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十、伊織と佳奈

 キーンコーンカーンコーン。

 本日の終業のチャイムが鳴り響く。

 ガヤガヤガヤ。

「今日はどこに寄って行こうか」

「あそこのアイス美味しいんだよね」

 口々にこれからの予定を口にしながら、クラスメートらが教室を後にする。

「・・・」

 それを席に座ったままで見送る私。

「ふふ~ん、ひな。また、居残り?」

 満面に、これでもかと言うくらいのいやらしい笑みを浮かべた鷹乃が、そう言いながら私に近寄ってきた。

「ひなも懲りないね」

 紀子も意地悪な表情を浮かべながら寄り添ってきた。

 昨日、羽衣と來未を私らの野球部メンバーに引っ張り込めたあまりの嬉しさに、私は今までにないくらいぐっすりと眠れた。良い夢も見れた。今朝の寝起きもバッチリだった。

 けど、宿題するの忘れてきてた・・・。

「ホントに懲りないね。ひなは」

 呆れ半分、諦め半分といった表情で鷹乃が私を見つめてくる。

「早速、今日から西高の二人も練習に参加してくるというのに」

 紀子がそう言いながら冷たい視線をぶつけてくる。

「やれやれ」

 ため息つきながら、二人がハモる。

「だぁ~っ、うるっさいわねぇ」

 私は、そんな二人に噛みつく。

「私だって、忘れたくて忘れたわけじゃないわよぉ。こんな時に宿題出す先生が悪い」

 私は、虚しい悪態をついて見せるが、二人は同情など微塵もしてくれなかった。

「二人のことは私らに任せといて。豪乃先輩たちにもよろしく引き合わせるから」

「鷹乃~、こんなひなは放っておいて行こう」

 二人してそう言い残し、手をヒラヒラさせながら行ってしまった。

「薄情ね。あの二人~」

 自分が悪いのを棚に上げ、二人への文句が口をついて出る。

 しかし、確かに今日は羽衣と來未の初日である。出来るだけ一緒の時間を過ごしたい。

 私は苦々しい表情を浮かべながらも、忘れてきた宿題の問題に向き直ることにした。

 本番まで練習時間も残り少ないのだが、今日は、これをやっていかないと担当教師に帰してもらえない。

「グスッ」

 さすがに少し泣けてくる。

 すると、パタパタパタと廊下から足音が聞こえてきた。

 教室に入ってきたその足音の主が、私の存在に気付き歩みを止める。

「代陽さん、居残り?」

 一人佇む私の邪魔をするのに、些か抵抗を感じたのか、その娘は気まずそうな表情を浮かべながら、私に声を掛けてきた。

 私は、思いっきりべそをかきそうな表情をしながら、その娘に目を向けた。

 その表情があまりに悲しげだったのか知らないが、彼女は思い切り憐れむように私に問いかけてきた。

「大丈夫?」


 彼女は、昭和(しょうわ) 伊織(いおり)といって、このクラスの委員長。面倒見の良いしっかりものだ。

 名前も古風だが、立ち居振る舞いも流れるようでしなやかで、だが、メリハリもきっちりしている。豪乃とはまた一味違った、お淑やかな女の子である。

 眼鏡をかけているが、その奥の二重で切れ長の涼し気な瞳も美しい。

 私は、豪乃やこのクラス委員長を見るたびに大和撫子ってこんな人のことを言うんだろうなって思う。

 しかも、紀子と競るくらいの才女。加えて運動神経も抜群。

 天は二物を与えずというが、絶対そりゃ嘘だ。

 ペタペタペタ。

 そうするうち、別の足音が教室に迫ってきた。

「伊織ちゃ~ん、置いてかないでくださ~い」

 ひょっこりと、その足音の主が教室の入り口から顔を出してきた。

「げ!」

 私は、彼女を見るなり、顔を伏せてしまった。

 彼女は、伊織ととても仲が良く、一緒にいることが多い。

 名前は八千把(やちわ) 佳奈(かな)という。

 おっとり系というか、彼女は独特のリズムを持っていて、どちらかというとせっかちな私とは馬が合わない。彼女と幾度か話す機会はあるのだが、彼女が最後まで話し切るのを待てないのだ。

