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エレナの正義

 視界に広がる惨状は出来れば口にしたくはない、そう思えるほど常軌を逸していた。


「……あ、あぁ」

 声が出ない、上手く言い表せないこの光景に匠は唸る事しか許されず、背中に悪寒が走るのすら今は可愛く感じる。


 そんな意識の乖離は多数の呻きが重なる威嚇、否気味の悪い笑い声から始まった。


「グギギギギギギギ……ギャギャギャギャギャ」

 

 目下に広がる深緑の死が一斉に熱い視線を送り、舌なめずり。大きく潰れた緑の鼻は下品に酸素を吸収し、布地は下半身しか隠さず貧相で、大きな顔からは赤い液体が滴り落ちる。背丈は一メートルにも満たない。

 見覚えのあるソレは正しく死であり、魔物の類だ。


「ゴ、ブ、リン……」


「ギャギャギャギャギャギャギャギャ」


 匠の回答をあざ笑うかのようにソレは、ゴブリンは、手に握る棍棒を地面に叩きつけて笑みの理由を再度、五感をもって思い出させた。


「ギャアアアアア!!!」

 数にして二十程度のゴブリンを挟んで後ろ、距離にして約五メートルの場所から少女の絶叫と絶望が溢れだした。


 視線は自然と声の鳴る方向へもう一度固定される。

 目隠しされた少女が居た、それは木製の柱に木のつるで貼り付けにされて服は上も下もビリビリに引き裂かれ、顔は打撲痕や膿が巡り、身体中には壮絶なる暴行の爪痕が至る所に見られる。


 その少女はゴブリンの鋭利な爪で腹部を深く、力強く、引き裂かれ、公開暴行される。血塗られた少女の絶叫に、ゴブリンは集団暴行でそれに応えていく。

 爪で色付いた少女の生き血を少女自身の口の中に、薬を彼女の腕に投与し、再び命を引き裂く。


「ヒィッ! たす……け、て……助けて下さいッ!」


 与えられたのは叫ぶ権利のみだ、人間に見せつけるよう少女の集団リンチを楽しむ人道外れた行動。

 それが一人であれば匠は耐えられたものを、ゴブリンは女性を消耗品の様に左から右まで、数にして十人程度をそれぞれ横一列に貼り付け、遊ぶ。

 血の滴る音に、少女の絶叫とゴブリン達の笑い声。その何もかもが不快に消化された時、

 

「何がおかしくて笑っている……これは最後の忠告です。彼女たちを解放しなさい。人間は、彼女達は、あなた達のオモチャでは無い!」 


「ギギギギギギギ……ギャギャギャギャギャギャギャギャギャ」


 エレナの正義が、今度は行動となって嘲笑うゴブリンの懐へ介入した。


 戦闘開始は、鈍く押し付けられたような打撃音からだ。

 エレナが突っ込む場所に目をやれば、そこには深緑のゴブリンが群れを成して悔しがるよう眉をひそめている。

 それもその筈、匠がピントを合わせた時にはもう既に、前衛のゴブリン一体は地に倒れ伏していたからだ。

 

 容赦の無い攻撃速度と移動速度、軽やかな身のこなしは洗礼され、その動作に一斉の無駄がない。だが驚くべきはエレナの精神状態だ、あれほどゴブリンに挑発されようとも殺しはせず気絶のみを与えている。

 

「正気は……保っているようだな」


 その証拠に、四大神器の一つでありエレナの愛用『クラウ・ソラス』は鞘のまま敵の腹部を攻撃し、敵の猛虎も同時に防いでいる。

 凄まじい信念に匠はただただ、ゴブリンとの来るべき決着を制裁を、待っていた。


「ギギギギギギギギギギギ」


 一匹、また一匹と仲間がやられる様をゴブリンは悔しそうに見続けるしかなった。なんせ、そこには絶対的に超えられぬ実力差があったからだ、であれば人数で押すのが吉と思うのは自然な流れでもあった。

