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01 始まりの日

褐色の肌、頭には小さな一対の角を持つ少年がいた。

その少年は一匹の猫を連れて野山を駆けまわっている。

角のある虫の魔物に悪戦苦闘しながら、手製の小さなナイフで戦っていた。


その少年に両親はいなかった。物心ついた時からおらず、自給自足の生活を営んでいた。

一匹の相棒、灰色の子猫を従えてその日に食べる物を探しているところだった。

不意を突かれ、ざっくりと脇腹に刺さる虫の角は鮮血に染まっている。

意識が次第に混濁し、目の前が真っ暗になった。悲しそうな猫の鳴き声が遠くの方で聞こえている。

もはや彼の体は指一本動かない……。

これでようやく終わりだと目を閉じると、記憶の片隅にある懐かしい声が聞こえてきた。


「まだ終わりじゃない、約束したじゃないか」


一人の男が仰々しい玉座に鎮座していた。

その男は筋骨隆々の肉体を鈍く光らせ、頭からは一対の立派な角を生やしている。

大きな背には黒い大鷲のような羽を持ち、四肢の先端は岩かと勘違いさせるほどに図太い。

纏う気配は近づく者すべてに途方もない畏怖を与え、全てを屈服させる威圧感を放っている。


かの者が静かに目を覚ますと玉座の間をふと見回した。

時刻は真夜中だと窓から覗いている月明かりが知らせていた。

それから目に入るのは神々しくそびえ立つ柱だった。

均整の取れた間隔の柱がだだっ広い空間を支えまいと、じっとたたずんでいる。

床には真紅に染まった絨毯が玉座まで伸び、入り口には両開きの巨大な門があった。

ここは彼にとって慣れ親しんだ空間であることは確かだった。


「懐かしき我が家よ、私はまた駄目だったようだ」


くぐもった低い声がぽつりとこぼれた。

落胆の色を吐露するように大きなため息までついた。

息を吐く轟音のなんとすさまじいことか。


「またやりなおさねばならない、一体何度目になるだろうか…………」


立派な体躯には似つかわしくない態度を取っている者の名は、ニンブス=グラキエース【氷の嵐】と呼ばれていた。

名づけ親などはいない、いつしか周りの者がそう呼んでいた。

別名はいたって簡潔だ。『魔王』の二文字で構成され、その二文字が全てを物語っている。


「誰かおらんか!」


魔王は先ほどとは打って変わって、声に張りを持たせ、威厳を感じさせる風貌を前面に押し出した。

その声が響いて間もなく、どこからともなく隣に現れた小さな灰色の猫。

小さな猫は魔王が幼少の頃より、野山を駆け、敵を打ち滅ぼし、互いに高めあった存在だった。

もちろん普通の猫でなく、魔法猫と呼ばれる何千年もの時を駆ける灰色の猫だ。


「ミャ!」

「ラーウムか。すまない、起こしてしまったか」

「ミャミャ!」


首を横に振った魔法猫のラーウムは、ごろごろと喉を鳴らして不快ではないと知らせた。

魔法猫へ懐かしむように視線を送る魔王、おもむろに猫の頭を優しくなでて、じっと顔を見つめた。

ラーウムの右目は完全にふさがっており、その上には痛々しい傷痕が残っていた。

魔法猫は魔王のいつもと変わった様子にすぐに気が付いたようだ。

猫は不安そうに首をかしげてみせた。


「ふ、大丈夫だ。気にするな、お前は何時もそうやって私を助けようとしてくれるな」

「ミャー!」


当たり前だというように猫は鼻を鳴らした。

ふんす、ふんす、と得意げにも見える。


「すまないが少しばかり思いつく事があった。夜更けに悪いが大幹部連中を集めてくれるか?」

「ミャ」


猫は思念を集中させ、猫語で何か呪文のようなものを唱えた後、跡形もなく霧散した。

魔王はすぐに思考を切り替え、考えをまとめ始めた。

それからしばらくして魔法猫が黒い煙の中から魔王の隣に現れると、玉座の隣に静かに座って丸くなった。

魔王は何も聞かない、ただただじっと巨大な門が開かれるのを待った。

一人、二人と続々と集結する大幹部達。

やがて大幹部が総勢六名、全て集まると魔王の前にひざまずいた。


「我らを全て集めるとはいったい何事でしょうか」


魔王軍六大幹部の一人、雄牛の猛将タウラスロードが口火を切った。

幹部の中でただ一人、魔王にも引けを取らない巨躯を持ち、堂々と魔王の前に立った。

体中傷痕だらけでその中には真新しいものもある。

彼の名はドゥルボ、暴風の異名を取る牛の怪物タウラス族の族長である。


「ドゥルボよ、最も抵抗の強い第六大陸を見事に抑え込んでいる手腕、見事だ」

「はっ、ありがたきお言葉」

「他の者も完璧に担当する大陸をまとめ上げている事は聞き及んでいる。まずはその事に感謝を」


