4.伯爵令嬢、休憩する。
そして、昼過ぎ。アリアは俺とシア、そして数人の兵士を引き連れてロスティクス伯爵領の領都、ガルネクを訪れていた。
ロスティクス伯爵領、ガルネク······、チャルチアーク王国の東部に位置し、隣国ゼブライナ公国の国境線沿いに置かれたその都市は、先の二ヶ国間戦争で、チャルチアーク王国がゼブライナ公国から奪った領土の都市を基礎として作られた地方都市である。
人口は八万人。地方都市としては中堅以上の規模を誇り、チャルチアーク王国の戦略上重要な地点として機能している。
休戦協定を結んでいるとはいえ、緊迫した関係にあるゼブライナ公国の国境に展開された都市ではあるが、国境付近であるが故に国境警備などの仕事に当てられた王国騎士団、神霊術師、衛兵、そしてその家族が移り住み、人口は他の地方都市と比べても多い。
加えて、その人口に寄ってきた商人なども加わり、王国の中でも上位に位置するほどの発展を見せている都市······らしい。
俺達は馬車に乗って街道を進んでいた。領民達は、馬車の上のアリアを見つけると、手を振り、アリアに感謝の言葉を投げ掛ける。
「アリア様ー!御政務お疲れさまですー!」
「アリア様!いつもありがとうございます」
「うわぁ······久しぶりのアリア様だよぉ···」
投げ掛けられる言葉の数々に、アリアは片手で振り返しながら、真摯に『ありがとう』や、『あなた達もお疲れ様』といった言葉を返していく。アリアに言葉を返された領民は嬉しそうに笑顔を見せる者、微笑ましそうに顔を綻ばせる者、感極まったようにアリアを褒め称える者など様々だったが、何れもその表情の根本はアリアへの感謝···なのか?
「これ、無理矢理言わされてるとかじゃないよな···?」
狂ったようにアリアに歓声を上げている領民たちを見て、困惑気味にアリアの左に控えるシアに尋ねる。俺はアリアの向かい側の席に腰を下ろしていた。兵士達は馬車の回りを囲うように守っている。
アリアに限ってそんなことはないと思うが、何せ領民の様子がひどい。何だ···?普通、民というのは事を荒立てないようにすっと控えておくもんじゃないのか?黙って頭を下げて、王が通りすぎるのを見届ける···とかじゃないのか?
かつての俺の国民とアリアの領民とのギャップに大きな差を感じ、これは何かの間違いなのではないか、と思わずそう尋ねたわけなのだが···。
「は?」
と、シアは心底不愉快そうな顔でこちらを見てくる。下手な言葉で罵倒されるよりも、より心に刺さる言葉だった。
「あなた、本気で言ってます?彼ら領民がこれほどお嬢様に感謝しているのは、お嬢様の人徳と善政あってこそ。お嬢様ご自身の努力によって得た結果です。何も知らないあなたが、口を挟んで良いとでもお思いですか?」
「ああ···」
シアに相談したのが間違いだった。そういえば一番アリアに心酔してるのこいつだわ。
俺は諦めの言葉を漏らし、今更なことを思い出す。まあ、アリアのことだから善政中の善政でも敷いてるんだろう。
と、俺が思っている内に人がある程度捌けたのか、アリアの馬車の回りには人は少なくなっていた。
「ね、ちょっと休憩しましょう。お腹も少し空いたし。美味しいものでも食べましょう」
アリアが俺とシアを見やり、人がいないところを見計らって馬車を止める。俺の腕を引っ張り、馬車から降りた。今にも駆け出しそうな様子のアリアを見て苦笑しながら、俺はシアの方を見た。シアはアリアに引っ張られる俺を羨ましそうに恨めしそうに見つめていたが、俺の視線を受けるとはっとして、考える素振りを見せたあと、程なくして頷いた。
了承は得た。
「······そうだな。行くか、結構歩いたし」
「うん!」
ふっと笑って、アリアに引っ張られるがままに連れられていく。こいつ、まだ随分と子供っぽいところがあるんだな。
「あっ···!ちょっと、お待ちください!」
シアが慌てて隊列から抜け出したアリアと俺を追う。同じく慌てた様子の兵士たちが俺たちを追いかけてきた。それから、時間は瞬く間に過ぎていき――――――――――。