 畳みかけるように声を張り上げ、エレナを囲むようにして十体余りのゴブリンが跳躍。手に持つのは血痕が目立つ棍棒のみ。


「グゲゲゲゲゲゲゲゲ!!!」


「私とあなた達では守るモノの厚みが違います。故に、私はあなた達の理想を崩します」


 静かに、そして確実に、その言葉を実行へと移した。

 踏み込んだ初歩から炎が全身を覆い、天井に向かってかざす右手は決して戦闘放棄の合図ではない。

 何かを、詠唱を口ずさんだ――次の瞬間、爆炎がエレナとゴブリンを巻き込んで闇に呑まれた視界を赤く染めた。


「マジ……かよ、こんなの正気の沙汰じゃない……」


 匠の知る限り炎に包まれた有機物は燃えて灰になる。それが世界の常識だ、それはきっと異世界での暖の取り方も同じく、燃やして成り立つよう設定している限りエレナも、


「ゴブリンは浄化しました。これで彼らも、善なる方向へ行く事でしょう」


「マジでビビったって。エレナ、死んだかと思った……」


 否、訂正すればゴブリンのみが爆炎に身を焼かれて地面に転がっている。

 起き上がる魔物はおらず、その爆炎の主はゴブリンを一瞥すると、血塗られた少女の元へ再び駆けていく。

 その結果には見向きもせず敵の死を、殺生禁断のエレナが実行したその事実だけが原作者の匠に突き付けられた。


 殺生禁断などこの世界では無理難題と理解している。匠自身も先程までゴブリン大虐殺を行っていたことは紛れもない事実で、匠が口出しする立場に立っていないのも承知済み。

 だが、エレナの正義はこの世界や匠にとっての理想そのものであり願いだった。それが目の前で、一瞬の出来事で全ては崩れ去ってしまったのだ。


「原作者として、エレナの代わりに手だけでも合わせてやんなきゃな……」


 それは優しさから行動に移した訳でない。ただ、あくまで根底にある心情はこの物語を生み出した者としての責務を全うするが為。それは後始末をする感覚に等しく、違いは差してない気もする。


 殺害現場に赴く足取りは、たどたどしく震えていた。見るもの全てが正しく認識されれば「ゴブリンはエレナによって殺害された」そう解釈するしかない。それはエレナ自体の存在理由が無くなるということ。


「ルート変更って恐ろしいもんだな……」


 改めて、事の原因となったであろうルート変更に対し恐怖を抱きつつ厳戒態勢を敷いた。

 ルート変更での性格変化、ソレは匠の思っている以上に物語の展開と深く結びついていると思わなければならない。


 厳しくも恨めしい現実を噛み締めつつ、深緑の魔物であるゴブリンの死骸の山に黒瞳を閉じて手を合わせる。

 視覚を閉ざした後、耳を刺激するのはエレナの咆哮と打撃音、ゴブリンの雄たけびに少女たちの懇願だ。

 それら全ての音とエレナのステータスを比べれば、それは見なくとも分かる結果に変わる。


「まぁ、エレナがゴブリンをボコしてんだろうな。に、してもヒロインがヒロインを辞退するとか止めて……やめ……やめてくれ、よ」


「ゴブゴブ、ゴブブ?」


「……ゴブブ?」


 一瞬何が起こったのか分からず、匠は目の前の生物と同じ方向へ首を傾げてしまう。

 緑の鼻はくしゃりと潰れ、双眸は真っ赤な血の色に染まる。背丈は匠が正座した目線よりやや高か同じくらいだ。視界に見える情報だけで処理するならコレは深緑色の肌をもつゴブリン、と言える。


「はぁぁぁぁぁ!? な、何でゴブ、リンがいるんだよ!?」

 

 止まる身体とグルグルと巡る思考。それらが一つの警告に行き着いたとき、反射的に身体が後ろへ後退する。

 今までの経験や匂い、外見、持ち物。それら全てを参照すれば奴は人間を襲う魔物の類。であれば、背を向けず少しずつ後退するのが最善手。

 全力で死を回避するのを意識し、本能に身を任せる。


「ゴブブブブブブ!」


 だがそれは、目の前のゴブリンは、言葉にならない叫び声で棍棒を振り上げる事も仲間を呼ぶ訳でも無く、その小さな体を匠の方へ寄せていた。


「え、は? なんなんだ!?」

 

