一、波乱のはじまり
ガヤガヤガヤ。
「はぁ~、やっと終わったね」
私と同じように、花をかたどり“新入生”と書かれたリボンを脇腹部分に付けた女の子たちが、晴れやかな笑顔を満面に浮かべながら、げた箱から外へ出ていく。
昨今、公立でも制服がブレザーに変わっていく高校は珍しくない中、ここは創立以来、ずっとセーラー服である。黒を基調にし、襟部分には三本のラインが平行に走る。スカーフは白。ありきたりと言えばそうかもしれない。ただ、四月の緩やかに射す陽の光に黒と白のコントラストが眩しく映える。そこに添えられた花型のリボンが可愛らしい。
今日は入学式。堅苦しさだけはいつもと同じ。やっと終わった。
今日から私は高校生。
そして、ここはあの、やしろ純真学園。
「やっとこの日が来たね、ひな。待ち遠しかったんじゃない?」
私の腰を肘で小突きながら、そう話しかけるのは松高 鷹乃。
幼馴染だ。
「そうね。待ちわびてたわよ。やっと私たちの実力が試せるもの」
「ずっと、がんばってたもんね」
鷹乃とは違い、少し消え入りそうな声で話しかけてきたのは八代 紀子。
この娘も幼馴染。
で、私は代陽 飛雄奈。苗字は“たいよう”と読む。
っていうか、冗談みたいな名前だよね。昔のアニメの主人公によく似た名前。分かる人には分かっちゃう。でも、女の子だよ、私。
なんでも、私の父親は小さなころから白球を追っかけてて、高校生の頃はマジに甲子園を目指してた熱血球児だったらしい。でも、最高で地方予選の三回戦止まりだったとか。
そして母親は、毎晩毎晩テレビのナイター観戦に没頭する私のお爺ちゃんの影響を存分に受け、一緒になって贔屓のチームの帽子を被って応援しまくってた、今でいうところの野球女子だったらしい。
そんな二人が出会ってしまった。そしたら産まれた子供にも野球をさせたくなるのは当然の流れになるわよね。しかも、男の子が生まれてくると疑わなかった両親。名前も“飛雄馬”としか考えてなかったらしい。でも、生まれてきたのは女の子の私。命名に焦りまくった両親だったが、一文字だけ入れ替えて女の子っぽい名前にしたとかなんとか。冗談みたいな話だけどね。
しかし、私の場合は名は体を表さなかった。
少し釣り目がちだけど、凛とした切れ長の瞳が、鼻筋の通った面長の顔に絶妙なバランスで収まっている。唇は少し薄い感じだけど、そこから時折見える白い歯が眩しい。
それでもって、ポニーテールにまとめた髪が私のトレードマーク。
どっから見ても女の子。少女。なんならその上に“美”を付けてもいいくらいだ。
幼馴染の鷹乃と紀子とは家のお隣さん同士。とは言っても、小学校は別々だった。三差路の道向かいにそれぞれの家があり、そこに校区の境界があったからだ。
でも、私たち三人は物心がついた時からずっと一緒だった。
遊ぶ時も、勉強する時も、ずっと一緒だった。
中学校でやっと三人一緒になって、一緒に夢中になったものがあった。
そして高校では、その夢をもっと大きくしたくて、同じ学校を選んだ。
それは何かと言ったら野球である。そう、ベースボール!
・・・血は争えないわね。言わないで・・・。
ただ、野球って最近はサッカーに押され気味。女子野球もワールドカップでは何度も世界一になっているが、今一つ目立たない。って言うか、女子野球にもワールドカップが開催されていることを知っている人が何人いるか・・・。
それでも、私たちは野球が好きだ。野球もサッカーと同じくらい熱い!