俺達が色々と食べ歩きしているうちに、夜になっていた。今は近くの宿泊施設(勿論一般の宿とは比べ物にならないほどに高級)に入り、紅茶を飲みながら休憩しているところである。二階のバルコニーで円形のテーブルにアリアが座る。その向かい側に俺も座ろうとするが、首根っこをシアに掴まれた。
「従者ともあろうものが主人と共に座ってどうするんですか」
と、咎めるようにシアに言われ、仕方ないかと首肯して席を立とうとする。すると――――。
「あら、私は別に構わないのだけれど」
案の定と言うか、アリアがシアを見遣って特に気にしてもいない態度を示した。何と言うか、器の大きい令嬢である。
「あなたも一緒に座ったら?」
「···お気遣いいただきありがとうございます。ですが、私はお嬢様のメイド。そのような恐れ多いことはできません」
と、シアは一瞬躊躇いを見せたが、キッパリと断った。俺に対する嫌みも含めてのことだろう。アリアは苦笑いをつくる。
「それにしても随分食べたな···」
「う、うん。楽しかったけど、流石に食べすぎたかも···」
話の流れを変えようと、腹をさすりながら言うと、アリアがはっとして項垂れるように首肯した。特に、一時間ほど前に食べたクレープはいただけなかった。果物やクリームがたっぷりと乗ったそのクレープは、明らかに量が多いとわかっていながらも食べてしまったがために、お腹のかなりの要領が埋まってしまった。
ちなみに、それはシアも例外ではない。
「うう、ダイエットしなきゃかしら···」
「お前、あんまり運動しないもんな」
と、アリアは後悔に埋もれたようにテーブルに突っ伏す。
「シアは良いわよねぇ···いつも動いてるから、こういうことは気にしなくても良いでしょう?」
アリアはむぅっと唇を尖らせ、シアを見やった。
「え、ええっと···そうですね」
若干ひきつった表情で答えるシア。その目線が直前まで彼女のお腹に向けられていたのを、俺は見逃さない。
「そんな言ってやるな、アリア。シアもめっちゃ気にしてるんだぞ?」
「!?ば、馬鹿なことを言わないでください!」
俺が指摘すると、シアは声を荒げた。今朝のこともそうだったが、こいつにも羞恥心なんてものがあるんだな、と俺は密かに思った。すると―――――――、
「ふふ、二人とも仲が良いのね」
「お嬢様···」
アリアが微笑ましそうにこちらを見ていることに気がつくと、シアは毒気が抜けたように黙り込む。俺の方はと言うと、アリアの言葉を反芻していた。仲良し···仲良し、ねぇ。多分、違うな。と苦笑していると、
「あ、そうだ。今日は国境の視察に行くとか言ってなかったか?」
今更になって今日の予定を思い出した。アリアが楽しそうにあっちこっち行くものだから、すっかり忘れていた。アリアは思い出したのか、あっ!という顔をしている。え、これ不味いんじゃないか···?
と、俺が心配していると、
「なーんてね。実は、あなたには言ってなかったけど、国境視察の時間は三日用意してあるの」
「三日?」
アリアは冗談めかして話し始める。その三日と言う滞在期間に、俺は疑問符を浮かべざるを得なかった。ここはアリアの治める都市であるガルネク、国境付近ともなればそこそこ遠いとはいえ、視察には一日もかからない。なのに何故三日も取っているんだ···?···あっ。
「お前···」
「ふふっ、たまにはお休みが必要でしょう?」
呆れた視線をアリアに送ると、アリアは悪戯っぽく笑ってウインクした。要するに、アリアは余分にとった時間で休息を取ろうとしているのである。不真面目と言うか、ちゃっかりしていると言うか···。まあ、まともな政治をしているだけまだマシなのかもしれない。俺はそう思った。すると――――――。
「どうやら、暗くなってきたようですね」
と、シアが言った。アリアは僅かに思案し···。
「まだ時間はあるし、もう少し休みましょうか」
微笑して、休憩時間の延長を決めた。