「ゴブゥ……ゴゴゴゴ、ゴブゴブ!」


 絞り切って出た、問いにも満たない反応。それを答えようとする(ただ、そういう風に見えるだけだが)ゴブリンに攻撃の姿勢は見られない。

 が、問題はエレナがゴブリンに対し行動不能状態を維持しているにも関わらず、匠の前に平然と現れた事だ。作中で一二を争う戦闘力の持ち主で、完璧人間であるエレナが敵を零す事など九割ありえず、また人間に友好的な魔物の描写も作中では限られる。


 ――だとすれば、使い魔の類か? 


 しかし、現状ゴブリンの使い魔などライトノベルのシナリオに入れた覚えがない。

 通常使い魔という存在は戦闘において主の援護や身代わり、時に魔力供給することさえあるが、使役する基準として「魔力量」や「契約条件の軽さ」が重視されやすい。

 ゴブリンは契約条件において軽いが、魔力量が皆無なため使役する者はほとんど見られない。仮に使役していたとしても肝心な『主』の姿が見当たらないのは不自然すぎる。


 ――そう言った面から見れば、使い魔の線は消えた訳だ。じゃあ、このゴブリンはなんなんだ?

 

 悪寒と汗の伝う感覚が鮮明になり、ルビーのような輝きを放つ濃い赤と目が合う。

 

 何も分からぬ無知と襲われる恐怖に苛まれる匠。

 決して相容れぬ相手が、今もこうして人間という無知を知に変えるため、五感をフル活用している。

 なんのために匠を観察するのか、敵対しないのか、襲わないのか。それら全てが謎に包まれた時間はゴブリンの足踏みと、


「たくみくんっ!」


 エレナの叫び声で突然終わりを迎える。

 

 その瞬間、キラリと光った白銀の飛来物は音を長く立てながら真っ直ぐこちらへ無慈悲に、死を奏で、たかに思えたそれは目の前のゴブリンによって途絶えた。


「なんっ、で……?」


 その様は一言で表すなら、奇妙そのものだ。

 ゴブリンから放たれた憎悪の矢を、同族であるゴブリン自らが棍棒を振るってソレを防いだのだから、驚くのも無理はない。

 魔物が、ましてや知性に乏しいゴブリンが、敵であるニンゲンを守るなど虫のいい話があるか。否、それは目の前で起こった事象が匠にノーと示す。

 

 匠の右横に立つゴブリンの背中。それにありったけの疑問を乗せて放った一言など、当のゴブリンは二の次だと右手に持つ棍棒を宙に掲げながら、雄たけびを上げる。


「ゴブブブ! ゴブ、ゴブゥ!」


 一匹の咆哮に吸い寄せられるようゴブリン五体が跳躍し、一斉に襲い掛かった。

 手に持つのは匠の前に立つゴブリンと同じ棍棒だが狙いは匠に加え、咆哮を決めたゴブリンと予想外の状況。

 

「ギギギ、ギ、ギャギャギャギャ」


 匠自身、何が起こったのか、これから起こる未来の不鮮明さに変わりなし。しかし人間に与えられた危機察知能力は健在のようで、


「何がなんだか、頭の整理がついてない状況だが、一つ分かるのは俺を襲うコイツらは敵って事だよ!」


 匠の頭上目掛けて振りかざされた鈍器を、黄金に煌めく刃、エクスカリバーで受け止めた。


 全体重を乗せたゴブリンの攻撃は、一瞬だが身体が沈むかのようなしっかりとした感覚を覚える。赤い双眸が奇妙に目の前で歪み、そのいびつさに匠は刃のベクトルを後方へ身体ごと後退り。


「こっちが押してんのに、後退とは…… どうも、あのゴブリンは気に入らねぇな」

 

