(4.5)婚約者ですが、僕は
ユーステス・ヴェルエステ。
この国の第二王子。
魔力は『風』で、御年十二。
王子である事と魔力が他人よりは強力である事以外は普通の人間だ。
今日は途中まで体調が良かったが、午後になって急に魔力の制御がいつもよりできなくなって身動きがとれずにベッドの上にいた。
せっかくカメリアが王宮にくるので楽しみにしていたのに制御に失敗してこの様である。
幼少期の頃から魔力が普通の人よりは強いという程度だったのだが、ある時エルフに連れ去られて祝福を受けるという奇跡体験をして以来、ずっとこの調子だ。
*****
かつて数千年前、魔法・科学と呼ばれるものは同レベルの水準で発展していた。
しかし、異界に住んでいたエルフの王が新天地を求めて人間界の歴史に現れたことにより、その影響からエルフの民も人間界で生活するようになったそうだ。
その結果、エルフの技術を得て人間界では魔法が格段に発達。その一方で科学というものは衰退したと伝えられている。
しかし、実際にエルフを見たというものはほとんどいない。
なぜなら、エルフは別次元へと行けるほど高貴な存在であり、エルフから祝福を受けるに値する人間かエルフと同じように別次元へ行く事ができる何かでないと垣間見る事すら無理らしい。
ちなみに「祝福」というのはエルフの技術を授け、魔力をより強固にすることだそうだ。
僕のようにエルフからの祝福を得られる人間は百年に数人いれば良いレベルで、エルフからの祝福を受けた人間は、その周りに強力な影響を与えるとされている。
それが良い事なのか悪い事なのかは定かではないが、只人であれば絶対にできない事を成し遂げるとも言い伝えられている。
だが、エルフというものはただ祝福を与えるだけでその後は何もしないらしい。
祝福を与える際、強力な魔力を制御できればいいが、出来ない場合は失格者として「魂」を利子にして魔力を回収するそうだ。つまり、死ぬという事らしい。
「まあ何て身勝手な事をするのだ」というのが、僕個人としての意見だが。
ちなみに、エルフと同等の存在でかつ人間だったという記録は、今のところ存在しないのがこの世界の定義となっている。
ちなみに、今の僕はというと少々厄介な状況に置かれている。
今僕の前にいるエルフから五年以内、つまり十七歳までに魔力を制御できなければ失格者として認定され「魂」を利子として回収すると宣告されてしまったのだ。
魔力が体中を巡る魔力に、意識を保てそうにない。
目の前にいる高貴な存在は、見た目は金髪の美しい女性のようだが、彼らにはそもそも性別はないに等しいものだ。
やけにとんがっている耳と、人間には到底持つことができないであろう内側から漏れ出す魔力の気配が、彼らがエルフである事を更に物語っていた。
『容姿が美しく魔力が強いから祝福を授けたが……。こんなにも魔力を制御できぬ人間だとは思わなかったものだ。女王の寛大さから猶予を延ばす事になったからよいものの、時間の無駄になってしまうのではないか…。』
美しい声色から放たれる容赦ない物言いに小言の一つや二つ言いたいところだが、そう言えるほどの体力もなく、苦虫を嚙み潰すような気持ちを抑えて聞き流す。
まさか、今日に限って厄介なやつが姿を現すなんて思いもしなかった。
彼らは、基本的に人間の前に姿を現したりしない。
自他ともに高貴な存在である彼らにとって、僕たち人間は家畜まではいかずともかなり下の位置づけになっている。
きっと祝福を与えるのも、ペットに芸を仕込む感覚に近いのだろう。
だが、それに対して異議を持つことは、決してできない。
なぜなら僕たち人間とエルフでは、完全にエルフの方が上位互換の存在なのだ。
まず、口答えする前に自分の存在が彼らの魔力によって亡き者に変わるだろう。
祝福を与えられたものでも、過去に抗った者は少なくない。
それは、祝福を授けたエルフたちの会話を盗み聞きして知ったが、知ったところでおおよそその者の末路は予想できたので、僕は深入りするような真似はしなかった。
僕がこれから生きるためには、この魔力を完全に制御する以外に道はない。