世界に広がる六つの大陸を束ねる魔王軍、その管理を任されているのがこの大幹部達だった。

魔王から課せられる無理難題も卒なくこなす優秀な者たちだ。

各地では人間との激しい領土争いが多発しており、小競り合いを含めると戦いの起こらない日はなかった。


「今日お前たちを集めたのは他でもない。終焉の日が判明した事を知らせるためだ」


魔王がそう口を開くと、大幹部達に緊張が走った。

また魔法猫もぴくりと耳を動かし、動揺を見せる。


「今からちょうど千年後、世界は終焉を迎える。恐ろしい軍団がこの星に飛来し、生きとし生ける者全てを焼き払うだろう」


大幹部達は驚きを隠せなかった。

どんな状況下でも思考を止めず、知略を尽くして戦ってきた彼ら大幹部が固まるほどの衝撃。

あっけにとられる大幹部の前で魔王は続けた。


「我々はこれまで人間たちと共存の道を歩んできた。小さな戦闘は起こるものの、我が魔物の軍団が常に勝利を収めることでお互いの共生を可能にした。だが、それではどうあがいても千年後の終焉の日に立ち向かう事は出来なかった。私たちだけでは力不足だったのだ」


魔王の言葉は闘争を常とし、誇りをかけて戦う魔物たちにとって耐えがたい屈辱とも取れた。

戦う前から敗北を告げられるなど、常勝無敗の軍団、魔王軍の大幹部にとって己のすべてを否定されるようなものだった。

苦虫をかみつぶしたような顔で、第五大陸を統括する女の悪魔が口を開いた。


「発言許可をお願いします」

「かまわん、申せ」


女の悪魔が立ち上がるとすさまじい形相で魔王を睨みつけた。

眉間にはしわが浮き上がって、静かに怒りの炎を燃え上がらせていた。

紫色の肌に豊満な体つき。背には黒い羽が生えており、肌の露出は非常に多い。

傷一つない体は妖艶で、見る者を魅了する力は十二分に備わっていた。

敵意を隠そうともしないその女悪魔の名はサピュルス。

サファイヤのような瞳で人々を魅了する風貌からそう呼ばれていた。


「お言葉ですがグラキエース閣下、悪しき人間どもを完璧に抑え込んでいる私達が力不足という点についてもう少し詳しい説明をお願いしますわ」

「今にも飛び掛かってきそうな魔力の高ぶりを感じる。全く心地よいほどに感情を隠さない女だ」

「閣下!」


サピュルスは更に一歩前に出て、返答を迫った。

その返答次第では、一戦も辞さないという構え、完全な戦闘態勢だった。


「何もお前たちを愚弄したわけではない。事実を述べたまでだ」

「それはどういうことですの?」

「サピュルスッ!! 閣下の前でなんと無礼なッ!! 立場を……わきまえんかぁッッ!?」


サピュルスの無礼な振る舞いにドゥルボが檄を飛ばした。

女悪魔は牛の怪物に一瞥だけくれて、また魔王に視線を送った。

魔王は軽く手を挙げてドゥルボを制すると口を開いた。


「私は何度もこの世界を繰り返している。千年後の結末はいつも同じだ。圧倒的な武力に対して我々は死に絶える。私は結末を変えようと今日この日からやり直すのだ。何度も、何度もだ」


魔王は噓偽りを入れる事ができない古代語で怒りを露わにしていた。魔王の宮殿が震え、空気が激しく振動する。

魔王が怒りを込めて放った古代語の持つ力に大地が共鳴していた。

魔王は思い出していた。同胞たちが無残にやられていく様を鮮明に思い出していた。

数回、数十回、数百回と千年もの時を繰り返し続け、破滅を繰り返した苦い思い出。

途方もない時間の中で殆どすべての事は忘れてしまっていたが、同胞達の凄惨な結末だけは脳裏に焼き付いて離れないのだ。


大幹部たちは皆、今の言葉が冗談ではなく真実なのだと悟った。

古代語では偽りの言葉を発することができない。もし、古代語で噓をつけば言葉の魔力を失い、金輪際魔法が使えなくなってしまう恐れもある危険な行為だった。

古代語を発する時には、どれほどの魔術師でも慎重にならなければならない。

もし、本人が噓をついているつもりはなくとも発した古代語が間違っていれば、どんな危険が降りかかるかもわからないからだ。


「それが真実だとして……我々は何をすべきですか?」


人間たちの抵抗が最も弱いとされる第一大陸を統括する大幹部、ゴブリンロードが口を開いた。

小柄ではあるものの、筋力は人間の比ではなく上級種族であるはずのオーガや、オークといった存在よりも力強く強靭な肉体をしている。

深い緑色の肌、頭には一角を光らせており、顔つきから知性が感じられる。

その者の名はドゥールム、堅いという異名を持つゴブリン史上最も強力だと言われている族長だ。

ゴブリンに対して、魔王は悪い笑みを浮かべて簡潔に答えた。




――――――人間を育て上げる。


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