 態勢と呼吸を整え、状況把握。

 最前線ではエレナが囚われた少女を助けるため全力で刃を振るい、その手前ではゴブリンが同族に敵意を向け、戦っている。


「どれ、俺も試したかったんだよ。この世界でどれだけ身体能力が強化されてるかってなァ!」


 視線を敵に戻し、一瞥してターゲットを定める。大地をしっかりと右足で踏み込むとそのまま真っ直ぐ進み、ゴブリンに向けて一閃。

 力任せに、勢いづいた縦方向への一撃は、結論として大地とゴブリンの頭蓋を砕き割った。

 仲間の死と匠という怪物をどうにかここで止めまいと動き出した深緑の魔物。それを好都合と判断、勢いを殺しまいとエクスカリバーを持つ右手を最大に伸ばし、鞭のようにしならせて左右一体ずつ立ちふさがるゴブリンの腹部を横に深く切り裂いた。


 「ギャギギギギ……」


 ゴブリンの叫びが左右同時に起こった結果を見た限り、匠の身体能力はこの世界で群を抜いていると言える。これには匠自身、


「え、マジかよ。俺の身体能力どうなってんだ、力を入れただけで大地が砕けるって漫画だけだと思ってた」


 驚きを隠せないでいた。


 左右のゴブリンから赤く染まった鮮血が腹部から流れ、大地をどろっと塗り潰し、真っ二つになった体は結末を教えてくれた。目の前のゴブリンは土に埋もれたままピクリとも動かない。


 匠にとってこの光景は見えて当然だった。力も、能力も、魔力量さえ格上のこちらへ勝利の栄光が与えられるのは当たり前だ。

 今更、死骸やゴブリンに向けた慈悲もない。

 

 黄金の輝きに付着した赤黒い血液を、地面に叩き落として右に視界を合わせる。


「どうやら、そっちも片付いたようだな」


「ゴブブブ、ゴブゴブー」

 匠の瞳に移ったゴブリンは、返事とも言えない魔物語でそう答えた。

 血の匂い、腕や足に無数の噛み傷、故意に裂けられた衣服と付着した赤黒い血痕。体を見る限り、どれも急所や後遺症が残る程の深い傷は視認できなかった。


 その様は、匠にとってクエスチョンを与えた。

 ゴブリンという魔物は人間に最も近い生き物と言えよう。見た目や魔力量、習性、進化の過程において別の遺伝子が入っていれば、今頃人間はゴブリンになっていた節さえある。

 

 だが人間とゴブリンとでは大きく異なる部分があった、それは知能だ。ゴブリンは知能が低いぶん原始的生活を主流とし、人間は火を起こして科学や魔法学に力を入れるようになる。学を主流とした人間と実践を主流とした文明とでは知能の差は明らか。


 ――今までのゴブリンの攻撃は無策で、数で圧倒するのがほとんどだった。だがこのゴブリンは急所に傷を負っていない。しかも全ての急所に、だ。


 顎に手を当て、しばしの思案に至る。

 このゴブリンは同族を二体相手取り、急所を気にする暇さえあった。

 普通ならばありえない話だ、急所への守り、匠との会話での問答――それから敵対する人間と共闘。

 それら全てが、目の前に居る深緑の魔物が、不思議でならなかった。


 ――何なんだよ……コイツは。


「こちらも女性を全て救出し終えました。ゴブリンさんも全て気絶させておきました」


 戦闘全ての終わりを告げたエレナに、匠は思案を急遽停止。それからゴブリン映る視界とかぶさるようにして、エレナの白鎧と紅に染まった長髪が見え、発言とこの状況に理解が追いつく。

 憶測でしかない予想だが、充分可能性はある。エレナの存在意義と能力が正しくこの世界で反映されるなら――


「――なぁ、エレナ。あのゴブリンってさ、お前がさっき浄化した魔物か?」


「ええ、そうです。あのゴブリンは私の炎で悪性を浄化し、善性を強めた個体です」


「そうか。なら、ゴブリン自体の戦闘力増加もそれと起因するのか?」


「はい。ゴブリンさんの意思を尊重しない点においては、人道を外れた行為。なので、せめてもの償いとして彼らには少しながら知恵を与えました」


「って事は……さっきの爆炎は、ゴブリンを殺したんじゃなくて、そいつの中にあった悪性を消滅させたってわけか?」


「えぇ、認識としてはそれで合っています。それより……囚われた少女たちの容態が、好ましくありません。早く適切な治療を受けさせなければ……命を落としかねません」


 白鎧姿が匠の視界から消えると、見えてきたのは胸と骨盤の部分が大雑把に引き裂かれ、黒い斑点や流血の跡が目立つ衣服姿の女性、十人が一か所に固まって身を小さく屈め、震えていた。


