ルート変更
「うわ~なんだこれ! すごい、凄すぎるぞ!」
匠の眼前にはヨーロッパの国々やアニメの世界でしか拝見できなかったレンガ造りの家や、歩道には無数の人々が歩き、街が活気に溢れていた。
黒瞳の範囲で溢れ出る程の人間が匠の左右、死角から聴覚へとその存在、人間の生を絶えることなく全方向から認識することができる。が、それは竜車越しでの話である。
己の世界が現実になることは万人が望むことでありそれがいざ現実となって眼の前に現れるならば、これ程の幸福はないだろうと匠は心で確信しつつ一定を保っている生の鼓動が高揚感と共に速くなっていくのが分かった。
――もっと見てみたい
その欲心をコントロールするなど九割がた無理な話である。この好奇心を抑えられる人間などほぼいないだろうし、仮にいたとしてもそれは人間の機能を放棄したただのサルに過ぎないだろう。
自らの欲望を開放しようと薄暗い竜車の荷台に背を向け、好奇心の弊害となる黒のカーテンを右手で払って行く。
だが、好奇心というのは時には当人にとって毒となる代物だ。
「待ってください。貴方にはさっき私から説明したように外に出ないようにと、言った筈ですが」
正座でこちらを見上げる騎士は竜車の中でも警戒を怠らない。まるで目に見えない魔獣を相手にしているような緊張感を匠は同時に覚える。エレナは純白の鎧を身にまとい、右側に彼女の代名詞とも言えるクラウソラスが手に届く範囲に置かれていた。
エレナの忠告が、先程までの重々しい雰囲気がグルグルと霧のように覆い、意識を支配していく。
エレナの話では人外や異邦人など外部からの来客に対してリブート王国の国民はあまり好ましく思ってはおらず、むしろ否定的である。
その理由として挙げられる点が二つほどある。一つ目が他国のスパイだと疑われることであるのと二つ目は、他国は穢れた存在として扱われている事だ。
一つ目としてこの世界では長い間、国と国同士、人間と人外とで激しい戦争が行われているその真っ最中で、エレナの話によれば外部からの訪問者は敵そのもの。リブート王国は外部の国や富豪達から喉から手が出るほど欲しがる、世界の物理法則すら変えてしまうかもしれない機密文書が厳重に保管されている場所としても有名で、その分審査も相当厳しいものだという。
少し考えれば分かることだが、リブート王国の国民からしてみれば匠という人間は服装からしてみても、スパイと疑われてもしょうがないと言える風貌をしていた。
上は白のTシャツ。表に大きくアメリカの国旗が描かれ、下は黒のジャージとなっている。尚、通気性は全体的に文句なしではあるが今はどうもこいつが、特にアメリカの国旗が死亡フラグを建ててしまっているのは否めない。
この王国には世界の物理法則を変えてしまうほどの強大な力が存在する場所であり、王国のその強大な力を現代に例えると、核という言葉がしっくりとくるだろう。
なおさら国民からの異邦人のイメージはスパイそのものに見えてくる。もし、竜車から出ようもんなら『異邦人はスパイだ』とにらみを利かした人々がいつ自分を三途の川送りにするのか分からないだろうし、街の賑わいとは裏腹に周りの空気はどことなく緊張感を含ませているようにも感じ取れた。
それが、二番目の気を付けるべき理由と重なる。この世界には人外、オークやゴブリンなどの種が人間と同じほど生息し、戦争を繰り返して来たがその多くの人類は土地を追い出され、人外の配下にほとんどは吸収されたという。
人類国家がこの国を含め、指でも数えられるほどしか今では無いそうだ。もちろん、国民には事実の黒い空気が強まっていくだろう。国家が国民を、絶望の感情にこれ以上支配されないよう、それを逆手に取る形で王国側は意識改革、神によって選ばれた人類として意識させたという。それがやがて国民はその他の人類を軽視する動きや、人外への支配を逃れてここに行き着いた難民を『殺す』までに至ったという。
何とも皮肉な話である。
頭を掻きつつ匠は自分の背後に存在するエレナに軽く助けを求めた。