 のんびり屋というかなんというか。そんな彼女と伊織が仲が良いのが不思議でならない。

「え~、飛雄奈ちゃん、どうしたの~?居残り~?」

 彼女は、そこまで親しくない相手でも名前で呼んでくる。そのせいか、馴れ馴れしいと言って彼女を敬遠するクラスメートも少なからずいる。残念ながら、私もそちらの方だ。

 相手のことをよく知りもしないで、そういう態度をとるのは良いこととは思えないのだけれどね。

 私は、そう思いながらも聞こえないふりして忘れてきた宿題をクリアすべく、問題に取り掛かった。

「佳奈、代陽さんの邪魔しちゃだめよ」

 そんな雰囲気を察してか、伊織も佳奈を制しにかかる。

「えぇ~?」

 少し不満げながらも伊織に従う佳奈。

「さ、代陽さんの邪魔しちゃ悪いから、早く片付けて帰りましょう」

 伊織が佳奈を促す。

 そんな二人のやり取りを聞きながらも、少しでも早くグラウンドに行きたい気持ちが私を急かしていた。

 そんな私の気持ちを知ってか知らずか、佳奈が再び私に話しかけてきた。

「飛雄奈ちゃ~ん、今日は野球部の練習無いの~?」

 私の手が一瞬止まる。しかし、これも聞こえないふりして少しでも早く答えを捻りだそうと考え込んで見せる。・・・あるから、必死こいてんでしょ。

 無視を決め込む私に、さらに続ける佳奈。

「そう言えば~、鷹乃ちゃん、紀子ちゃんと一緒にグラウンドに向かってたよ~。飛雄奈ちゃんも急がないとね~」

 佳奈の空気を読まない話っぷりと、何より私のコンプレックスを突いてくるところが癇に障る。

 そんな矢先、伊織から佳奈に叱責が飛んだ。

「佳奈、いい加減にしなさい。迷惑でしょ」

 伊織の普段見たことのない厳しい表情とぴしゃりとした物言いで、さすがの佳奈もしゅんとなった。ついでに私の背筋もピシッと伸びてしまった。

「ふふふ。代陽さん、ごめんなさい」

 そんな私の様子を見て、申し訳なさげに伊織が私に口を開いた。


 ようやく場も落ち着き、流れる沈黙の時間。

 乗ってきた乗ってきた。

 私だって、やればできるのよ。

「よっし。この調子だと、これから三十分も掛からないかな」

 そう呟きながら軽く深呼吸。一休み。

 ちらっと、横目で二人を見てみる。

 伊織も日誌か何か書いてるようだ。佳奈も頬杖を突きながら、伊織のそんな様子を大人しく見つめている。

 黙っていれば佳奈もそれなりに可愛いのにな。なんて思いが、ふと頭をよぎる。

 そんな私の視線に気付いたのか、佳奈が私に視線を向け、ひらひらと手を振ってきた。

「う!」

 反応に困った私は、慌てて正面に向き直った。

「てっ」

 それと同時にペシッと軽い音がして、佳奈が小さく叫んだ。

「佳ぁ奈。邪魔しないの」

 伊織の、まるで子供を諭す母親のような一言が続く。

「プッ」

 そんな二人のやりとりが微笑ましくて、つい私は軽く噴き出してしまった。


 それから十数分後。

 ようやく最後の問題を解き終えようとした私に佳奈の驚きの一声が飛び込んできた。

「伊織ちゃん、良かったねぇ。飛雄奈ちゃんにまた会えてぇ」

「ちょ、ちょっと、いきなり何言い出すのよ」

 びっくりした伊織が慌てて佳奈の口を塞ぎにかかる。

「え、何それ?」

 あまりの突然の告白に、さすがの私も手が止まる。目が点になってるのが自分でも分かる。

「ご、ごんめんなさい、代陽さん。佳奈、いきなりそんなこと言ったら、びっくりするでしょ」

 いつも冷静沈着な伊織が、こんなにバタつくの初めて見た。

 しどろもどろの伊織をよそに、佳奈の言葉が続く。

「だぁ~って、あの時言ってたじゃな~い。また、あの娘と会って、対戦したいって~」

 必死に佳奈を抑えようとする伊織をスルリスルリとかわしながら佳奈が続ける。

「同じ学校で、同じクラスになるなんてぇ、すごいねぇ。伊織ちゃんの夢が叶ったねぇ」

 きっと今の佳奈は無双状態だ。誰も止められないんだろうな。

 だが、それを聞いて私も問題を解いているどころでは無くなっていた。

「ちょ、ちょっと八千把さん。何よそれ、詳しく・・・」

 つい私も叫んでしまった。しかし・・・。

「あの時の伊織ちゃんてねぇ~」

 佳奈が止まらない。

「ちょ、ちょっと八千把さん?」

「もう目を輝かしちゃってぇ」

「聞けってば!」

 私も佳奈を止められない。なんだこいつ。

 しかし、そうこうするうち伊織の堪忍袋の緒が切れた。

 バン!

