六、復活
グスッ。グスグス。
ひとしきり、これまでの話を終え、目を伏せる豪乃を前に、私たち三人は、ただただ泣くしかなかった。
こんな悲しい話、実際にあるのだろうかと。
ヒックヒック。
紀子に至っては、小さな子供がするようにしゃくりあげている。
「・・・」
私たちはつらい思いをしてきた二人に、掛けてあげる言葉さえ見つけられなかった。
しかし、そんな私たちを気にする風でもなく口を開く者がいた。樹里だ。
「なんだなんだ、お前らは。別に私らはお前らに泣いてほしいわけじゃねえよ」
少し間を置き、私たちに言い聞かせるように樹里は言葉を続ける。
「お前らには本当のことを知ってて欲しかっただけだ」
それに豪乃も同調する。
「そうね。確かに私が今話したことは、実際にあった出来事。だけど、ただそれだけ」
淡々と、そう言葉を紡ぐ豪乃。
私たちは、そんな豪乃と樹里の真意を測りかねていた。
そんな私たちを前に、言葉を続ける豪乃。
「ずっと前に、野球の練習着を身に着けた女の子が走ってるところをこの学園で目にしたの。それから、場所を変えてはトレーニングを続けてる女の子たちがいたって事も耳にしました。私もそんな彼女たちに会ってみたかったの。でも、それすら偽りだったらと思うと、とても怖かった」
そこまで話して、豪乃は口をつぐんだ。
それに呼応するように今度は樹里が口を開いた。
「けど、俺らは会えた。そんなお前らに。ここで野球をやりたいって思ってくれるお前らにな。それだけで充分だ」
・・・何だろ。二人の口調に違和感を感じる。私は二人の言葉を遮り、口を開いた。
「ちょっと待ってください。二人とも、既に諦めてませんか?私たちに後を託そうとか思ってませんか?」
私のその言葉に樹里が言い返す。
「そんな大仰しい話じゃねえよ。けどな、私らにはこの学園で野球ができる時間がほとんど残ってねえんだよ」
バン!
今まで黙って話を聞いていた鷹乃が机を叩いて、跳ねるように立ち上がった。
「樹里先輩!それを諦めてるっていうんです。」
それを聞いて紀子も鷹乃に加勢する。
「それこそ負け犬じゃないですか?」
おいおい紀子、言葉を選びなさい。
そんな二人に、遅ればせながら私も加わる。
「それでも良いじゃないですか。完全に時間が無くなったわけじゃないんだから。まだ、時間はあります。少しでも良いから私たちを鍛えてください。私たちと一緒に野球をしてください」
それに、私は見ていたもんね。
「昨日、私に飲み物くれたじゃないですか。その時に樹里先輩の手にマメが出来てるのを見たんですよね。そう言いつつも、毎日バットとか振ってたんじゃないんですか?」
私のその言葉に、樹里は顔を真っ赤にさせながら、慌てて両手をセーラーのポケットに突っ込んだ。
図星じゃん。分かりやすい反応、有難うございます。
「くすくすくす」
今までの成り行きを眺めていた豪乃が口を押えて笑い出した。
そんな豪乃に四人の視線が集まる。
豪乃はこれまでと打って変わって、晴れやかな表情をして私たちに言葉を紡いだ。
「樹里ちゃん、私たちの負けよ。今まで、誰も応えてくれなかった私たちに、逆にこの娘たちは声を上げてくれた。なら、私たちはその声に応えるしかないんじゃないかしら。それに私も見ましたよ。誰にも見られないように、辺りが寝静まってからバットを黙々と振っている樹里ちゃんを」
そこまで話して、また豪乃から笑みが零れる。
「くすくすくす」
それに樹里は観念したのか不貞腐れながら吐き捨てた。
「ちぇっ、お前はどっちの味方なんだよ」
さっきまでの威勢はどこへやら。樹里のあまりの萎れっぷりに、豪乃に続き私たちも可笑しくなった。
「アハハハハハ」
みんなで笑いあう。新生やしろ純真学園野球部の再始動だ!
