ!
声に出すことのできない言葉が、レティシアの脳内に響く。
その間にも、スライムはレティシアの体に絡みついていった。
やがて、三体のスライム全てがレティシアの体に絡みつく。
スカートはめくり上がり、白い下着が露わになっていた。
「うっ。……ううっ」
レティシアの目から涙があふれる。
手から剣が零れ落ちた。
「……そろそろ助けてやるか」
背を向けていたローガンが、レティシアの方に向き直る。
そして、腰に下げているホルダーから、一本のナイフを取り出した。
その後、レティシアの傍により、絡みついている三体のスライムを注視する。
「まずは一体目」
ローガンが、スライムの体に漂っている、赤いボールのような物をナイフで突き刺した。
すると、スライムの体は水のように崩れていく。最終的には、地面に吸収されて、跡形もなく消えてしまった。
「二体目はここ。三体目はここだな」
ローガンが、残っている二体のスライムもナイフで突き刺していく。
レティシアの体に絡みついていたスライムは、存在しなかったかのように消えてしまった。
「もう大丈夫だ」
レティシアのさめざめとした声が響く。
「これでわかったろう。冒険者なんて、夢見る様な職業じゃない。止めておけ」
その言葉に、レティシアは首を振った。
「私は、冒険者になります。……必ず」
「どうしてそこまでこだわる」
「私にとって、冒険者は自由の象徴。誰にも縛られず、思ったままに行動できるように映りましたの。……籠の鳥として育てられた私には、それが羨ましかった。だからですわ」
「思っているほど自由じゃないぞ」
「だとしても、初めて自分で選んだ道なのです。どんなことがあっても曲げるつもりはありませんわ」
「……そうか。なら、必死でくらいついてこい」
ローガンがレティシアに背を向けて歩き出す。
「もちろんですわ」
――レティシアは剣を拾い上げ、その背中を追ったのだった。