「し、死にたくない……」


「もう……無理なんです……」


「たす……けて下さい」


「精神的にも相当きているようだな」


 一瞥する限りでは身も心もボロボロに引き裂かれ、まともに話すら振れない状況だった。

 身体中の震えと泣き出したくてもその涙も枯れ果て、震える事でしか感情を伝えられず、中には幻覚症状や精神崩壊まで起こす者まで。この惨状は正しく地獄そのもの。

 

 幾ら、匠がクズでも地獄を味わった人間をいたぶる趣味は持ち合わせていない。

 思わず顔を背けたくなるような戦争の傷跡、彼女達が追った心の傷、それを解決する事などできはしない。経験しなければその地獄は分からない。故に、


「彼女達の心情を完全に救う事は出来ないと思います。が、生き延びた命くらいは私達でも拾えると思います。そうですよね? たくみくん」


「あぁ、そうだな。ここで死んでもらったらシナリオの後味が悪くなっちまうしなっ」


「そうと決まれば、この大人数を安全地帯まで運びたいのですが……生憎と竜車の類は持ち合わせてはおりません」


「分かったよ……俺の固有能力で何とかする」

 わざとらしく、こちらを頼る質問を遠回しに語り掛けてくる。

 これで何度目のやり取りだろうか、彼女と関わっていく内に段々と細かいやり取りや心情の変化も読み取れるようになった。

 メインヒロインであるエレナに信頼を置かれ、共に行動し、シナリオ面でも満足だが、主人公として、目標であるハーレムには一歩及ばない。


「エレナに乗ってやるよ。俺もそれなりに功績が必要なんでね」


「察しが良くて助かりますっ」


 そっと微笑みかけてから、エレナは女性陣の元へ駆け寄って心のケア。その間、左横ではゴブリンが続々と目を覚まして屈伸していた。

 

 エレナの意見に半分諦めモードで頷き、何もない空間に魔力行使。

 空間を縦に切り裂き、暗黒に手を突っ込みメモ用紙と羽ペンを取り出して、外的救いを匠は実行に移す。


 能力、構造、材質、物理法則、それら全てを自らの創造でメモ用紙に書き記し筆を進める。


「これでいいか。今回は、基本的情報だけで構成すればいい」

 都合上、存在理念の強化などは最低限に絞り込む。今回は空中を飛ぶため、しっかりと存在理念の固定化を図らなければゴブリンの矢で崩壊しかねないが、今回は致し方ない。


 内側と外側を青白い魔力の管が繋ぎ合わせ、それに意識を集中。

 右手に力を入れ、手に持つメモ用紙に行き着くよう魔力の流れを誘導、コップの水を注ぐようなイメージで魔力を蓄積。一気に放つ。


「イリュージオン・ライト。我の前に顕現せよ」


 メモ用紙から飛び出た純白、周囲の視界を照らす抑止の力は高らかに鳴り響いた叫びによって鮮明にその姿を現した。


「ヒヒーン」


 記憶の隅にへばり付く特殊な叫び、しっかりと大地に踏み込まれた四肢からは威勢の良さと勢いを感じる。

 ウェーブがかった白の鬣、頭上を指し示す真っ直ぐ伸びた純白の一角にシュッとした細長い体からは、鍛え上げられた筋肉が美しい曲線美を描いていた。


「ユニコーンですか……それも二頭」


「ああ、そうだ。コイツが馬の代わりって訳だ」

 ファンタジー世界では当たり前の移動手段、その馬車を匠がユニコーンに変えたのには流石のエレナも驚きを隠せないでいた。

 

 この世界にユニコーンという存在は、非常に高貴なうえ人間界に姿を現す事はまず無く、その戦闘力もさることながらユニコーンの角には魔力増幅作用があり、伝説の魔道具「ユニコーンの粉塵」のメイン材料として重宝されている。

