2.出家と出会いと弟子入りと
「さて、このままぼーっとしていても仕方ないですわ。正式に婚約破棄された以上、この先どうするかを考えましょう」
表情を明るくさせたレティシアが、メイドに笑いかける。
メイドは涙をこらえる様な表情をし、「はい」と答えるのだった。
「まず、状況をまとめ……る必要はありませんわね。ハッキリ言いましょう。あと数日もしない内に、クリスティーネ家は貴族の地位を剥奪されます」
メイドがうつむく。
誰が見てもわかるほど、苦しげな表情だった。
……感謝しないといけませんわ。こんな廃れゆく貴族に、最後までついてきてくれたのだから。
レティシアはそんなことを思い、まぶたを閉じる。
心なしか笑っているように見える表情だった。
「沈みゆく泥船に乗船し続ける理由はありませんわ。すぐに下船しましょう。もちろん、貴方もね」
「わかりました」
「では、具体的にどうするかという話に移りましょう。まずは貴方から。……これを持って、実家の方に戻りなさい」
レティシアが引き出しの中から袋を取り出す。
それを机に置き、メイドの顔を見据えた。
「あの、これは……」
「今月の給金と、私からの餞別です。当家最後のメイドとして、本当によく仕えてくれました。感謝します」
「わ、私ごときに頭を下げるのはおやめください」
レティシアの礼に、メイドが戸惑う。
頭を上げたレティシアは、クスリと笑うのだった。
「次に私ですが……実はどうするか決めていませんの。貴族以外の生活なんてしたことがありませんから、わからないと言った方が正しいですわね」
「……あの。差し出がましいですが、私の実家に来られるというのはどうでしょうか。今みたいな生活はできないでしょうが、一般市民としての普通の暮らしはできると思いますので」
メイドの言葉に、レティシアが思案する。
だが、数秒後には小さく首を振った。
「ありがたい申し出をありがとう。でも、その提案に乗ることはできません。貴方はいいかもしれませんが、貴方の家族はどう思いますか? 間違いなく、厄介者を連れてきたと思うでしょう。貴方に辛い思いをさせたくはありません」
「そ、そんなこと!」
レティシアは再度首を振る。
その様子を見たメイドは、顔をうつむけ、押し黙った。
「貴方は本当にやさしい人。だからこそ、普通の幸せをつかみなさい。そう言ってあげることが、主人としてかけられる最後の言葉だから」
「レティシア様……」
レティシアが優しい表情で笑う。
それにつられたのか、メイドも目尻に涙を溜めながら笑った。
――いい笑顔ね。私がそのように笑ったのは、いつが最後だったでしょう。
レティシアは、そんなことを思いながらぼんやりと天井を見上げる。
「……今決めました。自分のやってみたいことをやりましょう。私は冒険者になります」
「へ?」
「前からやってみたかったのですわ。おとぎ話の英雄譚とか、ワクワクしますもの」
レティシアの楽しそうな表情とは裏腹に、メイドは戸惑うような表情で慌てる。
「レティシア様。それはいくら何でも危険です。死と隣り合わせの職業ですよ!」
「今更死なんて恐れませんわ。私は……いえ、クリスティーネ家は、今をもって死んだのですから」
「っ……」
「そんな表情をしないで、さっきみたいに笑いなさい。私の、自由への門出なのですから」
「……わかりました」
メイドが笑う。とびっきりの笑顔で。
「ふふっ。それでは、最後の仕事を――着替えを命じます」
したり顔で、レティシアが命じたのだった。
◇◆◇
屋敷の門の前に、レティシアとメイドがいた。
メイドは普段着となり、いくらかの荷物を持っている。対してレティシアは――。
「レティシア様は何を着てもお似合いです」
「当然ですわ」
鎧を身に纏っていた。
といっても、全身を覆うような物ではない。金属で守られているのは、腕、肩、足だけである。
いわゆる、軽装備の女騎士というヤツだ。腰には剣をたずさえている。
「……頑張ってください。応援していますから」