私たちは盛り上がった勢いで、これからの練習計画をみんなで作ることにした。
今日は帰宅の時間が何時になっても構わない。そう思った私たちは、自分らの荷物をまとめて、生徒会室に再集合した。
まずは豪乃の計らいで、野球部の存在を生徒会に通してくれることになった。
それにより、今まで一人で豪乃が守ってきた野球グラウンドを、私たちは使うことが出来ることになる。
これで、ボールを使った練習も私たちには可能とるのだ。本当にうれしい!
ただ、使える広さは一般的にいうところの内野フィールドくらいでしかないのだけれど・・・。
でも、やっとグラウンドに立てる。私は深い感慨を覚えた。
しかし、ちょっと悩ましい問題は残っていて、その承認も条件付きであるということだ。樹里が言った通り、今の野球部は部員が不足している。部としてある程度の成果を一定期間内に上げないと、生徒会の承認も無効化してしまうのだ。
でも、今はそんな細かいことはどうでもいい。今はとにかくイケイケだ。
練習を再開するにあたり、私は一番の問題を提起した。
「道具がありません。個人の道具はともかく、ボールとかバットとか・・・」
「これだけしかないです」
私に合わせるように、紀子が、私たちが何とか揃えた硬式ボールとバットの一式を長机の上に取り出した。
「お前らが自分で買ったのか」
それを見て驚く樹里。
「へぇ~」と感嘆のため息まで漏らしてみせる。
「他にも、ベースやプロテクターとか、それに・・・」
鷹乃が不足しているものを順に並べ立てようとするものの、それを遮るように豪乃が口を開いた。
「大丈夫です。私が何とかします」
自信満々な豪乃。豪乃も気分が良いようだ。
でも、各部の予算取りはもう終わってるはずじゃ・・・。
私らは当然とも言える疑問を豪乃に投げかけようとした。
それを悟ったかのように、今度は樹里が口を開いた。
「豪乃は社長令嬢だぜ」
その言葉に思わず感嘆の声を上げる一年生三人。
「おぉぉぉぉ・・・おぉぉぉぉぉ?」
・・・お金はある。そんなことを樹里は言いたかったようだが、紀子がポツリ。
「なんで、樹里先輩がどや顔なんだ?」
そんな紀子に私は半笑いを浮かべ言った。
「あんた、さっきから樹里先輩には厳しいわね」
それから、私たち五人は時間が経つのも忘れ、大いに話し合った。
狭いグラウンドでも出来る練習。そのことを念頭にして。
何を何のためにどうやっていくのか。
夏の大会まで三か月足らず。出来る限りのことを考えながら実行していかないと、その時まであっという間だ。
正確に言うと、私たちに残された時間は他校に比べ少し短かい。
何故かというと、私たちの県だけは予選があるというのだ。
男子の場合は、各都道府県ごとにそれらを束ねる連盟がある。だから、各都道府県ごとに予選も行われる。しかし、女子の場合は女子野球部自体が少ないためか、それは全国を束ねる連盟一つしかない。もっとも、その連盟に加入していれば全国大会への参加権が女子の場合は与えられるのだが・・・。ただ、、どうしてか私たちの県だけは予選を行い、それに勝ち上がった学校だけが全国大会に行けるようになっているとのことだ。なんで?