野球と言えば、高校野球。
“目指せ、甲子園”である。
ただ、男子の高校野球の世界では、女子は甲子園のグラウンドには練習補佐としてしか立てない。マネージャーとして、記録員としてチームをサポートしながら甲子園を目指すしかない。それも一つの手ではあるが、私たちはやっぱりフィールドプレーヤーとしてグラウンドに立ちたい。もっとも、女子の全国大会は甲子園では行われないのだけど・・・。
その全国大会において、この学園は、最近こそこれといった戦果は聞こえてこないが、昔から上位進出の常連だったらしい。
多少過疎化は進んでいるが、野球熱の高い県南の小都市にあるこの学園。ここは県南唯一の女子高であるために、比較的生徒の数は多い。加えて、ここは野球の名門。少なからず入部希望者はいるはずだ。
玄関先の広場に目を向けてみる。様々なユニフォームを着た上級生たちが、昇降口から出てくる新入生たちに片っ端から声をかけていた。
「一緒にボールと友達になりませんか」
「君の竹刀さばきで全国を制覇しよう」
「テニスルック、貴女に似合うと思うなぁ」
その賑やかさに、高校生になった実感がふつふつと湧き上がる。
でも、私たちの目指すものが見当たらない。
「すごいね。人、人、人・・・。」
私は、半ば呆れながら二人に声をかける。
が、その声をかき消すかのように私たち三人にも人波が押し寄せた。
「貴女たちも、部活決まった?」
「青春を、私たちと共に燃やし尽くそう」
これが男子だったらどんなにうれしいかなぁ~、なんて思ったりしてみる。私たち三人とも見た目は特に悪くない、どころか、最低でも上の中くらいはあると思っている。独りよがりだが・・・。でもでも、今はそんな場合じゃない。この場をどうにかしないと。
「いやいやいや、私たちは決めてる部があるので」
あたふたしながら、わたわたと断りを入れる。
「え~、先輩たち強引ですぅ」
のらりくらりとかわす鷹乃。
「・・・・・」
大人しい性格な上に小柄な紀子が、人波に押され流されてゆく。
三者三様・・・。
群衆を押し返し、押し戻し、なんとか人波から少し離れたところに逃げてくることができた。
「ふぅ~、ちょっと一息つくか」
「もぉ~、せっかくの制服がごちゃごちゃ」
頬を膨らませながら、ぶぅ垂れる鷹乃。
ぱっちりおめめが少したれ気味なのが特徴的な女の子。すっと通った鼻筋にぷっくりした唇が丸みのある顔にそつなく収まっている。そこにセミロングの髪の毛がふわりと掛かる。そんな感じの美少女だ。
彼女は、この三人の中では一番女子高生らしいというか、キャピキャピ系に見える。が、私と一緒に三年間男子と交じりながらレギュラーを競ってきた女の子だ。運動神経はある芯の通った女の子。舐めてかかると痛い目にあうんだ。
「野球部、見当たらないね」
紀子は消え入りそうな声で、今の状況を解説する。
こんな状況でも見るべきところは見ている。冷静沈着、肝の据わった女の子だ。紀子は。
彼女は三人の中では一番小柄で、つぶらな瞳が眩しいくらいに輝いている純真無垢って感じの、これまた可愛い女の子だ。ショートカットに切りそろえた黒髪も陽の光に眩しく輝いて愛らしい。
「そうだね。少し落ち着くのを待とうか。野球部は有名だから、あえて強引な勧誘とかしてないのかもしれないし。ね」
二人をなだめるように、と言うか、あまりの迫力に気圧された自分自身を落ち着かせるように、私はそう言った。
さわさわさわ。
徐々にではあるが、先ほどの喧騒も収まりつつある。
その喧騒から逃げ込んだ建物の陰からグラウンドを眺めてみる。幸運にも新入部員を獲得できた部が、早速、彼女らにオリエンテーションをしているさまが遠目に見える。
そこから視線を動かすと、校舎が目に飛び込んできた。
この学園、長い伝統を持っている割には校舎が真新しい。それもそのはず、数年前にこの場所に移転してきたからだ。
元々は市内の中心部にあったのだが、校舎だけ狭い敷地の中に押し込まれるように建っており、グラウンドは別。校舎から数キロ離れた場所にあるという難儀な形だったらしい。
「おかげで、結構、家から遠くなったのよね」
私は、ぼそぼそと独りごちた。
「ねぇ、これからどうすんのよ。いつまで、こうしてんのよ。ねえ、ひな」