「わりぃ、俺やっぱり見に行くわ。エレナはその間、俺のことしっかりと守れよ」
「何ですか、その上から目線は。これが人に対してモノを頼む態度なんですか?」
金属同士の擦れる音が、会話の中で幾度となく薄暗い空間に木霊した。背後からエレナの激しい騎士道精神が耳にまでへばり付いて離さない。
どうやらエレナの騎士道精神は思った以上に深く、心に沁みついていた。
人間早く物事を進めたい時、背後でごちゃごちゃと言われれば誰しも苛立ちの一つか二つは覚えるだろう。ましてやそれが堅苦しいものであれば、苛立ちはいっそのこと増すばかりだろう。
この世界が匠の連載しているラノベの世界であれば、今後の行動や活動は全て把握済み。
なので、エレナが『匠を守らない』という選択肢はない筈であるし、この街で殺されるイベントなど記憶の中では存在しないのだ。
「そんなことはいいからさっさと守ってくれよ。エレナは王国騎士なんだろ?」
「確かにそうですが・・・・・・」
「確かにって何をそんなに迷っているんだ、俺の事を保護しろと王国側はそう言っている。俺はその目でしっかりと観ているんだ!」
時には力ずくでなければ変えられないものは確かに存在することをこの世界でも理解できた。そうでもしなければ潰れていくのがオチだ。
次のイベントは王国イベントで、基本的に軽い質疑応答がありその次に未来予知能力を買われ、近くにある兵士育成学校へ入学決定。最後は街の宿に泊まる。そこまでは記憶済みだ。ここ一週間ほど考え、考察した結果、本来主人公であったゼロの代わりとしてこの世界に移動した可能性が、非常に高い。
「あなたの実力は今ので充分に分かりました」
「お前、何言って・・・・・・」
エレナの態度がさっきまでとは違い、キリっとした印象を受けたのとほぼ同時、生温かい春風が匠の肌を刺激した。
しかし、かつてこんなにも不吉な予感を運びに来る春風があっただろうか? いや、過去のデータからは一つもない。生温かい空気が身体に触れるたび背筋が冷や汗をかく。エレナの性格上人を試すことはしないはずだし、勿論ラノベに書かれているエレナも決して人を試すようなシーンは一度も無いのだ。
そんな匠の心を知る由もなくエレナは「しかし」と付け加え、言葉のメスが静寂を裂き始めた。
「失礼ながらあなたの人間性はあまり好みません。むしろ私は苦手です」
匠にとってその一言は予期できないものであり、それすなわち最悪を表すのである。
感覚にして、自分が一生をかけて創り上げた後にも先にも存在しない最高傑作を黒のペンキで塗られる。しかもそれを本人がいる眼の前で、だ。
理性では決して押さえつけることができない恐怖が匠の心拍数を上昇させた。
殺される恐怖、自分がいるべき本来の世界へ戻れなくなる恐怖、肉体的恐怖、精神的恐怖、知識的恐怖、今まで我慢して我慢して我慢してきた恐怖という恐怖が大波のように、匠を飲み込んでいく。
頭に手をやりしゃがみ込んで、匠は恐怖でいっぱいになっている思考を巡らせた。
本来の設定通りであればエレナが人を嫌いになることは有り得ないはずだし、ライトノベルでも人を嫌うような描写や設定など今のところは皆無。
皆無だとすればそれはこの世界での行動やイベントの予測ができない事を示している。だとするなら、匠が思い描くシナリオやこの世界での設定も変わってくることを示す。しかし、変わらない部分もこの世界に存在していることは確かだ。
今まで竜車越しで見てきた街並み、自然の試練、この国が置かれている状況、そして性格は一部変化しているものの、未だ行動を共にしているエレナの存在。
このことから匠が今いる世界は『平行世界』つまりは、ライトノベルで書かれているエレナの世界の可能性の一つが実現したルートに現在進行形で足を踏み込んでしまっている状態にある。
「ルートが違うってことは、俺が無事でないルートの可能性も十分にあり得るってことか・・・・・・」
その可能性は無きにしも非ずだ。実際ルートが変わるアニメはいくつもあるがココはあくまで異世界。物理法則も違えば人外も存在するこの世界が、これだけで終了するとは到底思えない。
