5.ガルネク防衛戦、開幕する。
明朝、未だ日は上っていないが、空は蒼く染まり、町がうっすらと見え始めた頃―――――――。
「ナーギ、起きなさい!」
シアは俺の寝室を訪れ、声をかけて起こそうとしていた。
「···あー。はいはい。起きる起きる」
シアの声がかなり焦燥した様子だったので、もう少し眠りたかったが俺は直ぐに目覚める。適当な返事を返し、ゆっくりと起き上がる。すると、シアは俺の胸ぐらを掴み、顔を近づけた。お、おう···怖いな。
「あなたの初仕事です。しっかりと聞きなさい」
「あ、ああ···何かあったのか?」
シアの表情は真剣そのものだったので、ただ事ではなさそうだ。
「ゼブライナ公国が攻めてきました」
「えっと···すまん。非常事態ってのは分かるんだが、詳しく教えてくれないか?」
「···っ、もしやとは思いますが、あなた先の戦争についても知らないのですか?」
シアの問いに頷くと、シアは苛立ったように表情を歪める。しかし、途端に心を落ち着けると―――――――。
「···とにかく、今は時間がありません。あなたはお嬢様の元に向かいなさい。そこまでは私も共にいきます。事情については道中で」
「···分かった」
シアは尚も真剣な表情で俺の顔をじっと見つめて指示を出す。すると、俺は今更になって外で都市の緊急事態を知らせる鐘の音が国境の方角から響いていることに気がついた。そして、少し遅れて――――――。
地を揺るがすほどの爆裂音が、高らかに響き渡った。
◇ ◇ ◇
そして、時は少し遡る。チャルチアーク王国とゼブライナ公国の国境に設置された北の防衛線にて。
「ふおおおああああ」
一人の衛兵が、大きな欠伸をしていた。
「おい、ちゃんと仮眠を取ったのか?しっかりしろ。これで何かを見逃したりしたら大変なことになるかもしれないんだぞ」
一緒に見張りについている上司の騎士が、厳しい声音で兵士を注意する。ただでさえ緊迫状態にある隣国との国境線だ。ガルネクは不足の事態を考慮し、常に警戒を強化している。
加えて、今日ガルネクの代官であるアリアの視察、指示もあるということで普段よりも勤務時間が多く、警備している兵士や騎士の数も増やされている。特に、見渡しの悪い森林に隣接している門は大勢の兵士が配置されている。
また国境線には外周部を覆うように石造の壁が三重で利用されている。
「はい、大丈夫です」
欠伸をした兵士は気を引き締め直して頷いた。ガルネクに衛兵として仕事に来ている彼には、共に来た妻と娘が待っている。この仕事に責任感は感じているのだろう。その面持ちは真剣だった。すると―――――――。
「···?なあ、何かあそこ揺れていないか?」
「···何?」
突然、見張り台に立つ別の兵士が、遠くを指差して騎士に問いかける。
「···?どこだ?」
傍に立つ騎士が言った。門には篝火が焚かれているが、日も上っていない時間帯のためにまだ辺りは薄暗く、霧も出ているため、視界は非常に悪い。
「···確かに、揺れているように見えるんだな?」
「はい」
騎士の言葉に、兵士が頷く。
「よし、彼処一帯をスキャンしろ。【光学偽装】の神霊術が施されているかもしれない」
と、騎士は頷き、敵の可能性を視野に入れつつ言う。ここは国境。休戦協定を結んでいるとはいえ、いつ敵が襲ってきても仕方がないのだ。すると――――――――。
「···!?やっぱりいやがった!」
スキャンするより先に、【光学偽装】の神霊術が剥がれる。そこには、ゼブライナ公国の兵士とおぼしき人影が数百人姿を現していた。約三割が神霊術師で構成され、さらに神霊兵器である【神霊砲】まで用意されている。
