8.メイド長、無双する。
「お嬢様、お待ちください!」
シアの叫び声を無視して、アリアは路地裏の道を駆け続けた。体力はそこまでないのか、既に息が上がっている。俺とシアはアリアの後を追いかけていた。
「おい、なんでアリアはあんなに必死になってこんなところを走ってんだ?」
「・・・・・・恐らくですが、路地裏から子供の鳴き声のようなものが聞こえました。お嬢様はそこに向かって走っているのだと思われます。お嬢様は悪魔族の魔人ですから、聴覚は優れていますしね」
「そんなことをして何の意味があるのやら・・・・・・」
「分かりきっていることでしょう?」
困りきっている領民をお嬢様は見捨てられないんですよ、とシアは言う。御人好しを通り越して、それは只の馬鹿だな、と俺は微かに嘲笑を刻んだ。
すると、目の前を走るアリアがいきなり立ち止まった。その表情は険しい。後続の俺とシアも立ち止まる。
「確か、ここの辺りで聞こえたはずなんだけど・・・・・・」
息も絶え絶えに回りを見渡すアリア。ここの路地は少し広めで、見渡しもよくなっている。しかし、アリアの言う声の主の姿は見当たらない。
「聞き間違えだったんじゃないか?」
「そんなはず、無いんだけど・・・・・・」
自信無さげにアリアは視線をさ迷わせる。すると、シアは小さく舌打ちをして前に進み、アリアの前に立った。
「?どうしたの?シア」
「・・・・・・お嬢様、お下がりください」
何がなんだか分かっていない様子のアリアを壁を背として後ろに下げつつ、シアは見えぬ気配を感じ取っていた。
(何です、この気配は・・・・・・複数。気配の殺し方から考えて、恐らく暗殺者。子供の声を使ったことからしてアリア様の性格を把握している・・・・・・つまり、アリア様に対抗する貴族が送ってきた暗殺者といったところでしょうか・・・・・・)
私はナーギという男へと視線を向ける。
(相手の技量にもよりますが、気配の殺し方からするに私一人でもお嬢様は守れそうです。ただ、彼がこの暗殺者達を手引きしたのなら、人質にとられる可能性もある。まあ、ここは助けを呼ばせて表向きだけでもお嬢様から距離を離させることが無難。まあ、一般人であれば巻き込まれてしまう可能性もある。ですが・・・・・・)
ナーギが一般人である可能性を考えて、一瞬躊躇するが、
(ですが、お嬢様を死なせるよりましです)
そう考え、
「そこのあなた!」
「え?俺?」
「はい。ここから街まで戻って衛兵署に行って、助けを呼んできてください!」
「でも、俺が助けを呼んだところで、信用されるか?」
「これを見せれば、すぐに駆け寄ってきます」
懐から紙を取り出し、ナーギへ放り投げた。ナーギが見ると、そこにはロスティクス伯爵家の紋章が描かれている。これが、身分証明になるだろう。しかし、これを悪用しようとしても無駄だ。これはあくまでも仮身分証明。本身分証明との違いは、これを使用する度、伯爵家がその身分を証明する必要があること。仮にこの男がその証明を悪用しようとしても、それに必ず伯爵家の身分承認が必要な以上、勝手なことはできない。
私はお嬢様に関わる他者を殆ど信用してはいない。ましてや、突然漂流し舞い込んできたナーギなど、信用できる筈もなかった。
「分かった」
それだけ言って、ナーギは街道に引き返していく。彼はこれから起こることなど想像もしていないのだろう・・・・・・彼が生き残れるかは、彼の技量次第だ。彼がただの一般人であるならば。
すると、路地の隙間を縫うようにして、黒い影がナーギを阻んだ。
「おおっとと・・・・・・!」
滑るようにして飛んできたナイフを、ナーギは尻餅をつきながらもなんとか避ける。
「ナーギ・・・・・・!」
「止まってください、お嬢様」
「でも、ナーギは・・・・・・!」
「彼を守るより、私はあなたの命を優先しなければなりません。あなたの命は、あなたの物だけではないのです」
後ろからナーギの身を案じるお嬢様の声が聞こえるが、私はその場から動かないように念を押した。そして、いつものようにお嬢様に幻惑の神霊術をかける。すると、黒い衣装を被り、ナイフを携えた人影達が私とお嬢様を半円状に取り囲む。これで、彼らに暗殺の意思があることは明らかになった。
「やはり、暗殺者、と言ったところでしょうか」
シアがそう呟いても、答える声は何もない。もしも取り逃がしてしまった場合、相手に情報が渡ってしまうからだ。何より、話すこと自体無駄な行為。しかし、そのことを分かっていながらもシアは悲しげに視線を落とさざるを得なかった。