で、私たちの県で連盟に加入している学校は三校ある。
まずは私たちのやしろ純真学園。二校目は、私たちの最大のライバル、やしろ学院館。そして、三校目は県中央部にある公立の鮎川高校だ。
鮎川高校は、最近になって野球部を立ち上げた学校だ。ただ、九州全域から野球希望者を募っており、学校内に寮まで設けるなど、私立顔負けの本格さだ。とても油断できる存在ではない。
この二校を相手に総当たりで勝ち上がらなければならないのだ。この時期になっても部員が十分でない私たちは、大きく水をあけられている。頑張らなければ・・・。
「それについてはサッカー部に協力を要請してみます」
校舎の外は、すっかり夜闇が包んでいた。
さらに、どれくらい時間が経っただろう。私たちの話し合いはまだまだ続いていた。
「お願いします。豪乃先輩」
私の生徒会長の呼び方が、いつのまにか“豪乃先輩”になっていた。
だって、他の部であったり上級生であったり、そんな彼女たちへの交渉ごとに、これほど心強い存在はいるだろうか。生徒会長って。
私にとって、そういうのもひっくるめて、豪乃は信頼すべき身近な存在になっていた。
ところで、サッカー部への要請というのは、普段、サッカー部が使用している練習場所の一部を使わせてもらうということである。もっとも、そこって元は私たち野球部の場所であったのだけれどね。けど、まだまだ部員も揃っていないうちから返せって言えない。
野球って、打つ方はともかく、守る場合はどこにボールが飛んでいこうと全体的な連携が必要不可欠である。アウトカウントやランナーがどこに何人いるかで守っている方の動きは全然違ってくる。その練習をやるには、やはり今の広さでは全然足りないからだ。
「サッカー部がいない時を見計らって、そこを交渉してみましょう」
はぁ~、普段のおっとりとした姿と違って、今は見違えるくらい頼れる先輩。
「豪乃先輩って、だてに生徒会長やってないよね」
そんな、私の豪乃を見つめる尊敬の眼差しに失笑しながら、からかい気味に樹里が口を挟んできた。
「熱い議論を交わしてるとこ申し訳ないが、そろそろ今日は帰らないか?}
そう言いながら、ため息交じりにある方を指さす樹里。
「へ?」
私はまだまだ議論半ばと言った感じだったが、樹里が指差す方をみて納得した。
うつらうつら。
鷹乃に紀子。いつの間にか二人は寄り添いながら船を漕いでいた。
「やれやれ」
私はため息をつきながら、ふと壁に掛かった時計に目をやった。
「え、うそ」
その時計は、長針が後一回りすれば、日が変わる時刻まで時を刻んでいた。
「ごめんなさい。こんなに遅くまで」
特に自分が悪いわけでもないのに、そう言って私に謝る豪乃。
「いえいえ、私の方こそ」
そんな豪乃に恐縮する私。
「じゃあ、お前ら気をつけて帰れよ」
「気を付けてね」
最後まで私らを気にかけてくれる樹里と豪乃。
「はい、先輩たちも」
私はなんとか鷹乃と紀子を自転車にのせ、私らを気遣う先輩二人に今日の別れの言葉を口にする。
「また明日。先輩」
「ああ」
「それじゃあね」
そうして、今日を解散した私たち。楽しかった。また、そんな二人と会えることを楽しみに私たちも帰路についた。
「鷹乃、真っすぐ自転車漕ぎなさ~い」
「目を開けてぇ~、紀子」
寝ぼけ眼でよたよたと自転車を漕ぐ二人に気合を入れながら・・・。
一方。
「ふふふっ」
豪乃から控えめな笑みが零れる。
「どうしたんだよ。いきなり」
優しい表情を浮かべながら樹里が問いかける。
少し間を置きながら、「ふう」と豪乃が一息ついて続ける。
「なんかね、久しぶりって感じがして・・・」
その感覚に自分も同じ思いがあるのか、「そうだな」と樹里が応じる。
部活が終わって、帰り道が同じ仲間同士でじゃれ合いながら帰宅した中学時代。
今夜のこの感覚は、楽しかったその時にそっくりだった。
しかし、少し表情を曇らせながら、久しぶりの幸せそうな気分に浸る豪乃に樹里が問いかける。
「俺ら、大丈夫かな?」
樹里は、あえて何に対しての思いかは言わなかった。
自分たちの体はついていけるのか。ボールに対しての恐怖心はないのか。そして、・・・私らの思いを救ってくれた一年生に応えていけるのか・・・。
そんな、樹里に豪乃が向き直りきっぱりと言った。
「大丈夫!」
あまりにも眩しい笑顔を向けながら。
その眩しさに樹里は一瞬たじろぎ、そんな弱音を吐いたことに顔を赤らめながら豪乃に言い返した。
「悪ぃ、やるぞ!俺らも」
両手にガッツポーズを作り気合を入れなおす樹里。
タタタッ。
「樹里ちゃん。置いて帰っちゃうぞ」
そんな樹里を尻目に、小さく叫びながら駆け出す豪乃。
虚を突かれた樹里が呆気にとられる。
「おい!ちょっと待てよ」
しかし、すぐに我に返り、そう声を上げながら豪乃の後を追いかけ始めた。
暫くの間、そこらに二人の明るい笑い声が、夜闇を優しく照らし返すかのように響いていた。