祝福を授かって以降、幼いながらもそれだけははっきりと理解していた。
そのために、色んな事を毎日試した。この褐色の肌も、魔力を制御するために試行錯誤した結果の産物だった。
本来の白かった肌が一夜にして褐色になった時、まわりの者たちはようやく僕がエルフの祝福を受けた存在であることを初めて知ったようだ。
実際に祝福を受けたのはかなり前だが、実は僕が褐色の肌になる前から感づいた側近も過去に一人だけいた。
そして、僕がエルフの祝福を受けている存在であると、王と高官達の前で進言したのだ。
しかし王宮の高官達は、彼が言った真実を疑い信じなかった。
むしろ、その言葉を利用して王の前で嘘をついた罪に問い、彼を陥れ国外追放にしたのだ。若くして高官に上り詰めた有望な青年だったため、愚かな老人達はさぞ危惧していたのだろう。
僕はというと彼が国外追放になった後、彼の行方を密かに探させた。
エルフの祝福をいち早く気が付いた彼を、どうしても手元に置きたかったためだ。
しかし消息を掴む事はできず。結局僕は惜しい存在を失った事に無念さを感じるだけとなった。
それから、数年が経過した。
やがて、歴史的な経験からエルフの祝福を受けた者の二つの末路を具体的に知ると、僕の生きる事に対する執着は強くなった。
褐色の肌により変わってしまった周りの視線を浴びながら、僕は生きるために魔力の制御を必死に試み続けていた。
また、この頃から魔力以外でも自分の命は危ういものだという事を感じ始める。
第二王子という厄介な立場のせいで、僕に王位を継がせようとする派閥ができてしまったのだ。
まあ、僕をお飾りの王にして実権を握りたい者が作った派閥だが。
生きる事に必死で、正直王位なんて考えている暇はなかった。
王位なんて面倒で仕方なかった。
だが万が一に備え。
王位を揺るがす危険な存在として見られぬように、世渡りの術も必然的に学ぶようになった。王族としての礼儀作法から教養だけでなく、身を守るために剣術や体術訓練も始めた。
場合によっては国外追放された時の対策として、下町の商人の知識に手までを出すようになった。
正直に言うと、辛くて面倒だったのを覚えている。
今でも、その気持ちに変わりない。
しかし、人生はいつ転んでどん底に落ちるかわからない。
エルフの祝福を受ける前の温厚な自分のままでは、この世界を生きる事はできない。
学べるものは学び、利用できるものは利用する。
とにかく、どんな手を使ってでも生きるための方法を僕はずっと探していた。
そして、つい最近。
長年の努力の末、僕は『カメリア』という幸運な手段の一つを見つけた。
池のほとりで溺れたらしい彼女を助けるにあたり、僕は彼女の様子を確認するために彼女の脈を図った時があった。
その時周りの者は全く気が付かなかったが、彼女に触れた部分の肌が本来の色を取り戻していたのである。今までそんなことは一度もなかったため、僕は魔力を意図せず制御できたのだと最初は喜んでいた。
しかし、それ以降はまったく変化がなく。
少し考えた末、その原因は「僕」ではなく「彼女」にあるのでは?と思い至った。
率直に、あのご令嬢とは関わりたくないのが本心だった。
魔力の制御のカギとなる人間であったとしても、あのご令嬢自体はかなり傲慢で我儘だと噂されている。しかも、親族にさえ婚約を断られるほど。
まだ話した事は一度もないが、噂を聞く限り関係を持つのは厄介で面倒に感じていたのだ。
しかし、長い時を得てようやく魔力を制御するための糸口を見つけたのだ。
自分の本心に従っている暇などなかった。
それから頃合いをみて僕は彼女の住むクラウディウス公爵家を訪ね、対面している際に彼女に触れることで、僕の強力な魔力の制御に彼女は役立つという確信を得る事に成功した。
彼女を利用するにあたりその身柄を拘束できる手段として、僕は彼女を僕の婚約者に仕立て上げる事にした。
身分も申し分なく、幸いな事に彼女は僕に対して好印象を持っている。
魔力の完全な制御のために利用する人材としては、とても扱いやすいものを手に入れたと婚約の手続きをしながら喜んだ。
ようやく、僕の人生にも光が差すような気がした。