今度は、後ろから背中を小突かれた。
振り返ると鷹乃のふくれっ面が目に飛び込んできた。
その、さらに後ろから紀子がこちらを覗きこんでいる。
あちゃ、紀子も少し不機嫌そうだ。
少しだけ様子を見過ぎたようだ。
「ごめんごめん。ちょっと考え事」
ごまかす私。視線を泳がせ、二人をなだめる。
確かに、先ほどの喧騒はだいぶ収まっている。今日の勧誘をあきらめた部も、グラウンド、体育館、武道場など、自分たちの居場所に戻り始めている。
なのに、そんな中一人、机を前に椅子に腰かけた女性が佇んでいる姿が目に飛び込んできた。しかも、この場を去る気はまだないようだ。
「ねえ、あの人、確か生徒会長よね。さっきの入学式で、生徒代表喋ってた」
「え?どれどれ。・・・ホントだ。なにやってんだろ?」
「なにって、部の勧誘?」
鷹乃と紀子がそれぞれ応じる。
「そうかなぁ。生徒会長って、なんかふわっとしてる感じがして、スポーツのイメージがわかないんだけど」
文化部の勧誘?けど、あの体育会系のノリの中で、あの姿はなんか場違いな気がする。
新入生歓迎の言葉を述べてくれた彼女の姿を思い出した。見た目、育ちは良さそうなのよね。でも、凛としてるってよりは、おっとりしてる感じがしてて・・・。
「そういえば、さっきからずっとあんな感じで座ってた」
紀子が思い出したように一言。
あんた、ホントによく見てるわね。
あたしたちが遠目に見ているのにも気づかないようで、少し風が出てきた中、右手で髪の毛、左手で机の上に置いてある紙を抑えながら、彼女は座り続けた。まるで、戦地に赴いた彼氏の帰りを待つかのように・・・。
ふと、我に返る。
そういえば、結局、野球部員と思しき人たちの姿、見てないわね。このままここにいても仕方がないし、この際、生徒会長に聞いて探しに行ってみよう。そう思い、二人を促し、彼女の元へ向かおうとした矢先、今までとは違う強い一陣の風が吹き抜けた。
ビュウ!
「ん?」
そんな中、私の足に何かがひっかかる。
おもむろにそれを拾い上げてみる。
それは“新入部員名簿”と印刷してある以外、何も書かれていない一枚の紙きれだった。
その紙が飛ばされてきた方向を見やる。
「あ!」
生徒会長が机と一緒につんのめてた。・・・そこまでの風だったか?
やれやれ、と言った面持ちで、私と鷹乃、そして、紀子は顔を見合わせた。
と、そこへ、もう一度、
ビュビュウ!
さらに強い風があたりを舞う。
「キャッ」
鷹乃が、スカートを風にまくられないよう、両手で必死に抑える。
私は風に背を向け、少し体を丸めながらそれに抗う。
紀子は、そんな私に抱き着いてくる。・・・こいつ、ちゃっかり風よけにしやがった。
次第に風が弱まる。
「ふう」
三人同時にため息をつく。
そして、生徒会長がつんのめてた場所に振り返る。
「え?」
これが狐につままれた、とでも言うのだろうか。
彼女の、生徒会長の姿が消えていた。
「なになに?生徒会長、消えちゃったんだけど。おっかしぃ~。受っけるぅ。あっははははは」
鷹乃の笑い声があたりに響いた。そんな中、私の頭の中では一つのことでいっぱいになっていた。
「なにやってたんだろ?」
翌朝、登校途中の電車の窓から、昨日の事を思い出していた。
生徒会長、何してたんだろ?
やっぱ部員の勧誘だよね?
ずっと座ってて、コケて、消えた。
何したかったんだろ?
目の前を流れる風景は私の目に映っておらず、そんな思いだけが私の頭の中をいっぱいにしていた。昨日からね。
結局、あのあと私たち三人は下校することにした。
野球部を探すことなんか、どっかに吹っ飛んでしまってたからだ。
「まもなく、やしろ駅に到着します」
車内アナウンスが、私を現実に呼び戻した。
「降りなきゃ」
私は電車を降りる準備を始めた。
まだ中身は筆記用具と大学ノートだけの学生鞄。
今週いっぱいは、高校生活についてのオリエンテーリング中心の時間割が組まれている。
これからの学生生活、色んなことしっかり覚えなきゃ。
それと、もう一つ。
むしろこっちが大事かな。
そう!エナメルバッグ。全面黒光りする中に白い文字でメーカーの名前がでっかく書いてある。新品なの、買っちゃった!
