第七話
「おい、政弘。」
加藤の声に、永田は我に返った。
「さっきナースステーションで言われたんだが、お前、隠れて徹夜してるそうだな。」
「ん?ああ。」
彼は曖昧に頷いた。
「あんまり言うことを聞かないようなら、退院して貰わなきゃならないって言われたぞ。」
それも良いかなと思われた。
結局のところ、怪我は肋骨が一本折れただけなので、ギプスで固めてある今、それほど生活に困難は無さそうだ。
彼の沈黙を何と解釈したのか、加藤は続けて尋ねた。
「お前、一体何をしてるんだ?」
永田は少し躊躇った。
なにしろ、攻撃は『部室から』行われているのだ。
しかし、すぐにその考えを打ち消した。
加藤も襲われているのだし、そもそもこいつがそんな事をする筈がない。
彼は、ここまでの結果を説明した。
一通り聞き終わると、加藤は言った。
「それはおかしいな。」
「それ?」
「ああ、内部から攻撃されているから犯人はサークルの人間かもしれない、って所さ。」
永田は軽く興奮しつつ反論しようとした。
「だって、現に旧いPCから芝刈機にアクセスした跡が・・・」
その勢いを軽くいなして、加藤は言った。
「もしそうだとしたら、そのブラボーは東南アジアに居るんだろ?だから、ブラボーとチャーリィは別人だって事になるわけだが、そのブラボーがお前の正体を知ってウチの部室に来た直後から、偶然に別人のチャーリィが攻撃を始める可能性はどのくらいある?」
なるほど、そう言われてみれば確かにそうだ。
「むしろ、ブラボーとチャーリィが同一人物である方が自然じゃないか?」
「だけど、ブラボーは東南アジアから操作して、チャーリィは部室から操作してるわけで・・・」
被せぎみに加藤が言う。
「ブラボーは、大量のデータを部室のPCに流し込んだんだろ?」
「あ、ああ。目的はわかんないけど・・・」
「こういうのはお前の方が詳しいだろうけど、ワームって代物が有るんだよな。」
「あ、」
ようやく永田は、ブラボー/チャーリィの正体に気付いた。
「なるほど、あのデータ自身がチャーリィだったんだ。」
純粋な絶望と呪詛の記述が影を潜めると、復讐の計画が出てきた。
はじめはN・Mをその手で探し出して復讐するという具体性の無い願望の吐露であった(早苗は優秀な研究者ではあったがハッキングのような不正手段に関しては全く素人といって良かった)が、春香をネメシス(ギリシャ神話の復讐の女神)として育てるという記述が出てきた辺りから、俄然その計画が具体性を帯びてきた。
春香に報復という目的を与えた上でネットワーク上に解き放ち、自らその手段を学ばせて実行させようというのである。
日を追うにつれその計画は具体性を増し、明らかにその準備に着手していると思われる記述に変わって行った。
そして、その記述に熱中の度合いが増すにつれ、再び早苗が精神のバランスを喪って行くのが見てとれた。
いつまでもやられっぱなしというわけにはいかない。
攻撃者の正体を見極めるために、即席で罠を仕掛ける事にした。
体のそれなりに大きな部分を置くサーバに、一見して判る様なセキュリティ上の欠陥を作った。
ただしそれは、外から見れば格好の穴に見えるが、実際に入ってみると本来のやり方とは違う方法で塞いである。
またその塞ぎ方も、いかにも応急措置風なので、突破出来そうに見えるだろう。
それを突破したら、次の障壁が出てくる。
そういった急ごしらえの壁を何段か重ねて手間を掛けさせる事で、その正体を窺う時間的な余裕を稼ごうというのである。
あまり待たされる事はなかった。
相手は、他のもっと手の着けやすそうな小さい部分を飛ばして、罠に向かって来たのだ。
つまりこの相手は、効率重視で大きなところから潰しに掛かっている。
攻撃が始まると同時にその箇所に急行したが、この相手はそう簡単に嵌められる手合いではなかった。
セキュリティホールに対する応急措置は瞬く間に壊されて行ったが、三つ破ったところで、この対応の目的がセキュリティの維持ではなく時間稼ぎである事に気付いたらしく全速で撤退したのだ。
彼女が現場に着いた時、攻撃者は全てを放り出して跳び去るところだった。
辛うじて視野に捉えた後ろ姿を見た時、春香は愕然とした。
猛スピード消え去って行くそれは、彼女自身の背中であった。
加藤の指摘で、アルファ/ブラボーの不自然な関係も説明が着いた。
アルファは恐らく人間のハッカーであり、ブラボーはワームであろう。
ただしここまで、それこそ人間と見紛う程に高機能なワームは見た事が無い。
ある程度の自律性はワームの大前提であり、中には学習機能を備えた物まであるが、ブラボーのそれは永田の知るワームとは次元が異なるレベルの物であった。
そのブラボーは、アルファに寄生してそのハッキングスキルを学び、やがて独自の動きをする様になったと思われる。
また、その侵入先で分裂を繰返しながら、永田を狙っていたのだろう。
永田は、以前作成したツールを探した。
それは広い範囲を巡回しながら通信ログに現れる特定の特徴を探して廻るという代物で、ある程度特徴(癖という方が適切かもしれない)の判っている相手を、ネットワークの大海からその臭いで探し出す猟犬である。
永田はそれらに臭い、つまり現時点で判明しているシグネチャ情報を全て与えて、次々にネットワークに放った。
荒川が更に読み進むと、春香のネメシス化計画が進むにつれて、また様子が変わってきた。
それは、ある意味で必然であったと言える。
春香をネメシスとする事は、すなわち娘の手を血で汚させるという事である。
記述には決意と躊躇いが交錯する様になり、行きつ戻りつする様子が窺えた。
あれは一体何だったのか、春香は自分の見た物が信じられなかった。
何かの見間違いであって欲しいと思ったが、その一方で、それはあり得ない事だと知っていた。
とりあえず、少なくともあの『自分』は、どういう意味でも躊躇いを覚える事なく目標に向かって邁進する存在であるらしかった。
これは大きな問題である。
このままでは、いつチャチャイの時の様な見境の無い攻撃を始めないとも限らないのだ。
そうなれば、関係のない多くの人間を巻き込んでしまう。
そろそろ反撃に移らなければならない。