「――――――――フッ!」
そのタイミングを狙って、暗殺者の一人が私に向けてナイフを突き出してくる。その動きは早く、正確。常人からすれば反応はできても避けることはかなわぬ速度だった。しかし、私からすれば愚の骨頂と言う他ない。
手を躍らせるとパンッと乾いた音を立てて暗殺者の手からナイフが弾け落ちる。暗殺者の目に、明らかな動揺が浮かんだ。
「暗殺者がまともに戦っては、何の意味があるのでしょう?」
その言葉の直後、体を大きくひねって回し蹴りを打ち込んだ。暗殺者の側頭部に激しい衝撃が走り、その意識を刈り取る。暗殺者の身体は数メートル吹き飛んだ後、壁に叩き付けられ、力なくへたり込んだ。ほかの暗殺者たちの間に、警戒の念が走った。やはり、三流ですね。
一介のメイドに返り討ちにされ、今さら抱いた警戒心。そしていとも容易く知れる彼らの気心。よくこれでアリア様を殺そうと思ったものだ。暗殺者たちは崩れた自陣を再び持ち直すと、暗殺者の一人が指示するように腕を私に向かって伸ばした。すると、襲撃のタイミングを暗殺者一人一人が微妙に遅らせつつ一斉に飛び掛かった。私は小さく嘆息を漏らす。
「メイド長をナメないでいただきたいですね」
ダガーを一本取り出し右手に構え、投げナイフを複数取り出し左手に構えた。瞬間、後方のお嬢様にぶつからないようバックステップを踏みつつ、投げナイフを一息で投げる。
「・・・・・・?」
しかし、それらのナイフは吸い込まれるように暗殺者達を通り抜け、後方の壁に突き刺さった。暗殺者達は足を止め、確認するようにお互いに見つめ合った後、ほくそ笑むようにシアに視線を戻し、再び襲いかかる。
顔を俯かせ、何度目か分からない嘆息を漏らす。
「全く、まさか私が外したと思っているのですか・・・・・・」
その言葉を聞いても、暗殺者達の足が止まることはない。しかし、彼らはここで止まるべきだった。紐を取り出し、それを引っ張る。直後ーーーーー。
「!?」
暗殺者たちの首や顔に多数の切り傷が浮かび上がった。思わずと言ったように顔を押さえる暗殺者たち。そのままタクトを振るように、指を回し――――。
私に襲いかかろうとした暗殺者達の首が軒並み飛んで、宙を舞った。
「・・・・・・?」
暗殺者達は何故か景色が一瞬で変わったことに驚いているのか、不思議そうに目を見開いていたが、眼下に頭部を無くした自分達の体を見つけると、何が起こったのか分からないような表情で絶命した。
「・・・・・・な」
指示を出していた暗殺者から思わずといったように声が漏れる。彼の、もしくは彼女の視界では、私の目の前の暗殺者達の首が突然飛んでいくという奇妙なことが起こったようにしか見えなかった。しかし、風を切るそれを視界に収め、後方を確認して、その正体を知る。
先程まで壁に刺さっていたはずのナイフが跡を残して消えていた。
「ルーティン家、暗具の1つ、〈殺取り〉」
ナイフは、左手を起点として風切り音を立てながら回っていた。回していた。私の指にあや取りのように結びつけられた糸を通して、ヌンチャクのようにナイフを回している。
「・・・・・・!」
開いた口が塞がらない。今の暗殺者の心情を表すならば、その言葉がもっとも当てはまるだろう。そのシアの得物に暗殺者は驚愕していた。今シアが涼しい顔で回しているナイフは武器のカテゴリで言えば分銅鎖。鎖鎌の類いの武器だ。素人が見たのなら簡単なことのように見えるのかもしれないが、その使用難易度は尋常ではない。この武器は一歩間違えれば、少しの間違いだけで使用者にも危害を及ぼす。
ましてや、シアが今回しているそれは一つ、二つ程度の数ではない。暗殺者が見る限り、シアが回しているナイフの数は、視認できないナイフを除いて、5本以上はある。
「あなたは、あなた達はアリア様に歯向かうべきではなかった」
何やら考えている暗殺者の思考を置いて、私は滔々と語る。流れる水のようにその言葉は流暢である。
「覚えておきなさい。アリア様を殺すのなら、我ら全てを敵に回すと」
その言葉の直後、ヒュッと風を切る音がして、暗殺者の視界はボトリと音を立てて地面に覆われた。首を切られたのだと、今さらになって気づく。瞬間、リモコンで電源を落とされたテレビのように意識は暗転していた。
宙に浮かぶ数々のナイフを手元に収めた直後、全ての暗殺者は絶命する。
「・・・・・・・・・・・・」
後には、無傷でへたり込んでいるナーギを静かに、鋭く見つめている私だけが残った。