54話 思い続けた願い
暖かいお湯に入るというのは人生で初めての経験だった。
いつも体を洗う時は川から汲んできた水で簡単にすませてきたのでそれが当たり前とばかりに思ってきた。
世の中には暖かいお湯で体を洗い、そのお湯を湯船なるお湯をためる場所にためてゆっくりと浸かる文化がある地域、特に北であると言うではないか。
それはお風呂と呼ばれ、北の地域に住む人々にとって無くてはならないものらしい。
まあ確かに、年中寒い気候の地域で生活している彼らにとって冷たい水で体を洗えというのは酷な話かもしれない。
だが、俺はにわかにこの話が信じられなかった。わざわざ水を温めるという手間をかけて体を洗う必要があるのかと、別に石鹸なんていう高価な物を使って体を洗うわけではあるまいしすぐに終わるのだから水で十分だろうと思っていた。
しかし、そんな浅はかな俺の考えが間違いだと実際にお風呂というものを体験してみてよくわかった。
「……極楽だ」
これはそうまさに天国とでも言うべき気持ちよさ。
全身が一気に暖かいお湯に包まれることによって、体が芯から温まっていき不思議と心も穏やかになっていく。いつまでも入っていたいと思ってしまうほどにお風呂は気持ちがよかった。
しかも今俺が入っているお風呂はただのお風呂ではなく、王族などの身分の高い人間しか入ることの許されていない温泉という珍しい物なのだ。
この温泉とは地中から自然と湧き出したお湯のことで、その自然から湧き出たお湯をお風呂にしたものらしい。
この温泉がなかなか稀少度が高いらしく俺のような平民が一生かかってもおめにできるものでは無いのだがどうしてか今俺はその温泉にどっぷりと浸かっていた、しかも外で。
「これも全部、魔王のおかげだなー」
禍々しい空を見上げながらボヤく。
最初は入ることを馬鹿にしていたのだがすぐに温泉の魅力に取り憑かれ、魔王が作業をしている間暇さえあれば温泉に入っていた。
そんな俺を見てリュミールからは、「そのうちしわくちゃにふやけても知らないぞ」と呆れられる始末。
それまでに俺はこの温泉に夢中だった。
「はあ、今日も最高に気持ちがいい」
かれこれ今日2度目の温泉に浸かりながら、これで外の景色も綺麗ならば良かったのにと思う。
魔界領のこの殺風景というか禍々しい景色はやはり性にあわない。
あれから六日。
約束の五日を過ぎたが魔王はまだ作業をしている部屋から出てきてなかった。
ここまで来れば別に急かすつもりは無いのだが、やはり気になる。
何かあったのだろうか?
「あ! やっぱりここにいた」
そんなことを考えていると頭上から声が聞こえてくる。
「どうしたんだよネメア?」
上の方を見るとそこには呆れた顔をしたネメアがこちらを見ていた。
「どうしたじゃないよ。魔王様がお呼びだ」
「っ!! できたのか?」
「うん」
どうやらネメアはわざわざ俺を呼びに来てくれたらしい。
「わかった。すぐに行く」
ひとつ頷いて、ネメアが温泉からいなくなるのを待つ。
「……………何してるのよ、温泉が気持ちいいのはわかるけど早くあがってよ」
しかし、ネメアは何故かその場から立ち去ろうとせず律儀に俺が温泉からあがるのを待っている。
「いや、ネメアがいると上がれないんだけど……」
流石に悪魔といえど自分の裸を見られるのは恥ずかしい。しかも今は隠す布もないので尚更だ。
「何恥ずかしがってるのよ? 別にレイルの裸なんて見ても気にしないよ」
「ネメアが気にしてなくても俺が気にしてるから先に行っててくれない?」
「別にレイルの小さなアソコなんて見ても気にしないのに………」
いまいち納得のいかない顔でその場を立ち去りながら小さく呟く。
「おい! 見てもないくせに小さいとか言うな!!」
仮にも女の子だろうに、何故そんなに無神経ことを言えるのだろうか。
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いつもの服に着替えて先程ののんびりとした雰囲気から一転、俺は緊張していた。
この旅の目的はアニスを治すことだったが、いざそれが叶うとなると緊張の一つや二つしてくる。
「…………」
アニスがいるはずの部屋の扉の前に立ち止まる。
「おいおいなんだよ、緊張してるのか?」
ここまで一緒に来たリュミールがおちょくって来る。
