1 主人公
「おいおい、今日は何かとついてないよな、お前」
「ああ、全く。その通りだ」
ガヤガヤする教室にて神崎匠は座りながら友人の大西敦に先ほど起きた事を軽く説明していた。
「それにしても、あの楓を泣かせるとはねぇ」
「何が言いたいんだよ、敦」
敦は、匠の心を見透かしているかのようにニヤニヤしながら言った。
「いいやぁ~何でもなーい」
「なんだよ、言いたいことがあるなら言ってくれよ、怖いよ」
「ま、そのうち嫌になるほど分かるから。気長に待ちな」
敦はそう言い捨てると右手に握っている缶ジュースを手に取り、口へと運ぶ。
「なに話してるのかな? おふたりさん。もしかしてだけど、デートの相談?」
敦はその声に乗じてジュースを噴水のように吐き、
匠はその瞬間、机に置かれたままの英語の参考書を手に取った。
背後から近づく男から笑いを堪えまいとすると息が荒く聞こえ、匠は呆れた表情を浮かべつつ、その男の名をフルネームで呼び捨て、
「またお前か、佐藤竜。いい加減、人をからかうのはやめろよな」
右手に本を握りしめた。
「まずは右手に持っている凶器を置いてから話しをしようじゃないか、匠」
匠は『本の角』という名の凶器を竜の指示に従いデスクに置いたのを竜が確認すると、冗談交じりで話を進める。
「ところでだ、匠。君はその本を使って一体何をするつもりだったのかな?」
竜は満面の笑みを浮かべながら優しく声を響かせた。
「え、簡単だよ? お前を撲殺する為だけど?」
竜の笑顔に対抗するかのように、匠も――
――笑っていた。
ただ大西敦、彼だけは笑顔を見せてはいない。
むしろそこに居合わせたのが神のいたずらなのだとすれば、これは匠を喧嘩へと導いている。
それを匂わせるくらい敦の顔は、恐怖を覚えた子犬そのもの。
過去に匠と竜の間にはいざこざがあり、こうして会うたび不穏な空気になってしまうのだ。
大西敦はこの最悪な空気を消し飛ばすべく、匠達に身振り手振りを含ませながら別の話題を提供する。
それが、敦ができるせめてもの希望だろう。
「そうだ、俺の家の前に新しいスポーツ用品店ができてさぁ、凄く品揃えが良くてさ」
二人の回答は「だから?」「ジャマすんなよ」という非常に冷たいものだった。
匠にとって敦の質問など眼中になかった、それどころか腹まで立ってくる。
敦の渾身の話題提供は、結果的には火に油を注ぐような形になり一層会話は一層激しくなっていく。
敦はこの現状を変えるべく右手を顎に付け、考えに考え抜いた回答は、
「真司ってさマジで気持ちわりぃ絵、描くよな~今日もさ、絵を描いてて吐き気がしたんだよね~」
敦は自然と声に出していた。
「え? マジかよ、俺全然気が付かなかったんだけど」
ニヤニヤしながら竜はそう言いながら匠も後に続く。
「マジかよ、それはキモイわ」
三人から自然と笑みが浮かび、悪い空気が、団結が、目的が一つになっていく。
その光景を良しとする竜が続けざまに、話題を二人に向け投げていく。
「そういえば真司って、お前のラノベのイラスト担当してなかったか?」
「マジかよ、真司っておまえの同業者なのかたくみサイテー過ぎ」
「そんなのイジメない理由にはなんねーんだよ、キモイ事に変わりはねーんだ」
匠は誇らしげに語り、周りも便乗するかのようにせせら笑っていた。
「本当に最低だよな、お前」
匠に向かって竜が右手を指しながらからかい、言葉の刃物をグサリとさしていく。
その直後授業開始の合図が教室中に鳴り響き、それと同時に匠らの携帯型デバイスからは授業開始を知らせる通知が無感情な音声と共に鳴り響いた。
それと同時にその場から逃げるように教室から出ていった男子生徒が、一人出ていく。
「なんで、俺だけがイジメられなきゃいけないんだ」
弱々しい声だけが廊下に響いていた。
「もう我慢の限界・・・・・・」
ドン、と激しい音とともに楓が立ち上がり、匠に向かい人差し指を突き付けながら力強く言い放った。
「学級委員として命じます。今すぐに真司君に謝ってきて!」
「は? なんで俺があいつに謝らないといけないんだよ」
「考えたこと無いの? 真司君の気持ち。これじゃ真司君の居場所、無くなっちゃうよ」
「うるさいな、他人の気持ちなんて本人にしか分からないのにそれを強要するなよ。カエデ」
楓は目に涙を浮かばせながらも弱々しく反論をする。
「かわい・・・・・・そう、だよ・・・・・・」
その言葉にクラスメイトの殆どが匠達の言動を非難するように楓の言葉に共感し始めた。