それにグローブにスパイクも、超新品!
グローブは高校に入ってからすぐに使えるように、十分に手入れもした。
ちょっと懐が寂しくなったが致し方ない。私の新スタートに合わせて思い切っちゃった。
・・・けど、暫くはお小遣いの前借も考えていかないとな。
それらを今日から練習に入るつもりで詰め込んできた。他には、無地の帽子にアンダーシャツ。替えも二着入れてきた。白地のユニフォーム上下にベルト、ソックス、ストッキング。準備万端!
「よいしょ」
それらを両手に抱えて電車を降りる。
ホントは電車に乗るほどの距離でもないんだけどね。家と学校。実際、乗った区間は一駅だけ。学園が駅の目の前にある。ただ、それだけの理由。
もひとつ加えるなら、電車に乗りたかった。そんなもんか。
ホームから改札口に続く階段を昇り、学園側への階段を降りる。
駅前のロータリーまで出てくると、見知った顔が二つ、こっちを睨んでた。
鷹乃と紀子だ。
そうだった。途中までは一緒に来てたが、いきなり私は「今日は電車で行くわ」って、二人をぶっちぎったんだっけ。
ぶすくれ顔でこっちを睨む顔が二つ並んでる。
「ごめん、ごめん。二人とも、もう着いてたんだ」
敢えて、それをかわすかのように作り笑いで手を振りながら二人に近寄った。
無駄だった。
「今日は電車に乗ってくって、いきなりびっくりするじゃない。っていうか、あんたの寝坊に散々待たされた挙句、本人は電車に乗ってくって、何?何なの?ひなのバカバカバカ!」
端から見れば痴話げんかに聞こえるような罵詈雑言が鷹乃から飛んでくる。
「・・・・・・・・・」
対して、紀子は無言でこっちを睨みつけてくる。
「うっ」
鷹乃より、紀子の方が怖いんだよね。無言の圧力。
鷹乃はそれなりに鬱憤を吐き出させると落ち着いてくるが、紀子は長い。怒らせたら長い。
そういう時でも一緒にはいるが、とにかくしかめっ面で睨んでくる。微妙に視界に入ってくるかこないかの感じで・・・。しかも無言。
きっついんだよね。マジで。たまんない。
「ホント、ゴメンて。マジで。今度、アイスでもおごるからさ。ゴメンて」
「アイスなんかで誤魔化されないからね。ホントにあんたって気まぐれなんだから。あ!ひな、ちょっと待ちなさいよ。ねえ」
「・・・・・・・・・」
二人が許す許さないなんて関係なし。そそくさと学園に向かう。てか、逃げよ。
・・・逃げらんないんだった。
昨日のクラス分けで、私たち三人一緒のクラスだった。今日ばかりはこの運命を恨みたい。
ま、元々私が悪いんだけどね。
昨日の出来事が頭から離れなかったって言っても、言い訳にもならないか。
一限目が終わった。
一人づつの自己紹介。新学期ならではの行事をこなしていく。
でも、私的に今日のメインイベントは・・・そう、部活動紹介!
昨日、フライング的に新入部員の勧誘が行われていたが、本来はこっちがメイン!
自分たちの部がどんな活動を行っているか、各部の諸先輩方が色んなパフォーマンスを交えながら、自分たちの部活動を紹介していく。
これも、新学期ならではのイベント。
これには昨日は取り合えず帰宅部を決め込んだ新入生たちをも幾らか取り込んでしまおうという野望が籠っている。それもそのはず、部員数の少ない部活はこれが生命線であるからだ。
よっぽどの事情がない限り、最初に入る気がないものは途中からも入らないのだ。
であれば、今日の部活動紹介というイベントで、どれだけ新入生のハートを掴めるか、というのは、どの部においても最重要事項である。
「ふ、ふふふふふ・・・」
私は逆だ。ここで、必ず野球部を捕まえてやる。一人ほくそ笑んだ。
「お前、まだ、そんなことやってんのか!」
怒声が響いてきた教室の前を歩いていた生徒が、あまりの迫力に廊下にへたり込んでしまった。
おそるおそる、その声が聞こえてきた教室の入り口を仰ぎ見る。
生徒会室と書かれた札が下がっていた。
ガタン!