 この世界には召喚者という職業があるが、大半はユニコーン召喚を目的とする者で構成されているほど。だがユニコーン召喚は魔力を膨大に消費する為、ほとんどの人間には召喚の権利すら与えられず、召喚できたとしてもユニコーンに命を奪われる可能性すらある。


「このユニコーンは随分大人しいですね、人間に敵意を一斉向けていない。ユニコーンを使っている以上、ただの馬車ではありませんね……」


「流石だなエレナ。そう、コイツは馬車だが中身は魔改造してある」


「ユニコーン二体をこの世界に留まらせる魔力まで保有しているとは……たくみくんの魔力量が羨ましいです」


「もしかして、俺に嫉妬してんのか?」


「そんな事は……ありませんからっ!」


 まるでアニメのツンデレワンシーンを覗いているかのような手本、胸元で腕を組み頬を膨らませ、そっぽを向く。デレからのツンとプイの洗礼された動作を魅せたエレナ。

 本性を露にしたギャップ萌えの重い一撃に心臓と胸の高鳴りが加速し、匠は胸に手を当てて理性を保つのに必死だった。

 そんな匠の考えを冗談だと言わんばかりに感情を踏みつけ、それより――と言葉を紡ぎ、

 

「一秒でも早く、彼女達を荷台に乗せましょう」


 話を早急に進めたのは、紅髪を揺らすエレナだ。


「少しは、こっちの身にもなってくれ……」


「今は時間が惜しいです。話はそれから聞きますので、今は……」


 匠に最低限の言葉を交わし、エレナは心身ともに弱り果てる女性陣の元へ足早に向かう。

 エレナというヒロインはいつも真っ直ぐで、正義の体現者だ。故に、この腐りきった世界ではとても輝いて見えた。

 人間や魔物、魔王に亜人の四種族が暮らす、匠が住んでいた世界より複雑な場所に彼女は生を持ってして産まれた。エレナの過去や性格、理想、この世界の結末まで全てを把握済み。

 