見れば、その集団は複数国境を囲むように複数展開されていた。
【神霊砲】が眩い光を放ち始める。神霊力をチャージしているのだ。国境線警備の責任者である騎士の判断は早かった。
「···っ!【神霊砲】チャージ開始!公国の兵士だ!鐘を鳴らせ!」
騎士は叫び、兵士、騎士達に命令した。
「は、はい!」
命令された兵士は慌てて返事をすると、防壁備え付けられた鐘を一定のリズムで叩き始めた。鐘の音が静寂な都市に向けて強く響き渡る。すると、神霊力のチャージを終えた公国の【神霊砲】が発射された。虹色の光の帯が放物線上に伸び、防壁に突き刺さる。同時に、公国の兵士達が防壁に向かってなだれ込んでくる。
「っ、各員に通達!これよりガルネクの防衛戦に入る!神霊術師は【神霊砲】のチャージに専念、敵軍を蹴散らせ!衛兵、騎士達は接近してくる公国の兵士達を迎え撃つ!都市の中には絶対に入れるな!」
上司の騎士は最悪の状況を想定していたのか、動じることなく的確に兵士達に指示を与える。
「はっ!」
と、兵士達も力強く頷いた。しかし――――――――、
「キシャァァァアアアアア!」
と、獰猛な使い魔の叫びが奥から高らかに響き渡る。
「っ!?」
血気盛んに奮起していた兵士達も、その雄叫びに思わず体を震わせた。
「う、嘘だろ···」
上司の騎士は嫌な予感を感じ、顔をひきつらせる。彼の想定していた最悪の事態に、さらに最悪な事態があった。それは、『傲慢の大罪姫』。ゼブライナ公国の最高戦力の一人として数えられる公国の第二王女である。
そして、その使い魔―――――――――、カオスワイバーン。
「く、来るぞ!」
ややあって、ドン、ドンと地響きがするのが分かる。霧の中の影が濃くなっていき、騎士の緊張は高鳴った。すると――――――、
「キシャァ!」
霧に包まれた土地の奥から、カオスワイバーンが姿を現す。鋼鉄のように硬い皮膚、空を覆うほどの大きな翼。そして、こちらを見つめる紅い瞳。防壁になだれ込んでいた兵士達は道を開けていた。
「な、何て大きさだ···!」
騎士の立つ防壁は地上十メートル程はある。しかし、そこから見下ろしてなお、カオスワイバーンは大きかった。その身長は優に五メートルは超えるだろう。そんなカオスワイバーンが、口腔を大きく開き、首を引いている。
口の中では、紅い炎が燃え上がっていた。
「っ···!ブレスだ!退避しろ!」
と、騎士が叫んだ瞬間にはカオスワイバーンが口を開いていた。防壁に大砲のようなブレスが打ち込まれ、防壁の一部が崩れ、逃げ遅れた兵士達は消し炭になる。
「ぐっ···【神霊砲】標準を変更!カオスワイバーンを狙え!」
おそらく、あれにダメージが通るのは【神霊砲】ぐらいのものだろう。そう考えて騎士は指示を出す。しかし、それは明らかに殲滅力の低下を表していた。
「キシャァ」
カオスワイバーンは自身が破壊した防壁の一部を誇らしげに眺めながら、口を歪め、笑みとも言えるような表情を浮かべていた。そんなカオスワイバーンを―――――。
「まあ、こんなもんだろ。後はカオスワイバーンに任せて、私たちは都市に侵入する。いいな?」
「はいはい。ええですよ、王女様」
『傲慢の大罪姫』ゼノビアは公国の兵士達に紛れて、侵攻を進めていた。自身のお抱え冒険者であるルーレがやれやれと言った風にゼノビアを追いかける。
(別に問題はないな。特に神霊力に強大な反応はなかったし、強いて言えばアイツぐらいだろうな。まあ、アイツはルーレに当てさせるとして···よし、これでいいだろ)
そんなことを考えながら、ゼノビアは素早く都市への侵入を果たした。