「カエデが可哀想だ!」
「今すぐ真司に謝れ!」
匠たちに向かい、デモのように正論という盾を振りかざす。
「おい、カエデ。お前のせいで俺が責められるハメになったんだ、どうにかしろよ!」
呆れにも捉えられるため息をついて、ゴスロリメイド姿の美少女が腕を組みながら匠に近ずき、
「何様のつもりなの? ホント呆れてため息しか出ないわ。」
「うるさいな。九条彩乃、お前には関係ない話だろ」
「一回、岩にでも頭をぶつけて落ち着いたらどう。サルみたいな脳だと逆に頭良くなるかもよ?」
彩乃は匠に挑発しつつクラスメイトの目線を自分に向けさせる。
教室からはクスクスと笑い声が鳴り響く。
「あ? 場違い服装のクソロリメイドには言われたくないな」
匠も負けじと彩乃を挑発する。
「フン、さすがサルね。この程度の挑発しかできないなんて呆れて言葉も出ないわ」
「世間知らずのお嬢様は、アニメの中だけにしてくれよ~」
その時――
――匠は触れてはいけない禁忌に触れてしまった。
彩乃は胸元で組んでいた両腕を下げてグッと拳に力を入れ、耐えていた。
それを匠は見逃すはずもなく重ねて繰り出す。
「おいおい、親の顔が見てみたいぜ。なんだこの服のセンス。大昔の貴族かよ」
「私のことは好きに言って構わない。でも家族の悪口だけはあんたでも許さないんだから」
彩乃は匠の眼を無言で睨みつける。
「彩乃、お前が元々悪いんだよ」
「うるさい!」
傍から見てもこの二人はいつ爆発してもおかしくない状況だった。
ガラガラと教室のドアが開き、ガタイのいいジャージ姿の男がはっきりとした声とともにクラスルームに入っていく。
「すまないな、遅れてしまって。ちょっと別の仕事が入ってしまったが、授業に支障はない。時間だからこのまんまやるぞ~席に着け~」
目の前に佇む「鬼のサトウ」が呼びかける中で、匠と彩乃だけがお互い睨み合ったまま動かない。
鬼のサトウがパンパンと手を鳴らしながら二人の視線をロックして、冷戦状態の二人に向かって一人の教師として言い放つ。
「おい、授業だぞ。いつまで中学生気分で過ごしているんだ! 特に匠、お前はさっきも注意したはずだぞ。お前には罰として次の授業まで廊下の掃除をするように」
♦ ♦ ♦
「なんで世界のトップがこぞって通っている世界的に有名な高校で、清掃ロボットがいるのに、なぜ俺は廊下の掃除をしなきゃいけないんだよ。それもたった一人で。」
匠は心の中で理不尽な教師を恨みつつ、モップで丁寧にピカピカな床を掃除をしていた。
「腰は痛くなるわ、ホコリは舞うわ。これじゃ授業受けてたほうがまだマシだったよ」
教室からは教師の声や、生徒の声が途絶えることなく聞こえてくる。
「今の授業は俺の苦手な次元論じゃないか。ああ、どうしよう。またテストで赤点取ったらどう親に説明すればいいんだ」
最悪なイメージが匠の頭を駆け回り、匠は両手で頭を強く搔く。額にはたらたらと汗が流れ落ち、白いモップを見つめながら後悔の念を抱いていた。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦ ♦
「どうしたらいいんだ・・・・・・」
佐藤竜は頭を搔いてデジタルパソコンの画面を見ながら深くため息をついていた。
「ん? どうしたんだよ、大きなため息ついて。幸せが逃げちまうぞー」
「なんだ、敦か。それがデジタル教材が何故か俺のだけエラーが出て見られないんだよ。これじゃ俺だけ減点されちまう」
「嘘だろそれは流石に無いだろう。どれどれ貸してみ?」
竜の画面からはエラーの赤文字だけが感情なくシステムとして表示されていた。
敦はエラーの赤文字を見るなり、竜のデジタルパソコンに右手をかざし始めた。
「何してんだ敦?」
竜が不思議そうに敦の右手を覗いている。
「ハンドスキャンしてるんだよ。」
敦の口から聞き慣れない単語が飛び出し、その勢いで思わず竜は聞き返してしまった。
「ハンドスキャン?」
「ハンドスキャンは、対象を探針や電子線などの点状のものでなぞり、対象物の情報を得る方法。俺はそれをいつでもできるよう右手にマイクロチップを入れているんだ、今はエラーの原因元を調べている途中って訳だ」
「そうか、さすが世界に三十人しかいない天才の一人だ。」
竜は首を上下に振り感心していた。
キリのいいタイミングで鬼のサトウが、口を開く。