「佳奈!!!」

 机を叩きながら伊織が吼えた。

 ビクッ!

 あまりの伊織の剣幕に、さすがの佳奈もようやく無双状態を解いた。ついでに私の腰も抜けてしまった。

「どうしたのぉ~?」

「はあはあ」と肩で息しながら鬼のような形相の伊織を、ポカンとした表情で見つめる佳奈。

 ホント、何なんだこいつ。


「もうすぐ一年前になるのかな。貴女を見たのは・・・」

 ようやく、・・・ホントにようやく一息ついた私に「もう、仕方がないなぁ」と一言前置きして、その時の話を伊緒が語りだした。

「私もね、中学の時には野球やってたのよ。・・・佳奈もね」

 意外な一言。伊織は弓道とか剣道とか、どっちかっていうと古武道が似合いのキャラなのに。でも、私にとって、どっちが意外かっていったら、佳奈が野球をやってたって方かな・・・とは思ってみたが、とりあえず口を挟まず、伊織の話を聞くことにした。

「私だって、その時は結構自信あったのよ」

 輝く笑顔を見せながら、伊織が左腕で力こぶを作って見せる。

「貴女を見るまではね・・・」

 でも、そんな一言と同時に伊織が表情を曇らせる。

 その表情に、一瞬、私は引け目を感じてしまった。何にも悪いことしてないはずだけど。

 しかし、そんな私に気付くことなく、伊織は話を続ける。

「最後の夏に、貴女の学校と対戦することになったの。勝ってたんだけど、貴女の一打にに試合をひっくり返されて、しかも、そのままマウンドに上がった貴女に抑えられて・・・負けちゃった」

 伊織の話を聞きながら、私は自分の記憶を探った。

「そんな試合あったっけ。・・・あ、もしかして四中の?」

 そういえば、その学校にも女の子いたな。思い当たった記憶を伊織にぶつける。

「そうよ」

 伊織は、また眩しい笑顔を向け、一瞬間を置き話を続けた。

「貴女、純粋にすごかった。男子顔前の打球にピッチング。貴女一人に負けちゃったもの。これでも、私たち四中は中体連優勝を目指してたんだから。それなのに・・・。こんな娘がいるんだって思ったら、なんか私なんかちっぽけに感じちゃって。高校に入ってからも野球を続けようか迷ってた私に、すっぱり引導渡してくれたわよ。貴女はね。高校で野球を続けても、私なんかが通用するわけないって」

 そこまで話して、遠い目をする伊織。

 確かにあの時の四中は、私たち一中以上に優勝候補に推されていた学校だった。

 しかも、私のような女の子がチームを引っ張っている。そんな話も聞いていた。

 もしかして、私が逆転の一打を打った時にマウンドにいたのが伊織?