………彼女が、カメリアが『本来の僕』も『褐色の肌の時の僕』も両方綺麗だと褒めたのは、僕にとっては予想外な出来事であったが。
『白い肌の時もいいけど、褐色の肌の時も変わらずに素敵ね』
彼女の言った言葉を、思い出す。
思わず笑みがこぼれそうになり、きゅっと唇を結んだ。
黒髪に黄緑の瞳を持つあの少女は、おべっかではなく、本当に褒めていた。
周りから向けられる目とは違う、素直なあの目。
自分と同じような前例があったというのも興味が湧いた。
それに、あの時は少しだけ嬉しかった。
どちらの僕も肯定してくれた気がして、心が軽くなったのだ。
魔力を制御するための『手段』であり、それ以外は全く無関心でいるだろうと思っていた。
でも、今は違う。
もう一度、あの子と話してみたかった。
もう一度、あの子に触れてみたかった。
あの子は……カメリアは今、どうしているだろうか。
しかし自分の魔力を抑える体力も、とうとう限界を超えてしまったようだ。
だんだん意識が遠のいていく。視界も、ぼんやり、してきた。
扉の開く音を最後に、僕の意識は遠くへと飛んで行った。
*****
誰かの話し声がして、僕は目を覚ます。
僕が起きたことに気が付いたのか、二人の人影がこちらに駆け寄ってくる。
最初はあのエルフがもう一人仲間を寄越してきたのかと思っていたが、声が明らかに違っていたのでとりあえず安心した。
身体を動かそうとして起こすが、魔力のせいで思わずバランスを崩す。
誰かに背を支えられ、その手の暖かさにほっと安心する。
褐色の肌になって以降、家族と医者以外の他人に触れられる事は長い間なかったので、なんだが変な感じがした。
だが、その直後に流れてくる暖かい何かが、僕の目を完全に覚ます。
良く目を凝らす。
黒色の髪。
黄緑色の瞳。
そして、彼女がくっきりと瞳に移った時。
僕は、思うよりも先に、彼女を抱きしめていた。
触れた所から彼女の体温の暖かさが伝わり、自然と僕の身体も熱くなる。
そして体温とはまた違う暖かな、でも先ほどよりは強い何かが僕の中に流れ込む。
それは僕の魔力を抱きしめるように混ざり合い、僕の魔力はそれを受け入れられ喜ぶように、だんだんと落ち着き始めた。
その心地よさに、僕はまた眠くなる。
僕の心の中に、今まで感じたことのない感情が芽吹いているのを感じながら。
甘みがあって優しいのに、どこか熱くて、でもくすぐったいとも言える感情。
とりあえず、もう少しカメリアに、触れていたいな。
もう少しだけ力を入れてみたが、拒絶されることもなく、それがさらに僕を嬉しくさせた。
僕が知らなかった道が開かれていくのを感じながら、僕はまた眠りについた。
*****
「まさか、君が婚約するとは思わなかったな」
僕の数少ない友人の一人、エドワードの突然の話題にすぐに反応できず僕は苦笑を返す。
つい先日、隣国での任期を終えハントリ―侯爵一家が帰国し、僕とエドワードは久々の再会となった。
黒髪に藍色の瞳を持つこの友人は、見た目も爽やかで周りの令嬢達からとても人気らしく、帰国してすぐ、彼を褒め称える黄色い噂は社交界でも飛び交うようになった。
「しかも、俺よりも先だなんてね」
紅茶を少し飲んだ後、やや感慨深そうに彼は呟く。
僕自身も婚約はもっと先だと考えていたし、帰国した彼とこのような婚約など大人びた話をする事ができるくらいに、僕たちは成長したのだろう。
お互い今まで一度も恋愛の話をした事がなかったため、彼がこのような話を振るとは思わなかったが、現実的に考えればこの話題が出るのは当然だと思った。
僕は十二歳と少し早く婚約をしたが、この国では十六歳から成人となるためとても珍しいわけではない。
しかも僕は王族だし、エドワードも侯爵とかなり上の身分だ。将来の事も考えると、僕よりも一つ年上のエドワードにはそろそろ婚約者がいても当然になってくる。
「エドだって、もうすぐメディナ令嬢と婚約を結ぶ予定だろう?彼女、とても美少女だって有名じゃないか。身分だって同じ侯爵だし、お似合いだと思うよ」
メディナ家はこの国の行政を担う、重要な一族だ。財政を担うハントリー家にとっても、二人の気持ちはともかく、この縁談は双方にとても有益だろう。