第一のルート変更地点はエレナだとしても、複数のルート変更地点が存在する可能性はゼロではない。
『ここは慎重に行動すべきだ』と、匠の本能的な機能がそう判断した。
それにまだルート変更の規模が不明なのも、匠にとって引っかかるところではある。匠が生活していた世界で平行世界についての説明は学校の授業で軽く解説されてはいたものの、その規模までは説明されていなかった。
「エレナでルート変更が終わる可能性は低そうだな・・・・・・」
女の勘ならぬ、男の勘とでも言うべきなのだろうか。
何となくその先も、ルート変更が行われるだろうと変な自信が付きつつあった。
「匠さん、手が震えていますけど大丈夫ですか?」
天使のささやきから生じた心配の声音通りに、薄暗い両手に意識を集中。確かに結果として両手は痙攣していたがその原因は不明。その候補としては複数挙げられるだろう。
長時間その部分を固定していたことか、エレナに名前を呼ばれた副作用か、ルート変更という言葉がトラウマになったのか、どちらにしろ信憑性はどれも低いものばかりだった。
人と会話をするときは相手と目を合わせなければ始まらない。小学生の時、道徳の時間で飽きるほど先生から聞かされてきた言葉である。
それが今となって記憶の片隅から先生が呼びかけてきている。
全くもって迷惑な話である。普通なら大昔の記憶など気にも留めないはずだが、どうもソレはリピートしてくるようで――。
匠としては、このまま起き上り顔も合わせずに返事を返す前提で脳を働かせているので、出来ることであればこのまま動かずに言葉を使いたいものだ。が、それもどうやら無駄な時間として消化されてしまう。
「分かったよ、先生」
またしても自分の考えがグググと、思わず両耳を塞ぎたくなるような音が匠の中、鈍く脳内で鳴った。それは自分という鉄骨が抗いようのない強靭なアームで半分に曲げられること。間接的ではあるものの、体感する感覚は紛れもなく『理不尽』そのものだ。
社会人になるとどんなにやりたくないことや、社会的に嫌われるような仕事でもやらなければいけない。そこには『自分』が入る余地など微塵も用意されていない。
誰でも例外なく社会人になるのなら、今体験している感覚の一つや二つは将来に役立つのかも。と、自分自身を言い聞かせることで少しは胸に生じる面倒臭い気持ちや理不尽さもまた、吹っ飛んでいくだろうという単純な策で、取りあえず利点を作りやる気を出させた。
「大丈夫。ただのストレスだと思う」
エレナに対して匠は適当な言葉を投げ、膝に体重を乗せつつ前かがみになる姿勢を縦に直した。
「そうですか。それは良かった、てっきり変な病気にでも罹ったのかと」
「その心配は無いから安心してくれ」
「分かりました。また何かあった時は私を頼るといいでしょう」
「了解した!」
そんなこんなでエレナとの会話を案外楽しんでいた匠だが『外の様子を見る』という本来の目的を思い出し、そそくさと言葉を交わせる。
現実世界の設定によれば、リブート王国での異邦人や人外からの捕虜の対処は統一されており、能力が高い者は殺さずに王国騎士として活動することが可能。一方、反逆心が強い者などは生物兵器の実験対象として専門の機関に飛ばされる。
現時点での匠の立ち位置として、主人公であるゼロとしてこの世界に存在している。
主人公の能力ももちろん匠は把握済み。結論として九割は予定通り国王に自分の能力が認められ兵士育成学校に入学することができる。
残りの一割は匠の世界での設定とこの世界での設定が、同様ではない線である。もしかすればこの世界での異邦人の対応が全く異なり、その場で殺されてしまう可能性は無きにしも非ず。
人間、確率が高いほうか低いほうどちらを選ぶかと言われれば、前者を選ぶほうが多いだろうし、確率が高いほうを選ばない人間は人生の半分を損しているだろう。人生においてもそれは言えることだ。挑戦的よりも安定を選ぶのが、匠という人間である。
――もしもの可能性もあるが、ここは九割に賭けるしかねぇな!