「ありがとう。貴方も、幸せにね」
「はい」
二人が見つめ合う。
そして、頷き合った後、互いに背を向けて歩き出す。
言葉は交わさなかった。いや、必要なかったのであろう。
――さようなら。
レティシアが心の中で呟く。
足は前を向いて歩いていたのだった。
それからしばらくして――。
レティシアはとある建物の前にいた。
「ここが冒険者協会ですわね」
そう言った後、レティシアは扉を開けて中に入る。
中では、酒盛りする男たちが楽しそうに声を上げていた。
……なんだか盛り上がっていますわ。何かあったのでしょうか。
レティシアはそんなことを思いながら、物珍しそうにギルド内を見回す。
「ん? 見ない顔だな。嬢ちゃん、ここに来るのは初めてかい」
レティシアの様子が気になったのか、一人の男が声をかけてきた。
細身で、特に特徴がないのが特徴といった風体だ。
「ええ。何せ、今日冒険者になると決意したばかりですから」
「お嬢ちゃんみたいな娘がどうして冒険者になる必要がある。その容姿なら、貰い手くらいいくらでもいるだろう」
「貰い手に断られたから来たのですわ」
レティシアはそう言うと、男の隣の席に着く。
「その容姿でとなると、さては、相当ひねくれた性格をしているな」
「ご想像にお任せしますわ」
「つれないねぇ」
男は小さく笑うと、手を上げる。
「受け付けちゃーん。この娘にエールを一つ」
「私、あまりお金を持ち合わせていませんの。無駄なものを頼むつもりはありませんわ」
「新人になるんだろう。だったら、俺からのサービスだ」
男はそう言うと、目の前に置いてあるグラスを煽った
「ぷはぁ~。やっぱ酒はいいね~」
「……飲みすぎには注意することね」
「おっ。いいこと言うね~。ところで、嬢ちゃんは何て言う名前なんだい」
「レティシア。ファミリーネームは……もう捨てましたわ」
レティシアが寂しげな表情をし、そう呟く。
「レティシア……。そうか、訳ありか。すまない」
「気にしていませんわ。それより、貴方のお名前は」
「おっと失礼。俺はローガン・フォートレル。しがないアラフォー冒険者さ」
ローガンがそう言ったところで、レティシアの前にエールが置かれる。
すると、ローガンがレティシアに向けてグラスを差し出した。
それを見たレティシアは、小さく笑い、エールの入ったグラスを持って差し出す。
「「乾杯」」
二人が酒を煽る。
そして、同時にグラスから口を離した。
「たまにはこういう安酒もいいですわ」
「奢られているくせに言うね~」
「女の特権ですわ。それより、いくつか質問してもよろしいでしょうか」
「どうぞ。答えられることなら答えよう」
ローガンの言葉を確認したレティシアは、酒盛りする男たちを指さす。
「あの盛り上がりよう。なにか良いことでもあったのですか」
「ああ。あれは新人冒険者が、無事に初仕事を終えられたことを祝っているんだ」
「たかだか初めての仕事でしょう。何をそこまで――」
レティシアはそこまで言ったところで口をつぐむ。
ローガンが凄むような表情で睨んできたからだ。
「新人冒険者の生存率は約五割。冒険者って言うのはな、死と隣り合わせなんだよ。だから、生き延びて帰ってくるだけで十分にすごい。たいしたもんだ」
ローガンが酒盛りする男たちを優しい目で見つめる。
「アイツらは立派な冒険者なった。なら、祝ってやるのが当然だろう」
「……その通りですわね。申し訳ありません」
「わかってくれたならいい」
ローガンがグラスを煽る。
その姿を、レティシアは真剣な表情で眺めていた。
「……つかぬことをお聞きします。ローガンさんは何年冒険者をやっているのでしょうか」
「明日で二十年だな。あ~あ。ついに三十九歳だよ」
ローガンが空のグラスを振りながら笑う。
「ということは、ベテランということですわね。……決めました」
「何をだい?」
「私、貴方に弟子入りしますわ」
「はぁ!?」
――呆けるローガンを尻目に、レティシアは「ふふん。ついていますわ」と、満足そうに微笑むのだった。