だが、エドワードは怪訝そうな表情を見せる。爽やかな顔に陰が差すのを見て申し訳ない気持ちになる。
どうやら、彼自身は婚約に対して消極的なようだ。
エドワードはティーカップを置きながら肩を竦める。
「…リコリス令嬢は、とても美しい令嬢だったよ。中身も素晴らしい子だし。姉様達も彼女をとても気に入っていた。妹が出来て嬉しいって、喜んでいたよ。ハントリー家にとっても、これは良い縁談だ。それは、わかっているが…」
「…昔出会った平民の少女の事が、忘れられないのか?」
「…。」
僕の問いにエドワードは黙り込む。
恐らく、それが原因でメディナ家の令嬢との婚約に消極的なのだろう。
僕は打算的に…結果としてはそれだけではない感情で婚約を結んだが、誠実な友人はこの気持ちを抱えたまま婚約をするのは良くないと考えているのだろう。
しばらく無言の時間が続くのかと思ったが、エドは小さく溜息をついて少し無理やりだが柔らかな笑みをこちらに向けた。
「わかってはいるんだ。幼い頃の話だし、そもそも彼女は平民だったから身分が違いすぎていて結婚は出来ない事も。それに初恋は叶わないってよく言うじゃないか。
俺達はもう少ししたら大人になる。
それに、俺達ももちろんだが彼女も魔力を持っているから共に学園に通うことになるし、忙しくなる。
忙しくなれば、きっと忘れることもできるだろう。とりあえず、今はこの恋心に終わりが来ると信じているよ」
そう言いながら、エドワードは背伸びをする。
本人にとっては前向きな発言のつもりだったろうが、僕にとってはどことなく切なくて、寂しい印象だった。
彼は自分の立場をしっかり考えている。
だからこそ、真剣に彼女との婚約に悩んでいる。
そして彼自身も、まだ幼い頃から持つ恋心を捨てられずに苦しむのだろう。
「無理はするなよ、僕達は友だ。悩みで押し潰される前に言ってほしい」
僕の励ましに対しエドワードは「ありがとう」と笑い、その笑みにさっき見せた陰はもう差していなかったので安堵した。
「そういえば、君が自ら婚約を望んだらしいね。
確か、クラウディウス家のご令嬢だっけ?昔から正統派王子だともてはやされていたから、てっきり相手側から望まれるパターンだと思っていたよ。それほどいい子なのかい?」
「いい子なのかい?」という最後の言葉に思わず爆笑しそうになり、笑いを必死に堪える。
彼はキョトンとして僕を見つめていた。
帰国したばかりの彼だ。
きっと彼女の「我儘で傲慢な令嬢」という噂をまだ知らないのだろう。
友人である彼がこの噂を耳にしていたなら、きっと彼女との婚約を今すぐにでもなしにした方がいいよと忠告するだろう。
「…まあ、それなりに」
僕は曖昧な返事を返す。
実際の彼女は噂とは少し違うが……「いい子」だと言ってしまうとエドワードが「会ってみたい」と言ってくるような気がして、本当の事を言うのに躊躇する。
どうしてか最近の僕は、噂とは違う本当の彼女を誰に対しても会わせたくないと思ってしまっているのだ。
「本当の彼女を知っているのは、僕だけで十分だ」と。
それに、彼女…カメリアのすぐ近くには一人厄介な存在が纏わりついている。
カメリアの従兄弟、イヴァン・クラウディア。
カメリアとの縁談を断り、口では彼女に対して辛辣な言葉を投げかける一方、その行動は反対に「親族だからといってそこまでするか?」と言いたくなる程とても親身になって世話を焼いている。
恐らくだが、彼はこれから僕のライバルになるかもしれない。
婚約者というのはほぼ絶対的な立場だと思っていたが、現実ではそうでもないらしい。
カメリアを誰にも紹介したくないと思うのも、きっとそれに影響されているからなのだろうか…。
「…珍しいな、君がそんな顔するなんて」
「…?何がそんな顔なんだ」
「……いや、気にしないでくれ。…」
その後も、僕はエドワードが帰るギリギリまで楽しい時間を過ごした。
*****
エドワード・ハントリーは友人であるユーステスの変化について、こう呟いていた。
「まさかユーステスが腹黒くなるほど婚約者が好きとは思ってなかったな」
、