「背中は預けたぞ。それに国王へ俺を預けるなら、この体には傷一つ付けることは許されないはずだぜ?」
匠が満を持して放った強気の言葉はエレナの聴覚を激しく刺激し、気が付けば・・・・・・
「いや、近いんだけど。それに――」
エレナは勢いよく立ち上がると、一切の躊躇をすることなく匠の手を握って魅せ、興奮気味に言葉を交えた。
「まさか、ここまで正確な未来を視れるなんて・・・・・・さすが自分の能力を自負するだけはありますね! 感服します」
神崎匠十七歳、絶賛思春期満喫中の男子高校生。女性経験は皆無で、未だ彼女はゼロのラノベ作家。
そんなリア充生活とは無縁な匠だが今この状況で、モテ期が早くもこの異世界で到来しようとしている。否、来ているのだ。
今なお続く至福の時間が何よりの証拠だ。
エレナの手は色白で柔らかく絹にも劣らぬ触り心地で、全ての種族を人種を誰でも懐に抱くことができる印象を受ける。もっとこの時間を体験できたら俺は天国にでも行けるのだろうか、なんて実現しないような妄想は、彼女の吐息で見事にかき消されてしまった。
エレナはもちろん意識しているわけではないが、女性経験がない匠にとっては当然強い刺激になる。今まで吐息が聞こえるほど女子と密着した事はない。それゆえ女性耐性を持っていないのだ。
――なんで異世界に居るのに女性耐性を俺に付けないんだよ! この世界の神は、お約束を知らない無能な神なのか? 主人公位置だったら普通、俺の都合に合わせてくれるもんじゃないんですか?
高校一年生の春、休み時間にあれほど友人に宣言して自信があった『異世界ハーレム』計画。
それは現実で起こることがなく、画面越しや紙で妄想を膨らますしかなかったドリーム。今の匠にはその解が分かる。
――過去の俺よ、未来の俺は美少女一人でも無理だったぞ。
分かっていることだが、過去にメッセージを送ったとしてもこの現状は変わりはしない。
緊張と体温の上昇や妄想やらで匠の理性と身体は崩壊の一手をたどっている。
その証拠に、手や背中は汗でビチャビチャそれにプラスして硬い鎧越しではあるが、エレナの胸部が両腕に当たっている。
「あなたの能力は凄く貴重なので、非常に重宝されると思います!」
真紅の瞳からは、先程まで確かに存在したであろう『不変的な正しさ』の一片もさえも無くなり、完全にアイドルを生で見たオタクの反応だ。
通常なら称賛とは気持ちいい事だろうし、誰しもそれを願っているはずだ。が、今の匠にとってこれを素直に喜べるほど心に余裕は訪れていない。
それどころか酷くなるばかりで――。
エレナから怒涛の質問攻めが世界の雑音を支配し、匠との距離は近くなるばかり。
鎧越しに成長したエレナのモノが当たるだけましな部分も少しはある。それがもし薄い素材で作られていれば、今頃は理性など抑えきれなかっただろう。
――だが、少しは胸の柔らかい感覚は残っている。
人間、集中するとどうしても視野が狭くなりやっていい事とやってはダメな事との区別がつかなくなることがある。
今の現状、エレナは『やってはいけない事。特に女性経験がない男子に限る』を実行中だ。
――ここは早く切り抜けたいところでもある。しかし、言葉のチョイス次第ではバッドエンドを迎えるかもしれないからここは慎重に言葉を選ばないといけない。相手はあのエレナ、騎士道を他人にまで振りかざす女だ。きっと言葉使いに関しても厳しいはず。
日本語は一つの単語でもニュアンスや感じ方が変わってくる。
実際にネットなどの会話は、相手に誤解を生むような文章を送り炎上した件が世界では多数見られるが、匠も少なからず炎上というワードには敏感になりつつある。経験しているからこそ、その脅威が分かるもの。
――ここは丁寧語や尊敬語を織り交ぜてしのぐか。
「お褒めいただき誠にありがたいのですが、エレナさん。胸部が当たっていますのでこれでは自分が心拍数の上昇で、気絶し兼ねませんのでどうか離れてはくれませぬか?」
