十六話
このくらいのペースがベストかなぁ……。
昼の十一時。
詩織先輩のモデル活動に驚嘆しながらもそのギャップや、女装でモデル活動をすることについて脳内会議を開いていたらいつの間にかこんな時間だった。
かれこれ三時間、三杯目の冷え切ったホットコーヒーを勢いよく飲み干して席を立つ。
「少し時間的には早いけど、清野さんのところに向かおうかな」
朝と違い多くの人で賑わっている宿原の大通りを掻い潜り、『futuro』に着く頃には汗だくだった。
「こんにちわー」
扉を開けるとともに心地のいい来客を知らせるベルがカランカランとなって風鈴を彷彿とさせる。
とても心地のいい音に聞こえた。
そして流れ込んでくる冷気が額に浮かんだ汗を引かせた。
「おお、慎太郎君。今日は龍と一緒にモデル活動の話をするんだよね。龍はお昼過ぎ位に来るらしいから、少し休憩しなよ」
「はい、ありがとうございます」
清野さんは一度スタッフルームに戻ってアイスコーヒーを二つ持ってきてくれた。
「ほら、飲んで。外暑かったでしょ」
「ど、どうも。そういえば今日は三木さんはいないんですか?」
「今日は午後三時くらいに来るはずだよ。慎太郎君の大事な話があるからね。三木がいると話がややこしくなる」
「そ、それは申し訳ないです……」
「いいんだよ、うちのカットモデルが本物のモデルさんになるんだからね! タイミングが遅ければうちが正規のお金を払ってお願いしなくちゃならないところだった」
「清野さんならもちろんタダですよ!」
「お? ありがたいね。それにもうモデルの心構えが出来てるし」
「いや、これはそういう意味じゃ!」
「ははは、分かってるよ。この間まで俺に財布渡そうとしてきてたんだから」
「そこは今でも変わりませんよ、癖ですから……」
いつも通り優しい笑顔を浮かべながら話す清野さんに安心感を覚えて一時間ほど話し込んでいると、ドアの鈴が鳴った。
「すまんな、清野に、えーっと慎太郎だっけか。仕事で遅れた」
真っ黒のスーツで現れた宍戸さんは端的に遅れた理由を述べて中に入ってきた。
「龍、これも仕事のはずだけど?」
「ああ、そうだな。申し訳ない」
あまりにそっけない謝罪に気分を悪くしたのか清野さんが責めたが、相変わらず喜怒哀楽のない声で淡々と謝罪をする宍戸さんを見て、何となく二人とも長い付き合いなんだと感じる。
「それで、慎太郎。ジアースの件なんだが」
「え、もうですか!?」
椅子に座るや否や本題に突入ですか!?
な面接のアイスブレイクみたいなのは無いんですかね?
「ああ、他愛のない話をするのがどうも苦手だからな」
「そういえば昨日も随分強引でしたもんね」
「その節は申し訳ないと思っている」
「龍、申し訳ないって普通に謝れてないからね。言い訳できませんってなんで謝罪の言葉になるの?」
「いやそれはだな、清野――」
清野さんが突っ込んだことによって話がどんどん逸れていく。
三木さんより清野さんの方が話をややこしくするんじゃ……?
「それで結局慎太郎はジアースに入る気はあるのか?」
しばらくして話が落ち着き再び本題に戻って来ていた。
「はい、入ろうかと思っていたんですが……」
「え!? 昨日入るって言ってたのに、もしかして気が変わっちゃったの?」
清野さんが目を剥いて俺を見つめる。
確かに昨日は入ろうと思っていた。
というか今日の朝まで。
しかしこの雑誌を読んでから考え方が変わってしまったのだ……。
やはり俺には女装は出来ない!