「よし、ハイペースで話したからまだ理解していない者も多いことだろう。なので、ここからは分かりやすくゆっくりと説明していく」
そう言うと鬼のサトウはモニター画面を使いながら説明し始めた。
「要点をまとめると――」
一九九五年五月八日木曜日、日本時間二三時一二分。小惑星探査機「オオハシ」のビデオカメラに奇妙なものが写っていた。
それは、表面は透明で中は黒になっている物体が無数に繋がり扉らしきものを形成していた。
「それが火星のすぐ近くで見つかったのが第一原因といわれる段階」
第二原因はその二年後、一九九七年七月一五日にその物体を調査していた研究者がその物質の塊に誤って触れ、吸い込まれた。
その二か月後、この研究者はラスベガスで見つかる。
「そのことで更にその物体への研究が加速しさまざまな憶測が出された。これがかの有名なラスベガスショックだね」
第三原因はその三年後の二〇〇〇年。日本チーム『アズサ』が火星の謎の物体の入手と地球に持ち帰るのに成功した。
「今現在の研究から分かっていることを教える。」
敦がモニター画面に映る文面を表示して補足説明を始めた。
この物体に害はない。
この物体は粒子でできている。
無限に増える。
全ての物質と合わせても化学反応は一斉起きない。
次元と関係する。
その粒子をクロン粒子と名付けた。
「以上だけど、何か質問あるか?」
「ありがとな、敦。そして、さっきは済まなかった。」
静寂な自習室にて神崎匠は大西敦に向かい頭を下げていた。
「なんだよ急に。お前らしくないから早く座れよ、俺もあの時は少し怒り過ぎたと反省している。」
「ああ、ありがとな」
匠は敦の言葉を噛み締めながら、静かに椅子を元の位置に戻しデジタルノートに手を出す。
「さっきの話で気になったことがあるんだけどさ」
「なんだ?」
「クロン粒子は次元と関係するとはどういうことなんだ? もっと詳しく説明してくれ」
「分かった。」
敦はそう言うと電子モニターを指で拡大し操作し始めた。
「分かりやすいように図を使って説明する。」
時間は第二原因である、かの有名な「ラスベガスショック」まで遡る。
当時、クロン粒子の研究はノイアー氏を筆頭に進んでいた。
ノイアー氏は、当時まだ火星のクロン粒子の塊「ゲート」が活動していた時に自ら人体実験として「ゲート」に身を投げ出した。
「当然だが、研究所のチームは混乱状態だった。クロン粒子に飲み込まれたって事は、次元に入った事と意味は同じ。当時戻ってくることはほぼ無いとまで言われていたからね」
その二か月後にイギリスの研究所のチームに一本の電話が入り、ノイアー氏の生存が確認された。
これがかの有名なラスベガスショックである。
「ノイアー氏が二ヶ月もの間何をしていたのか、彼の著書にはこう書かれてある」
この世界と変わらず食べ物は美味しかった。
運動もできる。電気も使える。
唯一難点を挙げれば立体でないことだけだ。
この発言が二次元や多次元の物理的な証拠となり、クロン粒子と次元は密接に関係するという事が証明された。最新の研究からはクロン粒子は多次元を生み出す主要な原因となっていることが分かっている。
「ちなみにノイアー氏は元々、宇宙科学を専門とする研究者なんだ」
その後、ノイアー氏はノーベル化学賞を受賞。学校の授業に新たに「次元論」が追加され、現代では多くの学生が学んでいる。
「ちなみに、この学校の創設者はノイアー氏だよ」
ここ、宮城県の『ナンバーズスクール』通称『NS』は世界中から芸術、スポーツ、音楽、資産家、あらゆる分野のトップが集まる学校である。
人数は男女合わせて一三六八九人が在籍しており、職員やその他もろもろ合わせると三万人を超える。
尚、ここの設備及び警備も中の人間に比例して世界一となっている。
娯楽も充実しており、大手の企業が数多く専属としてここ「ナンバーズスクール」の土地に店舗を構えるようになり、今では学校に電車が走っている。
目をこすりながら匠は睡魔を抑えながら口を開いた。
「授業も最新のデジタルパソコンで授業をするし、先生や教授なしの授業もしばしば。ほんと時代は近未来か~」
「まあ、匠は俺と違い大の機械音痴だからな」
毒針で傷口を刺すように敦は致命的な弱点を突く。
「そりゃどうも」
匠は傷口を解毒して、デジタルノートに今日の日付を記入した。
休み時間終了を知らせる通知が携帯型デバイスから無感情の音声と共に流れて、それを機に二人の姿は自習室から消え再び静寂が訪れた。