渾身の『相手に不快感を与えない会話術』だだし、年上に限るを詠唱する。
匠の脳内シュミレーションで示していた反応は「冷静に怒られる」だ、性格というのは向き合っていた時間が多ければ多いほど後になって修正しにくいもの。エレナは特にその影響が強い傾向にある。
ラノベの設定だとエレナの性格が固まったのは幼少期、三歳の時から既に騎士道精神を両親によって脳に刷り込まれている。だからこそ匠にとってそれは確信できる設定でもあった。
いっぽうエレナの反応は匠の予想を優に超えるものとなった。
瞳のキラキラはその一瞬で消え去り、代わりにデレの部分が台頭する。
「あ、へ? いやっその、あの、わざとじゃなくて・・・・・・これは・・・・・・」
自分の危険な振る舞いに理性が追いついたのか、エレナの顔はリンゴのように真っ赤に染め上げ、匠を両手で突き飛ばした。
途端、今まで噛みしめながら味わってきた不可抗力並び胸の感触が、目の保養にチェンジしたのだ。
余程恥ずかしかったのだろうか、視界の正面には赤面する顔を両手で塞ぐエレナが小刻みに身体を揺らし、紅に染まった艶のある髪がそれに応ずる形でひっきりなしに動いている。
――え? なにこの可愛さマジ反則級なんだが、俺がこの異世界でギャップ萌えする日がついに来たってわけか!
もしこの世界に神という存在がいるならば、その神とは趣味が合いそうな気がする。
このルート変更に関してはいい誤算だったと言えるだろう。
なんせ匠自身、エレナの見た目とスタイルはどストライクなうえプラスしてギャップ萌えにとことん弱いのだ。
――母さん。俺、ついに運命の人見つけたよ。嗚呼神よ、感謝します。
存在するはずもない神に心の中ではあったが両手を合わせつつ感謝を述べたのは、自分の長く険しい人生十七年のなかで初めてのことである。
異世界では魔物に追われたりエレナに修正しようもない性格を嫌われたりと散々な目には遭ってきたものの、遅くはあるがここに来てようやく異世界無双ハーレムの片鱗が見えてきた。
エレナのギャップ萌えと数々の心臓の高鳴りによって匠は本来の目的を忘れそうになる。
右手を興奮気味に握りしめ自然に伸ばされた左手をポンッと叩きつつ、記憶から抜けかけていた匠自身の目的を今一度再認識した。
――そうだった、俺にはこの世界を生き抜いてハーレムチート人生を謳歌しなければならない役目があるんだった! その為にも外の世界に行かないとダメなんだよ。
ゲームやスポーツにおいても対戦相手や戦闘力、活動範囲や敵の数、それらの戦闘情報は必須だ。ましてやルート変更後の異世界、ルート変更の影響力も皆無のまま敵地に向かうのは自爆行為に近い。
シナリオ通りに行く可能性は低いとは言わないが、シナリオ通りにいかない可能性だって十分あり得る話でもある。それを補強するために是非とも外には行きたいものだ。
「エレナ、俺はこの世界がどうなっているのか知りたいんだ。だからお願いだ! 俺にこの世界を見せてくれ、頼む!」
全力で他人に向かって頭を下げたのは、小学生の時の夏休み明けに自由研究の課題である読書感想文を書かずに提出し、その悪行が先生にバレた時以来だ。
プライドを捨てた泣きのお願いに、エレナは一瞬こちらを向くがそのまま目線を下に移し火照った頬を更に赤く染めた。
匠の視野で見る限りエレナはまだ身体をモジモジと動かし、未だに己が羞恥心と戦闘中。
この姿だけ見ればまだ外出を許される可能性は通常よりはるかに高いと言えるが、念には念を重ねたほうがいいと匠は踏み込んだ。
「今の君の姿を国民が見ればどう思うかな? きっとこう言うだろうな、リブート王国の恥さらしと。それの姿を広めてほしくなかったら、俺の要求を素直に聞け!」
「くッ・・・・・・。しょうがないです・・・・・・ここは、素直に従います・・・・・・」