「宍戸さんに質問があります……」
「なんだ、答えられる範囲なら何でも聞いてくれ」
「俺は、女装しなきゃいけないんでしょうかっ……!」
机にジアースを置きながら質問をした。
大事なことだ。
質問をして、しばらくの間宍戸さんと清野さんは等しく固まった後。
「あははは! 慎太郎君、違うよ!」
「フハハハ! 慎太郎、笑わせないでくれ。腹が痛い!」
「ええ、なんなんですか! 急に笑い出したりして!」
いきなり大声で笑いだした二人に困惑が隠せない。
二人の間でおろおろしていると笑い終わった宍戸さんが答えを教えてくれた。
「慎太郎、いいかよく聞け。ジアースはちゃんと男性誌もあるぞ」
「そ、そんな!?」
「だから慎太郎君が女装の心配をすることはっ、フフフッ。思い出したらまた笑えてきた」
「ああ、あんなにまじめな顔で女装のことを聞かれたのは初めてだ」
「も、もういいです! そんなに笑うならモデルなんか!」
再びくつくつと笑い始めた二人にしびれを切らす。
「ああ、ごめんごめん。決して慎太郎君を馬鹿にする意図は無いから」
「本当ですか?」
「うん、本当本当。とりあえず男性誌もあるから慎太郎君はモデルになるってことでいい?」
「はい……」
未だににやけているのは心外だがクラスメイトから向けられていた嘲笑とは違い、そこに暖かさを感じて指摘するのは辞めた。
「それなら慎太郎。この書類をよく読んでここにサインをしてくれ」
目の前に差し出されたのは契約書。
読めば『アルバイトとして雇う』、と言うことだった。
「アルバイトですか」
「最初はな。そこら辺のバイトと違って給料はいいから安心してくれ」
「はあ」
俺は指定された箇所に名前を書いて宍戸さんに返した。
それを受け取った宍戸さんは書類に何か書き足し、ファイルにしまうと立ち上がって俺の腕を掴んだ。
「よし、行くぞ」
「はい?」
「慎太郎君、頑張ってね」
「いや、ちょっと意味わからないんですけど! 行くってどこに――!?」
「レッスンだよ、モデルになるんだ。受けないといけない」
「そんな急な! 清野さん、見てないで助けてくださいよ!」
「ごめんね慎太郎君。親御さんには俺から言っておくよ」
「そんなあ!?」
清野さんに見放されるとともに踏ん張っていた両足から力が抜ける。
「ようやく観念したか。なに安心しろ、たった一週間だ、すぐに戻ってこれる」
「宍戸さんキャラ変わってないですか? っていうか一週間ですか!?」
「長っ!」そう言いながら俺は宍戸さんに引きずられながら、いつの間にか外付けされていたオープンカーに乗せられた。
「シートベルトを締めろよ」
しれっと運転席に座った宍戸さんがエンジンをふかす。
「慎太郎君、一週間後に待ってるよ。その時はfuturoもオープンしてるだろうから遊びに来てね」
ああ、もう逃れられないのか。
モデルと言っても適当に写真を撮られるだけだと思っていた数時間前の自分を説教してやりたい。
「レッスンなんて聞いてないですよ!」
「そりゃ言ってないからな」
走り出した車の中で宍戸さんに文句を垂れる。
「言ってないってそんなの――」
「でも書類には書いてあったはずだ、それは読んでいないお前の落ち度じゃないのか?」
「それはっ、そうですけど……」
「まあ安心しろ、食事は三食きっちりとれるし自分の部屋もある。まああとはほかの参加者と仲良く、な?」
『仲良く』俺がこの世で最も苦手なことだ。
「最悪だ……」
レッスン場で首は吊れるのかな……。
~清野side~
「さて、行ったか」
カットモデルの時同様、かなり強引なやり方をしてしまったが俺はこれが慎太郎君の為になると信じている。
――そして俺の為にも。
まあとりあえずそこら辺は今はまだ考えなくてもいいな。
暗い思考を切り替えてこれからのことを考える。
「とりあえず慎太郎君の家に行かないといけない」
昨日手に入れた慎太郎の生徒証の写真を見て住所を確認する。
慎太郎が帰ってこない説明をするために。
「それに、慎太郎君は家でもあまり歓迎されていないみたいだしね。丁度いいから様子見も兼ねようかな」
もし、あまりにもひどい場合は……。
自然と手が拳を握る。
駄目だ、俺が手を出すのは慎太郎君がどうしても無理な場合だけにしないと。
店に戻り、よそ行きのスーツを着る。
「さて、行こうかな」
ドアの鈴は先程とは違う音色で鳴った気がした。
ここまで読んで頂き、ありがとうございました。
次回からは、『慎太郎のレッスン編』です。
なるべく早く済ませるつもりです。
それではまた次回、お会いしましょう。
ps.感想欄で励ましてくれた方々ありがとうございます。
とても励みになりました。
かなり前にいただいた感想も含め、未だ感想が返せていませんが、近いうちに返せればと思っております。
もう少々お待ちください。