 でも、それって結構まぐれだったんだよね。それだけ良い球、放ってた。

「え?え?」

 伊織の話を聞いて、心臓の鼓動が止まらない。

 な、なんか言わなきゃいけないよね、私。

 そんな伊織を前にして、こんな私をここまで思ってくれて、そんな伊織に私は何か言葉をかけてあげなきゃいけないんだろうな。そんな思いが私の中を駆け巡る。

「あ、あの・・・」

 まだ言葉を見つけきれないながらも、何か絞り出そうとしてみる。

「ね!伊織ちゃんて、すごいでしょ~」

 そんな私の精いっぱいの思いを裏切るように、のほほんとした雰囲気で佳奈が口を開いた。

 肩透かしを食らったようで、私につられて伊織もこけた。

 あ、良い雰囲気、吹っ飛んじゃった。


「痛い、痛いよ~、伊織ちゃん」

 佳奈の両方のこめかみを拳でグリグリする伊織。

 仏の顔も三度までか・・・。

 けど、このままでは佳奈も可哀想なので、別の話題を二人に振ってみた。

「ところで、八千把さんも野球やってたんだ」

 のほほんとした雰囲気が持ち味?の佳奈が野球をやってる姿が想像できない私は、素直な質問を伊織にぶつけてみた。

「あんたは黙ってなさい」

 伊織の機先を制するように話し出そうとした佳奈の口を押えながら、伊織がピシャリと一言。

 でも、厳しい表情はそこまで。

 ふっと、佳奈を見る伊織の視線が穏やかになる。

「私が中学時代、野球を続けられたのも、この娘のおかげなのよね」

 伊織から衝撃の一言。

 佳奈が伊織に憧れてって話なら十分理解できるのだけど。

 私の気持ちを察してか、伊織が続けた。

「この娘、見た目のまんま、野球はおろかスポーツそのものがあまり出来ない娘だったのよ。なにかのきっかけで野球を始めたのは良かったけど、ボールを捕れない、打てないで・・・。よく男子からいじめられてたな。でも、それでも挫けなかった。チームの誰よりも遅くまでバット振ってたもの」

 伊織が昔を懐かしむように語り続ける。

「そんな佳奈の姿に、私も負けてられないってね。中学になると、男子もだんだん体格が大きくなってくるじゃない?力も。そんな男子にはかなわないって思い始めて、何度野球を辞めようって思ったことか」

「へぇ~」

 時間が経つのも忘れて、伊織の話に聞き入る私。

 だいぶ傾き始めた夕陽が、私たちのいる教室をオレンジ色に染める。

「でね、こんな事があったの」

 もう、佳奈のことであっても、自分のことのように前のめりに語りだす伊織。

 二人、結構、似た者同士なんだな。

 私はそう思いながら、苦笑いを浮かべてみる。

 そんな私に構わす、伊織が話を続ける。

「佳奈って、男子に負けないくらい練習してるのに、なかなか上手くなっていかなくって。それをゴチャゴチャ言われて、しかも、いじめの種にされて。私、悔しかったから、佳奈に言ってあげたの。色々考え過ぎだって」

 要は、こういう話だった。

 佳奈のふんわりした性格に、色々詰め込むのは合ってない。だから、「来た球を打ちなさい。来た球を捕りなさい」って、シンプルに言い聞かせ続けたと言う事だった。

「そしたらね」

 目を輝かせながら、伊織が続ける。

「もともと、感覚は鋭い娘だったのよ。それから、打っても守っても男子以上になっちゃって、嬉しかったわよ。佳奈、ライトを守ってたけど、そこにどれだけ打たれても安心してられたから」

 そこまで話して、またもや遠くを見つめ目を輝かせる伊織。

 私はため息をつくしかなかった。

 でも、嫌なため息じゃない。二人のいい関係、見せてもらいました。

 伊織の話すさまを、佳奈も目を輝かせながら見つめる。

「二人、良いコンビだよ。ってところで、二人も私と一緒に野球しよう」

 二人を誘うのに、私はなんのためらいもなかった。

 この二人なら、良い戦力になってくれる。私にはそんな確信があった。

「え?」

 二人が同時に、私に問いかけてくる。

「私と鷹乃と紀子、ここの野球部、復活させたんだ」

 畳みかけるように、二人に続ける私。こうなったら、逃がさないわよ。

「もう久しくボールも触ってないから・・・」

 だが、私の問いかけにそれだけ話した後は沈黙を返す伊織。

「生徒会長と副会長も野球部員よ」

 悩む伊織に切り札を出す私。

 そんな、伊織に佳奈が口を開く。

「ねぇ~、言ったじゃな~い。飛雄奈ちゃんにまた会えて良かったねぇって」

 佳奈のこの一言に、吹っ切れたように伊織の表情が再び和らぐ。

「なら、決まりね」

 私は満足げに二人を迎え入れる一言を口にした。

 でも、一つ言っておかないといけないことがある。

「ふたりとも、これから私のことは、“ひな”って呼んで」

 どうにも、苗字はまだしも名前で呼ばれることに抵抗を感じる私は、二人に対してピシャリとそう言い放った。

 一瞬間を置いたものの、眩しいくらいの笑顔を向けながら佳奈がこう返事した。

「分かったわぁ~。飛雄奈ちゃん」

「だから、ひなちゃんって言えって」

 それには、さすがの私もすぐに突っ込んだ。

 その様子を見つめる伊織も、絶対男子が向けられたら惚れてしまうだろってくらいの眩しい笑顔を輝かせていた。

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