「うっひょ~やったぜありがとう! マジで助かる。それと俺のボディーガードもよろしく!」
「・・・・・・あなた・・・・・・嫌われますよ・・・・・・」
エレナは諦めの表情を浮かべ本音をこぼした。その言葉からは、匠へ今まで抱いてきた感情全てを一滴残らず注いだように思える。
数々の忠告無視、数多の暴言、そして今回の卑劣さ、その全ては主人公としてではなく人間として最悪の行動をしている。
自分の言動をよくよく思い返してみれば人を脅して得た喜びを、それも被害者であるエレナを眼の前に、両こぶしを天に向けて表現していたと思えば不謹慎にも程がある。
これでも匠は人間である。人間とその他の生物との違いは過ちを正すことができる部分であり、匠にはそれを話すことが可能な口と他人の話を拾うことができる耳が備わっている。
最低限の倫理は持ち合わせているつもりだ、当然の如くさっきの行動は謝罪をしなければ人間としての存在価値を失うしかないただの、肉片となり果ててしまうだろう。
「すまん。少しはしゃいじまってエレナの気持ち、オレ汲み取れていなかった。正直やりすぎてしまったと思ってる、ごめん」
深々と頭を下げて謝罪し反省の意を示す。薄っすらと瞳に移るのは年季が入った木製の床で、エレナの仕草や面貌は読み取れない。
これで許されるとは匠自身思ってはいない。心の奥深くに感じる後ろめたさ、ただそれだけがレモンのような爽快感を汚して後味を悪くする。
自分の思考に嘘偽りなく純粋に、自分の非行を『謝罪したいと思った』それだけを行動に移しただけに過ぎない。
「しょうがないですね、あなたを許します。謝罪をしたならばもう二度とその様な言動はやめて下さい」
「分かったよ、流石にアレは嫌われちまうからやらないわ」
人の感情を踏みにじるような行動は、異世界での当面の目標としている『異世界ハーレム計画』が失敗する恐れがあるためなるべく控えたほうが吉だ。
「そうですね、あの言動はやめておいたほうがいいと思います。それと――。先程は言い過ぎた部分がありましたのでこの場で謝罪させてください。大変申し訳ありませんでした」
丁寧な言葉を並べ謝罪するエレナ。
その立ち振る舞いは先程までと打って違い堂々とし、そこに華やかさまで加わっている。雰囲気は凛々しさと優しさがバランスよく入り混じり、羞恥心など幻であったと言わんばかりに謝罪も美しく九十度を保ち紅の髪が太陽の輝きを反射、艶のある煌めきは細部にまで施されている。
「さすが王国の騎士さんってところか、さっきまでのギャップ萌えはどこへやら。あぁ許すぜ、これでお相子だ。この件はお互い水に流そう」
「分かりました」
♦ ♦ ♦ ♦ ♦ ♦
「では、ワシはここで待機しておりますので。エレナ様と匠様が竜車にお戻り次第リブート城のほうへ出発致しますが、急なご用事がありましたらこちらも向かいます故」
「ええ、頼みました。何かあればクエーサーで私に知らせてください、すぐ向かいますので」
「エレナとはぐれたとき用に、俺もクエーサーを携帯するべきじゃないのか?」
クエーサーは現実世界で携帯電話に等しい役割を担う下位魔法具の一つで、その形は手鏡に似ておりその機能も少しばかりそれに似るが、下位魔法具にしては使用者を選びやすい側面も持ち合わせている。
持ち手の外側には金属の証である銀白色で縁取られ、内側は木製、反射する部分にはガラスが使用されている。唯一違う点と言えるのは魔力を込めなければ鏡として機能すらしない点である。
魔力が送り込まれない状況下で鏡は真実を映さなくなり、底が見えない黒に姿を変えるのだ。まるで自然そのものを相手にしているかのように、自分の力量ですべてが決まるのだ。
――現実世界での設定ではクエーサーは魔力操作が少々複雑な為、使用者は魔法使いや若者が多いはずだ、なんでラバンさんも使用できる設定になってんだ?
