3.メイド長、嘆息する。
ナーギと会話した後、部屋から立ち去ったシアは廊下を歩いていた。向かう先はこの土地の領主であり、シアの唯一の主――――アリアのいる部屋だ。この夕時、アリアは執務室で政務に励んでいることが多い。
このアリアの治める商業都市、ガルネクはチャルチアーク王国東部に位置するロスティクス伯爵領の中でも中央の位置に存在している。ゴリウス=ロスティクス伯爵――――アリアの父に当たる先代の伯爵が没し、アリアがその地位を継いでからというもの、アリアは15歳の齢にして、政務に励むことが多くなった。
勿論15のアリアがすべての政務を完遂できるはずもなく、殆どは他の者に任せてはいるが、それでも夕時を過ぎて1~2時間ほどは政務に励んでいる。
シアはゆっくりとドアをノックした。
「アリア様、入ってもよろしいでしょうか」
「入っていいわよ」
許可を得たので、ドアノブを捻る。
「失礼します」
「お疲れさま。彼の具合はどうだった?」
中に入ると、アリアが労いの言葉をかけ、笑顔で迎え入れてくれた。紫色に光るセミロングの髪と、頭に被っているベレー帽がかわいらしい美少女である。
彼――――ナーギ、と言ったか。彼の様子を案じている様に、アリアはその優しさから数多くの使用人、領民から慕われている。中には、信者じみた者もいるくらいだ。アリアには多くの信頼が寄せられてはいるが、同時に政治的思惑を超えた危険も常に纏っている。
無論、それらを排除するのがシア達使用人の仕事であるのだが・・・・・・。
「特に、異常は見当たりませんでした。傷のほうも回復しておりますし、このまま安静にしていれば問題ないかと」
「そう、良かったわ。という事は、彼は今夜ここに泊まることになるのよね?」
「はい。彼にもそのように言っておきました」
「仕事が早いわね。さすがよ」
「恐縮です」
満面の笑みを浮かべてナーギの無事を喜ぶアリアを見て、シアは内心ため息を吐いた。確かにアリアは優しいが、それが仇となる事案が少ないわけではない。ナーギとかいう少年?もロスティクス伯爵家に取り入ろうと、もしくはアリア自身の命を狙う人物であってもおかしくはないのだ。アリアは蝶よ花よと育てられてきた弊害からか、そういう部分に疎い傾向があった。
もしくは、単に人を見捨てることのできない御人好しか。
まあ、シアもアリアのそういうところを愛し・・・・・・気に入っている部分がある。そもそも・・・・・・いや、ここでこれを言うべきではないだろう。シアはある事を思い出し、自嘲的に口元を歪めた。
「じゃあ私、今日彼の部屋で夕食を食べるわよ」
「!?」
アリアの突然の宣言にシアの表情が引きつった。さすがにそれはないだろう、と。警戒心がなさすぎる、と。共に夕食を食すともなれば、ナーギにいつ害を加えられてもおかしくはない。
「それは止めて下さい。いくら何でも、危険すぎます。私でもそれほどの距離ともなれば、相手の技量によってはあなたを守れません。それに、貴方がもし亡くなられたらどうするおつもりですか」
「その時はその時よ。私が死んでも、ローレアに任せればいいし」
「しかし、妹様は・・・・・・!」
シアは声を荒げる。アリアの妹がこの土地を治めても、治世は今のように安定はしないだろう。はっきり言って、今の伯爵領の政務が正常に回っているのはアリアの人徳による部分が大きい。アリアが善政者であるならば、アリアの妹――――ローレアは狂王と言った言葉が当てはまるからだ。
「あの子はいい子よ。きっと大丈夫だろうし」
しかし、アリアの誰でも信用するその性格が逆に傷となっている。加えて、アリアはとても頑固だ。こうなったら、アリアはシアの言う事に耳は貸しても腰は上げないだろう。シアはアリアに仕えたこの十数年間で、アリアの性格は殆ど汲み取れていると自負していた。
だから、シアはため息を吐いて、
「・・・・・・分かりました。では、夕食の準備を」
了承した。ナーギが怪しい動きを見せた瞬間、排除することを心に誓って・・・・・・。
「うん。ありがとう」
アリアは微笑み、シアは嘆息する。残念ながら、これこそがロスティクス家の日常だった。アリアは席を立ち、執務室を去る。その背中を見送った後、遅れてシアは執務室を出るのだった。