奇怪
おじぎりをぐれえ、という声で覚醒した。おじぎりは持ってはいないのだよ、私の懐にあるのは人を傷つける道具だけ。大丈夫だよ、いつか君におじぎりをくれる相手は現れるのだから。そういう意味の言葉をもごもごと口にして起き上がる。耳元に居た半裸の子供は「けち、どけち」と叫んでどこかへ消えた。
焼けた野原の真ん中で起き上がった。腕がかゆい、かゆいなあと思ってみると腕はどこにもなかった。そうだ俺のことが嫌になったと言って去ったのだ。五体は自分を裏切る、もう何も信用できない。残った足や手に声をかけてえいやと立ち上がる。焼けた野原の焼けたにおいがする。
「さて、俺はどうしたものか。」
腕を探しに行った方がいいのだと分かってはいるが嫌だといって逃げるものをそんなに必死になって追う必要があるのだろうか。我々は団体なのだ。個人で活動しているとはいえ我々は団体で、そのことを腕自身が理解していたならばこんなことにはならなかったろうに。俺が言えばよかったのか。団体を嫌って逃げるものをへいこら頭を下げるために、戻ってきてくれと言うために追いかけるのが俺のすることなのか。
「代わりの腕を探そう。」
そうだ、名案だ。産まれてからこの方明確になったことなど無い頭だったが一気に冴え渡った。
どこに行けばいいのかわからないが足の向いている方向に向かうことにするのだ。あの子供が向かった方向だ。おじぎりは貰えたろうか。
歩みだせば自分が裸足だということに気が付いた。草が刺さるようで痛い。俺だけがこんな思いをしている。最初に産まれ出でた時は皆助けてくれると言ったのに未だその約束を守る者はいない。そしてついには腕が逃げ出した。どうして産まれ出でたのか、他の者が生まれたくないと言ったからだ。産まれることがこんなに恐ろしく胸が締め付けられるとは思いもしなかった愚かな自分だけがこうやってあほ面で生まれて道を歩んでいる。そういう愚かな自分を皆は笑っているのだろうと思う。笑われているならまだましか。怖いのは無関心だ。お前らは俺を支えているという自覚があるのか?足よ、手よ。かけがえのない五体なのだから俺を助け働いてくれ。悩みすぎる自分を産まれ落としたのはお前たちなのだから。
涙が気が付かないうちに頬を伝っている。どうせ生れるなら足が良かった。俺は地面を無感情に踏みしめて歩けるからだ。それにくらべてお前はどうだ、俺は足を軽く睨みつけた。草が痛いのは当たり前だろう、裸足のお前が悪いのだ。痛みをいちいち報告してくるな、馬鹿め。
腕は高飛車だった。地面を歩まないくせに俺を馬鹿にすることだけに長けていた。地面を歩まぬお前に俺が期待していたのはお前が他を守り育てることだったのに、何年も生きて来たのだからそれくらいわかるだろうと思っていたのに。この道は自分だけで歩むには辛すぎる。
「新しい腕よ、高慢でなく出しゃばりもせず静かにそうっと手を差し伸べる腕よ。」
叫べば焼け野原の向こうから青年が現れた。
「そんなものはいないよ。どんなものがきてもあなたは満足することは無いよ。」
青年は嫌にはっきりと言い、近づいてくる。そうかもしれない、そうなのか?
「私を代わりにするか?」
青年は無表情に言う。高慢になるかもしれない、俺のことを馬鹿にするかもしれない。この男は信用できるとどうやったら確かめることができるのか。
「嫌われたくないからと何も言わないのなら改善されなくてもしようがないのではないか?」
青年の顔は白く若々しい。何も知らないからそんなことが言えるのだ。生きることが野原を歩くことなら焼けている時点で大失敗なのだ。
「嫌われたくないよ、俺は弱いんだ。」
対面する顔がぐしゃりと歪んだ。
「おじぎりをくれなかったくせに!」
彼の顔に少年の面影を見た。彼にも嫌われたくない、誰にも嫌われたくない。だから俺は自分の持っているたった一つのものを彼に与えようとした。青年の望んでいたものではないが。
「人を傷つける道具をあげる。」
残った腕を胸元に突っ込んで道具を探った。いやに柔らかいものが手に触れる。取り出して青年に渡すとそれはいびつなおじぎりだった。
「私はあなたの腕になるよ。」
おじぎりを口に放り込んで彼はそう言った。明るい声だ。
「一緒に時が過ぎるのをまとうね、一緒に苦しいと思おうね、一緒に悲しもうね。」
これを待っていたのかもしれない。これを言ってほしかったのかもしれない。新しい腕は俺に馴染むのか馴染まないのかわからないが言葉は正解だった。
「たくさん泣いて明日からまた頑張ろうね。」
俺は涙を流して青年を抱きしめた。そして二人で焼け野原に転がった。
おやすみ。