「え?ない!」
あまりの衝撃に、私は立ち上がっていた。
椅子も後ろに蹴りやって。
そのあおりをくらって鷹乃が膝を抑える。
私が蹴りやった椅子が鷹乃の膝を直撃したようだ。
「・・・」
無言で膝を抱きかかえる鷹乃。すっごく痛かったらしい。
でも、今はそれどころじゃない。
だって、無い。無いのだ。
今日は午後から二時限丸々使って部活動紹介のイベントが組まれていた。
事前に配られた生徒会手製のパンフレット。紹介がてらパフォーマンスをやる部の順番と、各部の意気込みが書いてある。
その小冊子を裏から表から何度も読み返す。
でも、無いのだ。野球部が。
あまりのショックに立ち尽くす私。あっけにとられた周囲からの、私への刺さるような視線にも気付かずに。
それって、私にとっては永遠の時間が流れたと言っても良いぐらいの感覚だった。ただ、それも一瞬のことだったらしい。
ドスン。
下半身に衝撃が走る。我に返る私。
見てみると、私のキュートなお尻に蹴りが入っている。
「ぶっすぅ~~」
鷹乃ぉ、ひどい顔。
でも、今はそれに突っ込む元気もなかった。
「ハァ~」
ため息をつきながらパンフレットの進行表ページを鷹乃の眼前に差し出す。
「なに?」
不機嫌な表情はそのままに、それを受け取りながら鷹乃が見入る。
「え!」
一言発し、固まる鷹乃。
隣に座りながらも二人のやり取りを、今まで他人事のように見ていた紀子も、自分のパンフレットに目を通す。
「あ・・・」
紀子も気付いたようだった。
そうこうするうちに時間になったようだ。
「・・・ということで、これより部活動紹介を始めます。最初の部は・・・」
生徒会長の挨拶から部活動紹介が始まった。
一番手はサッカー部だった。
プロリーグの発展により、このところ人気急上昇中らしい。地元のやしろ学院館のサッカー部が、ほんの数年前に全国大会に出場した。それが、この地でのサッカー熱に拍車をかけているらしい。
昨日の勧誘により、既に加入した新入部員から、パフォーマンスを繰り広げるサッカー部上級生に黄色い歓声が上がる。
でも、そんな光景は私には一切、目に映らなかった。歓声も耳に入ってこなかった。
すごく長い時間が過ぎていったような気がした。
どんな先輩がいるのか、どんな雰囲気で野球を楽しんでいるのか知りたかった。
そんな先輩たちと自分たちが、どんな風に交わっていくのか想像したかった。
それぞれの部の出し物やらパフォーマンスに周囲は沸いた。さすが女子高と言わんばかりの黄色い歓声。でも・・・。
「ハァ・・・」
私はため息しか出なかった。
鷹乃も紀子も同様だったらしい。部活動紹介が終わるまでの二時限、私たちは一言も発する言葉を持たなかった。
「どうするの?これから」
部活動紹介のイベントが終わり、失意の中、教室に戻る途中、珍しく紀子が沈黙を破ってきた。
「・・・」
どうするったってねぇ・・・。
返す言葉が見つからない。
そんな私と鷹乃に紀子は続けた。
「愛好会があるって言ってたよ。もしかしたらそっちにはあるかも」
落ち込む私たちに紀子が元気づけるように言う。
確かに、部活動紹介の閉会間際に生徒会長が言ってたな。色んな愛好会があるって。しかし、学校公認では無いため、このイベントでは割愛するとも。
「愛好会ねぇ・・・」
ため息交じりにポツリ。
人数やらが足りないとかで愛好会からスタートするも、終いには全国大会優勝なんてサクセスストーリーも聞いたことがある。最悪、自分たちから部を立ち上げて、全国に挑むってシナリオもあるにはある。それはそれで痛快だろうね。でもね・・・、違うんだよ。私たちは、高いレベルの中で自分たちの力を試し、磨いていけることを思って、この学園に来た。そうして全国の猛者たちと競い合って、さらに自分たちの力をレベルアップしていく。そういうことを望んでいた。
関東や近畿には既に全国制覇を何度も成し遂げている学校がある。そんな学校相手に一から部を作っていってるレベルじゃ、いつ手が届くかどうか分からない。
なんで野球部が無くなったの?野球部はどうなったの?