 だからこそ、エレナの真っ直ぐさは曲げないで欲しい。

 匠が間違いを犯し続ける限り――。


「応急処置を完了しても尚、後遺症や心傷を気にして行動とは……エレナらしいっちゃらしいか」


 大きめに設定した荷台に一人、また一人とゆっくり女性を乗せるエレナの表情と行動からは、遠目で観察する匠から見てもナイチンゲールの如く、優しさと慈悲すら感じられる。


「たくみくん。女性を全員、荷台に移動させました。たくみ、くんも早、く乗ってくだ……さい」


「今乗るけど……エレナ、大丈夫か? さっきから辛そうだけど」

 言葉を交えつつ、エレナに向かって匠は歩みを進める。

 額には汗がびっしょり滲み出て呼吸も荒くなり、見るからに苦しそうだ。言葉も繋ぎ繋ぎの面が目立ち、会話も無言が続く。


「わ、私は大丈夫……ですっから……」


「いや、大丈夫じゃないだろう、これ……どう見ても」

 エレナのクラウ・ソラスが手に届く範囲まで近づき、上から下まで確認する。

 何か隠している、と確信するまでに時間は掛からなかった。


 瞬間、それを証明するモノは既に視界から居なくなり、背後から金属と金属がぶつかり合う音が地下内に再び、反響した。


「ギギギギギギギ……ギャギャギャギャギャ」


「たくみくん、行きなさい! 私が時間を稼ぎます」


「それはいくらなんでも無茶だろ! エレナの魔力も底をついてんだ、自殺行為にも程があるだろ」


「わ、たしが! 私が身を捧げずして、何が正義の体現者に、あなたの正義になれようか! 馬車はたくみく、んしか操作でき、ません……今の責務は、道を拓くこと……」


「ゴブブブ、ゴブゥ!」


 衝突した紅の刃には、押されながらも確かに信念があった。魔力切れのエレナ、一人だと思われた刃はまた一つ、また一音と、増えていった。

 芯のあるエレナの言葉が伝わったのは、匠だけではなく浄化されて目覚めたゴブリンも同じ。


「こっちは、聞きたい事が山ほどあるんだよ。エレナ、死ぬなよ」


「死ねない理由が増えちゃいました、たくみくんも、ご無事で」


 最後の言葉とも違いはしないフラグ発言を口に含み、エレナの背に別れを告げて馬車に向かって全速力で走り、馬車に飛び乗った。

 エレナ自身を犠牲にした時間稼ぎ、ゴブリン達が開いた地上への扉、その刃と叫びが重なるとき馬車は地下から高鳴る咆哮を含んで走り去る。


 稲妻の如く音を立てながら走り出した馬車からの眺めは、世界そのものが停止したと感じさせるほど一瞬で長い時間だった。

 未舗装の大地を滑る車輪、その摩擦は白銀の雷光をほとばしり、前方のユニコーンはただひたすら前に進む。

 

 ――エレナの想いを乗せて。


 


          ♦  ♦  ♦  ♦  ♦  ♦  ♦ 




「彼女達をよろしくお願いします。それと、これを王国側に。もし、何かあれば私の元へ連絡をくださればその都度対処しますので」


「かしこまりました。それでは、エレナ様もお体を大切に。決して無理はなさらず、お願いします」


「ご忠告感謝します」


「では……」


 硬い契約めいた問答をそれぞれが交わし終わると、白衣を身に纏った眼鏡姿の男ならぬ、エレナの専門医が竜車の手綱を手に取り、


「それでは行って参りますので」


 一言。別れの言葉を伝えると、少女達を乗せた竜車は勢いよくガラガラと音を立てながら、獣道に溶けるよう消えていった。


 暗闇が支配し、魔物が活発になる時間帯。

 人間の視覚など無意味だとその都度、意識に訴えかける森の中、殺気が満ち溢れ、血色の瞳がうろつく夜。


「いくら森の中で、魔物が潜んでいるからってこの数は多すぎだろ……」

 全方向から殺気と赤い瞳が匠とエレナを取り囲む。

 

 魔物対策はエレナの結界と匠の結界で守られ、魔物の足一本さえ通さない強度を誇る。あまりに強力過ぎるせいか、魔力結界を敷く範囲から二メートルさえ魔物が寄り付かない現状だ。


「魔物は魔力に反応しますので、魔力が強力であればあるほどそれに比例して、魔物が寄り付く数も増えていきます」


「そうか、短的にまとめれば俺の自業自得って訳か」


「ええ、そうなりますね」


「自業自得なの、意外と気にしてんだよ?」


「冗談ですよっ」

 グスンと、効果音を付けながらわざとらしく訴える匠に対し、綺麗で真っ直ぐな顔立ちを崩して表情に花を咲かせるエレナ。


 よほど匠との会話が楽しいのだろうか、鼻歌を口ずさみながら明かりのある方へと足を運ぶ彼女の姿はまるで、水族館に初めて行く子供のような純粋さを感じる。

 周囲の暗黒を暖かく消す焚火を前に、人類最後の希望である四大神器の生き残りクラウ・ソラスを地面に置き、鎧も脱ぐと、


「立ち話もなんですし、暖を取りながら話しましょう。心ゆくまで」


 丸太に腰を落としたまま、暖の近くで手をかざすエレナがそっと微笑んだ。

 

「分かった」

 短くそう答えると、エレナが手で示した場所に座り込む。


「丸太ってこんなにも固いんだな。今度からクッション持ってこよう」


「そうですね……全くそうですよ」


 目の前で暖に身体を預けるエレナは先程とは打って違い、しんみりとした雰囲気を感じる。


「どうした? なにか悩みがあるんなら言ってくれよ。解決はできないけど、共感くらいは出来ると思うからさ」


「……そうですね。怒らずに、真剣に答えて欲しい事があります」


「ああ、分かったよ……」

 任務についての注意点だろうか、イレギュラーでも起こったのだろうか、はたまた任務の失敗か。どちらにせよエレナの真剣な表情から発される内容は重要事項が多い。

 