高齢な魔法使いならともかく魔法適性がごく少数しか存在しない職業の商人、それも油売りのラバンがクエーサーを使用できる謎が匠の瞳を曇らせる。
クエーサーの使用方法は現実世界の携帯電話と同じ仕組みで魔法適性者と魔法適性者同士を魔力で繋ぎ、それぞれの魔力を行き来させることで会話や映像が鏡に浮かび上がる原理だ。なので、クエーサーは魔法適性が無ければ使えないアイテムということだ。
「もしかして・・・・・・ラバンさんも魔法適性があるのか?」
ルート変更が起こった事はエレナの件でお腹いっぱいだ、もしラバンがクエーサーを使用できるならばこの異世界でのハーレム計画は困難になる。というのもライトノベルの設定で、クエーサーは『一流下位魔法士』の試験において合否判断の材料として扱われるからだ。
そんな代物が商人でも扱えるとなると、現実世界とルート変更されたコッチの世界とでは魔法技量が異なる可能性が自然と姿を見せる。実際匠の立ち位置は主人公としてこの世界に存在しエレナと同じ時間、同じ場所で自然の光を背に受けている。
「ああ、そうじゃよ」
右手に持っているクエーサーを虫眼鏡代わりに使い、前方にいる『匠』という珍虫の存在を観察するよう距離を詰め、匠の黒い双眸が鏡に映し出される。
ラバンのしなびた顔からは、何処か嬉しげで自信に満ちた表情も含んでいた。
異世界に降り立った主人公がイコールの形で最強という設定が保証される程この世界は異邦人に優しくないのは、異世界の神が匠にチート能力を与えてない時点で察しは付くことだ。それにプラスし現時点でルート変更が確認されたが、もしかすれば主人公のスペックも変わる可能性が少なからずあるわけで――。
「エレナ少しいいか?」
「はい、何でしょうか」
「この場所に魔法鑑定屋ってあるか? それも、上位クラスの魔法適合者が行く所だ」
この世界はもはや原作者本人である匠すら予想できないイレギュラーが起こる別世界になりかけている。イレギュラーに対抗するためにはまず、自分自身を知り得なければならない。
未だに、主人公視点でプレイしているのか別視点なのかで匠の脳内会議は白熱していた。自分の能力を知る上でもコレは匠にとって欠かせないイベントになる。
「了解しました。しかし、魔法鑑定ならば王国内でも利用可能ですが・・・・・・」
「いや、それは出来ない。王国内で不正が行われることは俺の予知能力で既に分かっている」
人間、目的や欲望を叶えるならば多少の嘘は許容する生き物であり、己を守るためであれば真実は語らない卑怯な生物だ。
主人公と同じ能力である確率は保証しにくい位置にいる。本来の能力が分からなければ、王国側から無能力扱いされ結局三途の川送りとなるだろう。ルート変更がある限り、いつまで未来予知というハッタリが通用するか不鮮明である以上、嘘を重ねる必要がある。
「そうでしたか、それは失礼しました。私が以前からお世話になっている店を紹介します」
「それよりも早く行こうぜ、俺は早くこの世界を見たくてうずうずしてるんだよ」
「分かりました。それでは行きますので、ラバンさんも十分気を付けてください」
「承知しました。エレナ様も、匠様も、細心の注意を払って行動を。くれぐれもローブは脱がないように」
太陽の暖かな光を背に受け、匠はエレナの右手を引っ張りラバンの竜車を後にした。