教室に着くまでの間、そんな思いが私の頭の中に渦巻いていた。
キーンコーンカーンコーン。
ホームルーム終了のチャイムが鳴り響く。
今日も一日終了だ。
しかしながら、教室の自席で身じろぎしない私がいた。
「・・・」
あれから私は一言も発してない。
ショック。ショックもショック、大ショックだ。
鷹乃と紀子が帰り支度を終え、私の傍に近寄ってきた。
二人の視線が私に注がれる。
「・・・チッ」
あ~、華の女子高生が舌打ちである。その時の私ってホント嫌な顔してただろうね。
私の性格を知ってる二人は、そんな私に逆に優しい眼差しを投げかける。
そうなんだよ。このまま終わってたまるか。私にはこの二人が居てくれるしね。
私は二人に向き直った。
「無いものは仕方がない。でも、このまま帰ってもムシャクシャするから、少し私に付き合って」
私はあきらめ顔の中に少しだけの微笑みを交え、二人にそう言った。
「そうこなっくっちゃ」
私を励ますように鷹乃が応じる。
「さあ行くぞ」
こうなることが分かっていたかのように紀子は私を促す。
私は、今日学園に持ってきた荷物を手に取り立ち上がった。
体育館で、持ってきたユニフォームに着替えた私たちは、暫く学校の周辺をランニングして回った。
真っ白なユニフォーム。こんな気持ちで着たくなかったな。でも、今はそんなことどうでもいい。
鷹乃も紀子もユニフォームを持ってきていた。この辺の意思の疎通は本当にピッタリである。二人とも大好き!
田園風景が広がる学校周辺の、碁盤上に並んだ道路を三人一緒にランダムに走り回った。こんなに走ったのは中学の引退直前の公式戦以来だねってくらい走った。色んなモヤモヤを押し流すのに十分な汗を流しながら。
ひとしきり走って学校に戻ってきた私たち。吹いてくる風が本当に心地よい。
「はあ、はあ、はあ。・・・しんど。死ぬ」
鷹乃が寝ころびながら息を荒げている。
「中学引退してから怠けてたでしょ」
そんな姿に紀子が突っ込む。
「・・・ふふふ。ははは」
二人のやり取りに私は思わず笑みが込み上げてきた。そんな私を見て鷹乃が言う。
「やぁっと笑った。はぁ、はぁ。あんなにぶすくれてたくせに。はぁ。ふう」
「しゃべるか、息整えるかどっちかにしてよ」
紀子が、さらに突っ込む。
二人が一緒で本当に良かった。そんな二人のやり取りを見ながら私は強くそう思った。
「はぁ・・・」
深く呼吸をし、顔を上げる。
夕日が沈んでいくのが遠目に見える。学校の周りは田んぼ以外ホントに何もない。最寄りの駅に併設している駐車場やら、こんな時間になったら人っ子一人いない公園やら、駅の乗降客をターゲットにしているのであろう場違い的にそびえるビジネスホテルが目を引くのみで、民家はところどころに身を寄せ合うように建っているくらいだ。
その風景を見ながら、私は決意に近い自分の気持ちを吐き出した。
「私、二人がいるならやれるよ。野球部があるとかないとか関係ない。とにかく私は野球を続けるよ。二人と野球ができるだけで十分だ」
そう言った私の辺りを沈黙が漂う。
なんか、恥ずかしいこと言っちゃったかな?