「……当たり前だろ。これでしない方がおかしい」
「まあわからなくはないがね。君がここまで辿り着くまでの苦しみを一番近くで見てきたのは私だからね」
リュミールは俺の手を小さな両手で強く握ってくる
「それでも今の君は自信を持って彼女を迎えてあげるべきだ、そんな弱気な顔を見たら彼女も心配してしまう。安心しろ私もついている何も怖がることなんてない、胸を張るんだ!」
背中を思いっきり叩かれて喝を入れられる。
「リュミール……」
どうやらいつの間にかリュミールに心配されるくらいに自分は臆病になっていたらしい。
「ごめんリュミール。ちょっとここに来て怖くなってた。あの時のことを何か責められるんじゃないかとか……。でもそうだよなここまで来たら行くとこまで行くしかないよな」
いつまで経っても自分はまだまだだと思う。
「なに気にすることはない。目一杯、再会を喜ぶといいさ、今回ばかりは邪魔者は静かにしていよう」
最後にそう言って精霊は精霊石の中に入ってく。
「ありがとう」
一言礼を言って、力強く目の前の扉を押す。
「あ………………」
どれほどこの時を待ち望んでいたことだろうか。彼女に再会したらどんな言葉をかけようかずっと考えていたのだが、つい目の前にすると言葉が見つからない。
「………マス、ター?」
少女の姿は初めて森であった時と全く変わっていなかった。
長い銀髪に、透き通る様な水色の瞳。白くキメ細やかな肌を輝かせるように黒いワンピースに身を包んだ少女がそこに立っていた。
「………………アニス」
あの時、ボロボロになりながら自分を守ってくれた少女は確かにそこに立っていた。
「アニス、あの時は……!!」
あの時のことを謝らなければ。
俺はすぐに彼女に謝ろうとしたが……。
「マスター!!」
すぐに少女に泣きながら抱きつかれてその言葉も途中で消え去る。
「な!!?」
突然の出来事に混乱する。
さっき、しっかりと覚悟を決めたはずなのにこれは予想外である。
まって、今何がどうなってこうなっているの?
女の子に自分の胸で泣きつかれ、それをどうすればいいのかわからず、わなわなとモタつく。
これは抱き返していいのだろうか!?
いやしかしいきなりそんなことをしてはなんというかいけないような!?
なんとも情けない。頭の中でなんとか状況を整理しようとするがてんやわんや。収拾がつかなくなっていた。
"はあ全く、とことん君はヘタレだな。しっかりとしろ"
そこに精霊の馬鹿にした声が聞こえてきて正気に戻る。よく見てみるとアニスの体は泣きながら震えていた。
「ごめんアニス、遅くなった」
ゆっくりと優しく彼女を抱きしめて謝る。
「ますたぁ!!! またこうしてお会いできるとは私……私……これは、夢なんでしょうか?」
泣きながらさらに強く本当のことかどうか確かめるようにアニスは身を寄せてくる。
「全部本当だ。夢じゃないよ……」
「うぅぅ………ますたぁ、私、本当にもう会えないと……なんのお役にも立てないままいなくなるのかと………」
「何言ってるんだよ、アニスは役立たずじゃない。俺がそれを証明するって約束したじゃないか」
「っ!! ますたぁ、ますたぁぁぁ!!!」
アニスは服がしわくちゃになるぐらいに服を掴む
「俺の方こそあんな酷いことして、アニスになんて言えばいいか……。謝るだけじゃ許してもらえないのはわかってるけど………」
そうだ、あんな酷い別れ方をして許して貰える資格なんてないのだ。
今こうして再開することさえも………。
「何を仰るんですか! マスターは何も悪くありません、悪いのは未熟だった私なのです!!!」
アニスは顔を上げて声を大にして言う。
「いや、あれは俺が……」
「いいえ、私です!!」
「いや俺が」
「私です!!」
前はよくこんなどっちが悪いか、決着のつかないやり取りしたものだ。
「……懐かしいな」
「はい」
何だかこんな不毛なやり取りも懐かしく感じられて俺とアニスは自然と笑みが零れてくる。
「これじゃあ埒が明かないから今回は両成敗、どっちも悪いってことにしよう。いいか?」
「はい、異論はありません」
二人して納得し笑い合う。
俺はやっと、アニスと再会を果たした。
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