 唾を呑み込みその時をじっと待つ。

 火の粉がジリジリと音を立てて舞うのを視界と聴覚が慣れ始めた数十秒、


「たくみくん……あなたは生けるモノ全て、好きですか?」


「え……? 良く分からない」


 予想外の質問が投げかけられた。


「では分かりやすいように、こう聞きましょうか。たくみくんは、人間が好きですか?」


「俺は……嫌いだな。だってさ、自身の欲望の為なら、躊躇することなく他人を汚せるんだぜ? そんな愚かな生き物が好きだ、なんて口が裂けても言えねぇよ」


 「そうですか」と一言、寂しそうに言葉を口にしながら続けて、


「たくみくんは、ミライを壊すモノとミライを創るモノ、どちらになりたいですか?」


「そりゃあ、断然ミライを創るモノに決まってんだろ?」


「そうですか。ありがとうございます」


 そっと微笑みかけながらも、その瞳に映るのは哀しさすら感じられる不思議な表情をしていた。


「ありがとうございます?」

 エレナがなぜ礼を言うのか、こんな質問を改めてしたいのかは謎だが、ルート変更の類で無い事は幸いだ。


「最後の質問です。貴方は、たくみくんは、私を愛していますか?」


「……」

 言葉が詰まった、どう反応したらいいのか分からなかった。

 既に最初から心の中で決まっていた、決定事項だった、その筈だ。が、それは言葉にすることなく押し黙ってしまう。

 唇の震えが止まらず、迷うはずのない回答に何故か迷いが生じてしまう。さも、口にする事さえ罪となるような――。


「では、私のクラウ・ソラスとたくみくんの能力で創造したクラウ・ソラスを取り換えませんか?」


「……?」

 意味が分からなかった。何を言っているのかではなく、そうする意味がだ。


 エレナの横に置かれているソレは四大神器、今となっては一つしかない人類の存亡に関わる代物。それを一か月にも満たない関係の、異世界から来た男にトレードしたいと言い出すのだ。

 正気を疑うのはごく自然な事で――


「――それはやめとけ。俺がいくらクズでもこの要望は呑めない。というか、あの話からなんでトレードになったんだ!?」


 ライトノベル上でのエレナの過去や生い立ちを理解する分、匠でもこの申し出に関しては、躊躇せざるを得ない。

 シナリオに関して言えば、このシーン自体がイレギュラーな立ち位置にあると言えよう。ライトノベルでも任務はあるが、クラウ・ソラスを渡す描写も無ければそのキッカケさえ思い当たるシーンすら皆無。


 腕を組んで思案する迷える子羊を目的地に誘導する笛の音は優しくも哀しく、恥ずかしそうに、奏でた。


「それは、私……これを見るたびに、私を思い出して欲しいからですっ……」


「恥ずかしそうに言うなよ……俺も、恥ずかしくなるだろ!」

 

 頬をリンゴのように染め上げ、火照った顔をスッと両手で隠すエレナは小動物のような可愛さすらあった。

 それを見続ける匠もまた、エレナの告白や先程の攻めた恥ずかしい提案を思い返してしまう。ある種の羞恥プレイとさえ思えるこの時間は、ドS心をくすぐるには十分過ぎるシチュエーションなのだが、そのベクトルはエレナだけではなく、匠にまで向いてしまっているのが問題だ。


 ――ここは早めに結論を出さなければ、共倒れ確定バットエンドを迎えてしまう。


「分かった……交換するよ。俺のクラウ・ソラスとエレナのクラウ・ソラスを」


「本当ですか?」

 指と指の隙間から桜色の瞳孔が嬉しそうにこちらを覗く。


「あぁ、いいよ。その代わり、クラウ・ソラスが紛失したり間違って売られてもなァ、俺のせいにするんじゃねーぞ!」


「大丈夫です。たくみくんなら、きっと手放したりしませんからっ」


 勢いよくなんの根拠もないまま、エレナはそれを言ってのけた。

 微笑みながら、まるで自身の脳裏に匠という存在を焼き付けるように、自分自身がいた証を刻むように、そして――


 ――過ちをもう二度と繰り返さぬように。

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