そう思う私に鷹乃が一言。
「なに臭いこと言ってんのよ」
それに合わせるように紀子も一言。
「我慢しきれない」
三人、お互いに視線を合わせあった後、大声で笑い、転げ回った。
「あっははははは」
「あははははは」
「くすくす。あはは」
そうしてひとしきり笑いあった私たちに遠くから声がかかる。
「この中の制服、あんたたちの~?もう、体育館閉めるわよう」
この日、最後まで体育館を使用していた部活の顧問らしき女教師の声だった。気が付いてみると、体育館はおろか、グラウンドにも生徒の姿はまばらに見える程度になっていた。どんだけ走ってたんだ、私たちは。
その女教師にせかされるように、大慌てで着替えに戻る。
服を着替えた体育館のステージ脇に戻り、も一度、汗をタオルで拭い、ユニフォームを脱ごうとした瞬間、私は思いだした。私、今日は電車で来たんだっけか。
着替えを進める二人に私は一言。
「私、走って帰るわ。今日、電車だった」
それを聞いて、鷹乃と紀子は見つめ合い、またもや大爆笑。
「私たちをぶっちぎった罰だよ~。お疲れさま!」
鷹乃が悪戯っぽく笑う。鷹乃のその表情って、昔から可愛いんだよな。そんな憎めない笑顔向けんな。ちくしょうめ。
「ファイトだ、ひな。また明日!」
帰りはそっちがぶっちぎんのか。覚えてろ紀子。両手を顔の前でヒラヒラさせながら、舌を出して紀子はアカンべーのポーズ。ただでさえ幼い雰囲気の紀子がさらに幼く見える。・・・怒れん。
「それじゃあ、また明日」
かばんや制服は、二人に自宅に届けてもらうとして、私は一人、外へ走り出した。
これからの色んなことに淡い期待を抱きながら。
「帰るぞ、豪乃」
もう、夜のとばりが落ち始め、電気が無くては辺りも見えなくなろうとしている廊下に、荒々しく扉をあけ放ちながら一人の女生徒が、生徒会室と書かれた札の下がった教室から飛び出してきた。
「待って、樹里ちゃん」
その少女の後を追うかのように教室から出てきたのは生徒会長の豪乃だった。
部活動紹介のイベントを終え、その後始末で帰りがこの時間になってしまったのだ。
大人しい豪乃にとっては、いくら三年近く通ってきた学園であっても、この時間に一人ではとてもいられるような状態ではなかった。
「ったく、お前がちんたらしてっから、こんな時間になっちゃったじゃんか」
対して、周りが学園ではなく、墓場であってもお構いなしといった感じで、辺りの暗い雰囲気にも動じない樹里と呼ばれた少女が、豪乃を叱り飛ばした。とは言っても、本気で怒ってないことが樹里の優しい表情から見て取れた。
彼女は宮地 樹里。生徒会長の太田郷 豪乃とは小学校からの腐れ縁だ。
お淑やかで学園首席、おまけに地元企業の社長令嬢である豪乃に、クラスメートでも一歩引いた対応をするのだが、樹里だけは昔からこんな感じだった。
小さい頃、豪乃に集るいじめっ子を、男子顔負けの腕力で蹴散らしていた樹里の姿が、今でも豪乃の心の中にある。
先行する樹里に小走りで駆け寄る豪乃。しかし、二人並んで歩を進めるも、二人の間には沈黙の時間が暫く続いた。昼間の出来事が二人を気まずい状態にしていたのだ。
それぞれの姉に共通する過去の出来事がトラウマになってしまっている樹里にとって、豪乃の行動が今一つ許容することができず、つい声を荒げることになってしまったのだった。しかし、ずっとこのまま、というわけにはいかず、樹里のほうから口を開いた。
「昼間はすまねえな」
その言葉に、豪乃はあえて口を開かなかったが、代わりに首をふるふると左右に振った。
豪乃自身は、樹里の気持ちは十分に分かっている。だから、特にそのことに許すという感情自体、必要と感じていなかった。
その豪乃の視界に、ふっとなにかが入ってきた。ビクッとしつつも、立ち止まり、その存在を目で追う。
「野球のユニフォーム?」
その存在は、学園の校門周辺を照らす街灯に一瞬照らされただけだったが、豪乃にとっては懐かしいものを見るような感覚だった。もう少し窓に近寄って、その存在を見ようとしたものの、それは走り去っていて既に見えなくなっていた。
そんな豪乃にまた声が掛かった。樹里だ。
「豪、何やってんだよ。腹減った。早く帰るぞ!」
樹里は遠くから豪乃を呼ぶとき、たまに豪乃をそう呼ぶ時がある。
その声に我に返った豪乃は、自身を包む暗闇に気づき、それから逃れるように、再び樹里の元に小走りで駆け寄っていった。